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テーマ:映画館で観た映画(8570)
カテゴリ:邦画(あ行)
監督・脚本 : 李相日 原作・脚本 : 吉田修一 音楽 : 久石譲 出演 : 妻夫木聡 、 深津絵里 、 岡田将生 、 満島ひかり 、 樹木希林 、 柄本明 公式サイトはこちら。 <Story> 長崎在住の清水祐一(妻夫木聡)は、博多で働く石橋佳乃(満島ひかり)と待ち合わせをしていた。 しかし、待ち合わせ場所で佳乃は他の男の車に乗って行ってしまった。 佳乃を追いかけた祐一は、福岡県の三瀬峠で彼女を殺してしまう。 その後、長崎でいつも通りの日常を送っていた祐一は、以前出会い系サイトでメールをやりとりしていた馬込光代(深津絵里)という女性と会うことに。 ホテルでお互いを求めあった後で、祐一は光代に佳乃を殺したことを告白するのだが…。 悪人 - goo 映画 <感想> 第34回モントリオール世界映画祭で、深津絵里さんが最優秀女優賞を受賞した本作、 ようやく観てきました。 原作は未読。 何だか、ここの登場人物は、 みんなが孤独を抱えているような感じなのですね。 祐一は両親との触れ合いがほぼなく育ち、とても不器用に生きてきて、自分を受け入れてくれる存在に慣れてない。 佳乃も、外の世界、例えば友人には虚勢を張るけど、内面が満たされていない。 光代は狭い世界で生きてきて、その分世間を知らなくて、自分を真から愛してくれる人に巡り合っていない。 佳乃の両親もまた、娘がもう親の手の届かない世界で生きていることに寂しさを感じている。 別に今の生活には大きい不満はないにしても、 何となく満たされないものを抱える人々の人生が交差する。 祐一の置かれた環境を考えるにつけ、 例えて言うならば、彼は、たった1人で吹きすさぶ荒野の中を歩いて来たような 人生だったのではないかと思う。 大事に祖母に育てられたとしても、それはあくまで祖母としての愛情であり、 親ではない。 そして母親も彼の存在を大切にしていない。 愛情の拠り所がないままに生きてきた彼にとって、 自分を愛してくれる人を探したくなるのは、ある意味自然なんだと思う。 また、ここで印象に残るのは、地方の荒廃ぶりかもしれない。 とにかく何もない街、希望のない職業、 生まれた家から、学校、職場と、ほとんど街を出ることのなかった光代にとっては、 そこからもしかしたら、誰か連れだしてくれる人がいるんじゃないか。 そう考えて、出会い系サイトにつなげたのかもしれない。 佳乃にしても(たぶんだけど)地道な実家の風習や考え方を嫌い、 次々と男を渡り歩いて、自分の身の周りを華やかに見せかけている。 寂しさの裏返しなのだろう。 寂しいから、人は誰かを求める。 その手段としての「出会い系サイト」も、私たちの身近にあまりにも普通に存在している。 誰でもがアクセスは可能なだけに、誰かが欲しいと思ったら、すぐに手が出せそうなお手軽感がある。 祐一も佳乃も光代も、それぞれの孤独を抱えてアクセスした。 とにかく「人と人とのつながり」ということについて、随所で考えさせられた映画でした。 本物のつながりって何だろう。 血が繋がっているから、心も繋がるとは限らない。 そして一緒にいた時間が長いからと言って、心が通うとも限らない。 自分が自負していることとは裏腹のことを相手は考えているのかもしれない。 一口に「つながる」と言っても、その言葉ほど 当てにならないのかもしれないし、逆に心の支えにもなってくれるのだろう。 そこが上手くつながればいいのだけど、そうじゃない場合もある。 それが「縁」だから。 彼らは、相手とつながりたかったけど、つながれなかったか、 あるいはつなぎ方がうまくなかったのかも。。。 と思いながら観てました。 その、ぎくしゃくとしたつながりの中で印象に残ったのは、 佳乃の両親。 娘への無償の愛でした。 岡田くん演じる増尾圭吾の、人をせせら笑う生き方は「つながり」とは全く無縁のものだし、 そこを指摘する場面はこちらも溜飲が下がった感じがしました。 人を人とも思わない生き方。 この感覚が、出会い系サイトの根底にも見え隠れしてます。 そんなに人間関係は軽いものではないはず。 光代にとっては、人とのつながりは真剣なものだったし、だからこそ彼女は 祐一にも愛を注ぎこんだはずです。 原作を読んでいないので、ディテールがわからないのですが、 最後の祐一の行動って何だったんだろうか。 あれは、光代をかばってのことだったんだろうか。 彼女が逃亡を望んだと思わせないようにするためなのか。 それとも、無償の愛情を自分に差し出してくる光代があまりにも純粋すぎて、 何もない自分に対しての怒りやら情けなさやら、そういったものが光代に向かったのだろうか。 あるいは、もう自分のことを思い出させないように、光代が未練を引きずらないように わざと彼が悪人になったのか。 どうとも取れるような気もするのですね。 というか、ハッキリしないけど。 それでもいいのかもしれません。 タイトルの「悪人」にも引っかかってきますが、これが光代を貶めようとしたのならば、 彼は本物の悪人かなとも取れます。 ここのあたりは原作読んだ方がよさそうですね。 大瀬崎灯台のシーンが、薄暗く、じめっとした雰囲気で、 まるでフランス映画のようでした。 『灯台守の恋』を思い出しました。 灯台って、決して明るいものじゃなく、時には海の守りに欠かせない要塞的な役割もしているから、 祐一と光代のような、人生の岐路に立つ人間にはふさわしい場所ですね。 全体的に、浮ついた要素のない演出が光る映画でした。 *********************************** 今日の評価 : ★★★☆ 3.5/5点 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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