前回のブログにてご紹介させていただきました「貯徳問答講」。
この貯徳問答講を簡単にご説明させていただくと、日本一の投資家でもあり、事業家でいらっしゃる竹田和平さんが、夢を与え、徳を受け取る幸せな人生の成功者になるための力を育てることを目的として主宰されている私塾です。
ここではメーリングリストを使って、グループごとに毎週出されたお題について問答し、まとめを提出します。
そして今週のお題は「言葉と智徳や如何」です。(難しすぎ~。汗)
特に智徳と言うものについては、一度も聞いたことも使ったこともない言葉だったので、辞書を引いて調べても頭の中は混乱状態。(爆)
仕方ないので気分を変えて「言葉」について調べたところ、すごく興味深いものだったのでこちらでもご紹介させていただきますね。
(以下、メーリングリストに提出したものとほぼ同じ内容のものです)
言葉、というものの語源は「言」(こと)+「端」(は)から来ているそうです。
古くは、言語を表すものとしては「言」(こと)が一般的に利用されていて、言葉という使われ方は少なかったとのこと。
そして、ここからが非常に興味深かったのですが、
「言」(こと)には「事」(こと)と同じ意味があり、「『言』は事実にもなりうる 重い意味を持つようになった」
そうです。
ですから「言う(&書く)ことは現実を引き寄せる」というのは、まさに、音からくる「言霊パワー」なのだな、改めてと思いました。
きっと古代の方々はそれをご存知でいらっしゃったのですよね。
また、ちょっとした政略的な意図もふくまれているように感じたのですが、「言」に事実を伴わない口先だけの軽い意味をもたせるために「端」をくわえ、「ことば」という音になったようです。
また「言羽」という表記もあったそうで、こちらも同じような意味合いで使われていたそうです。
「ことば」には「辞」といった文字も使われていたそうですが、最終的には「言葉」が使われ続けるようになったのを上手に表現されているのが『古今和歌集』といわれているようです。この中で
「やまとうたは、ひとのこゝろをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける・・・」
とあるのですが、「ことのは」が「言の葉」=「言葉」であり、よって「葉」は豊富という意味で使われていたと考えられているそうです。
以後、「言の葉」が多く用いられるようになり、ことばにも「言の葉」の意味が含まれるという扱いになって、現在に至っているとのこと。
言端や言羽が残らず、「ことば」を表記するのに相応しい「言葉」が後世まで伝え残った、というのは、日本が言霊の国といわれる所以ではないかと思いました。
言葉のもともとは、「言」だったということに、そしてその裏に隠されていた意味・事実にふれて感動いたしました。
「言葉」とは私たちの思想・意思・感情などを伝え合うために用いる様々な音や表記、表現であり、それを現実化させるための力を持つもの。よって、その表現には霊魂が宿るものであり、これを「言霊」という。
これが今の私の「言葉」のみのまとめです。(笑)
言葉を紐解いていくのって、面白いですね!
こんな風に進められる「貯徳問答講」。
ご興味のある方はぜひ前回の記事をご覧下さいね。