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テーマ:映画館で観た映画(8566)
カテゴリ:洋画(あ行)
原題: WE FEED THE WORLD 監督: エルヴィン・ヴァーゲンホーファー 出演: ジャン・ジグレール 、ピーター・ブラベック 、カール・オトロック 鑑賞劇場: シネマ ジャック&ベティ 公式サイトはこちら。 ずーっと気にはなってたんですけど、食系の映画は結構観てるしなあ・・・などと思いながら鑑賞が延び延びになってて、 ですが自宅のエリアが計画停電になっちゃう夜、何もすることがないので、 そしたら観に行って来ようかな? と思い行って来ました。 「食の社会見学シリーズ第2弾」ということで、もう1つの『フード・インク』(これも行かなくちゃなんだけど)もあったんだけどそれは間に合わず・・・(うっ) でもこれもそのうち行きますよ。 世界の食から、食糧事情を取り巻く問題を考えていく・・・ というのは、これまでの食関係の映画でも見られた手法です。 中でも『いのちの食べかた』は、ナレーションは無言のままで映像で衝撃を与えていきますが、 本作はその手法を取り入れつつも、ナレーションとエピソードを観客がつなげて、結論を導き出していくタイプの映画です。 感情に訴えずにデータや現実のみを突き付けてくるので、『いのちの食べかた』で記憶に残っているシーンなども裏付けられ、そしてそこから類推することができます。 大方の食関係映画が指摘するように、巨大資本が食市場の利益を席巻しており、 その結果、企業の利潤に即したやり方で食物が生産され、 それが私たちの口に入るやり方になっています。 その農作物の栽培の方法、企業の言い分、そしてその狭間で苦しむ人たち、というような 構成になっています。 どれがどういう風に連鎖しているのか、という詳しい説明はないので、それを結び付ける作業は観客に委ねられますが、表裏一体のエピソードが出てきますのでその作業は比較的容易でもあります。 この映画の一番の特色は、感情に訴えずにデータや現実のみを 突き付けてくる。そしてそこから類推させるという方法です。 巨大資本、そしてその下で働く経営者たちにとってはもう、 食べ物がもう食べ物として扱われず、モノなのですね。 食べ物自体にもとは命があったということを考えていない人たちが、営む農業。 それはもはや農業ではない。 作物が実に無機質に見えてしまうんですね。 食糧がありあまっている一方で、当然バランスとして発生している「飢餓」。 ここに出てくる飢餓もむごかった。 ブラジルの熱帯雨林がもうどんどん壊滅的に開発されてしまっているのだけど、 その恩恵を現地人はほとんど受けることはなく、また彼らに政府も手を差し伸べることもない。 食べ物がなく、近くの泥だらけの湧水で汲む水が唯一の生命線だけど、 果てしなく汚れているその水を飲む、1歳くらいの乳児たち。 飲ませると、当然ですが子どもは美味しそうに飲むのです。 その、何の菌が入っているか分からないような水を。 そしてその飲み残しを母親が、祖父が飲む。 見ていて本当にやりきれない気持ちでいっぱいになります。 ネスレ会長のオーストリア人のセリフ、 「世界はますます豊かになって、食べ物で困る人はいない」的なセリフの前に出てきた、 ブラジルの一家のお話が皮肉です。 何も感じない人間たちが作る製品は、およそぬくもりというものが感じられない。 そのことに対して、本当にいいのか? と声を上げることすら虚しくなるような、コンツェルンが立ちはだかる世の中です。 映画からは真実を知ることも確かにできるのですが、その反面、 この取り組みに対して私たちがしていけることが本当に食事情をよくしていくことができるのだろうか? とも思えてくる。 オーガニック製品を消費者が求めたとしても、そこにまた巨大資本が介入し、狭間で苦しむ人が発生してしまうのではないか。 その連鎖が生まれることが一番残念なことなのです。 ★★★☆ 3.5/5点 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.03.28 06:02:56
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