Just the way you are
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術後の経過観察のため、Y市大センター病院へ行ってきました。(術後23日目) 待たされるのはいつもの事なので、今日は先に1階のカフェで腹ごしらえ。いい頃合いに呼び出され、2階の再建外科へ…と、呼び出し機が「診療科でお待ち下さい」を表示した後、再度「病院内でお待ち下さい」に戻っちゃったよ今日も2時間以上待ちかぁ~と諦めて本を読んでいたら、主治医Dr.Sに直接呼ばれました。 視診も触診も全く問題なし。脇に張り出したあたりをポンポンと触りながら「だんだん落ち着いてくるからね」と言ってくださった。落ち着いてくれないと困りまする。 それから、退院直後から悩まされている お腹の水溜まりを女医さんに抜いてもらいました。注射針がけっこう太くてビビったけど背に腹はかえられない。下腹部にぶすりと刺す瞬間だけは顔を背け、あとはじーっと注射器に溜まるリンパ液を見てました。2本と少々…66mlとれました。 リザベンが身体に合わないので、薬の処方なし。 往復2千円以上かけて通院して、お会計はたったの¥210 待ち時間に食べた軽食では足りず(汗)結局昼ご飯を食べ直したのち、入院中の再建同志のひとマロンさんのお見舞いへ。術後2日目とは思えないほどの回復ぶりは、やはり若さのせいかしら~(自分比) 本手術をやりとげた(やったのはDrだけど)者同士、お互いに新たな人生に1歩踏み出せたような…うまく表現できないけど、充足感に包まれていた気がするわ。正直、乾杯したい気分だったわ。ひとマロンさん、乾杯!にほんブログ村
2011.04.28
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術後のお腹の調子は、相変わらずです。 痛痒い傷、右下腹部から脇にかけてぱんぱんに張った腹…その中身のほとんどはリンパ液でしょう。リンパ節をいじったあとは、こうなるのも致し方ないですよね。これでも腋窩リンパ節郭清後と比べものにならないくらい軽度です。あの時は、術後2週間経っても100mlとか普通に出ていた記憶があります。(後で調べよう) 右腕のリンパ浮腫を軽減するために、お腹のリンパ節が役に立っている!と思えば我慢するしかないっ。下腹部からの穿通枝皮弁による乳房再建術に加え、浅下腹壁動脈の周囲にあるリンパ節を腋に同時移植しています。 リンパ浮腫が軽減した実感はまだありませんが、これからに期待しています。 何より嬉しいのは、腋窩リンパ節郭清でできた腋の「えぐれ」がなくなったことですね ↑↑↑腋の点線で囲った部分にも脂肪を移植しました。 今年の夏は12年ぶりにノースリーブが着られます。嬉しい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(後日談) ある方から「自分の身体の写真をよく公開できるわね。出しちゃって大丈夫なの?」と、驚きと心配半々のメールをいただきました。 何というか…別にヌードを披露したわけじゃないし…「手術してこんなふうになったよ~」という気軽な報告です。万が一、ご覧になって気分を悪くされた(色んな意味で)方がいたら申し訳ありません。術後の二期再建を考えている方の参考になれば幸いです。にほんブログ村
2011.04.27
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私が面倒くさがりなので、我が家の庭は宿根草と多年草ばかりです。 冬の間は地上部が枯れても春になれば芽吹く…はずですが、何しろガーデニング1年生なので、本当にちゃんと芽が出るのか?今年も花が咲くのか?この目で見るまでは心配でした。 加えて、私の入院中は旦那もキッコロも自分たちのことで精一杯で、とても庭の手入れをする余裕はないだろうと諦めていたので、まったくの放ったらかし。12日間の入院を終え、帰宅後おそるおそる庭のチェック… おぉ!芽吹いてる~~↑↑↑手前から、「アジサイ”アナベル”」「ルリ玉アザミ」「アストランティア」、奥のこんもりしているのは、常緑の「赤すじソレル(ルメックス ブラッディドッグ)」。 元気が良過ぎる「カスミソウ」 クリスマスローズもまだまだ開花中♪ 昨年ボーボーになった夏雪葛と「クレマチス(フォンドメモリーズ)」も元気です。 手前の雨どいにこういうのを付けたらスペースを有効利用できるかも!にほんブログ村
2011.04.24
早いもので、退院から1週間が経ちました。 退院当初の予定では、この週末からはバス程度での外出を目論んでいたのですが、お腹の調子がイマイチで結局この一週間は徒歩圏へ外出したのみ。それも徒歩5分以内の郵便局やクリーニング屋、お寺(義父の墓参り)。こんなに動かさなすぎて、5月から仕事に復帰できるんだろうか…我ながら心配になってきました。 そうこう書いている間も、お腹はなんとなーく不快です。症状は以下の通り。 傷の痛みは日に日に治まっているものの、着衣で擦れると痛いです。とくに両脇に近い方がヒリヒリします。下着の上げ下げも気をつけてそーっとそーっと。ピチッとしたデニムなんて怖くてまだ履けません。 皮下に溜まった滲出液のせいで、左右の下腹部の形が違います。右側が明らかにポッコリと膨らんでおり、指先で押すと腰骨のあたりまで「ぶよん、ぶよん」と揺れます。イメージ的には「ウォーターベッド」。 ただ、1週間で汁は出しきった感じがするので、今後吸収されて減っていくことに期待。しゃがんだ時に腹につかえて変な感じがするので、来週の通院時に抜いてもらおうかな。 リザベンの服用を中止したせいか、便秘生活に逆戻り。お腹に力を入れると傷が痛むので、できるだけスムーズなお通じになるよう水分を多めに摂っているけれど…イマイチ。 寝込むほどでも薬を飲むほどでもないんですけどね… ドナー部に大きな傷が残ることと不快感を生じることが、この再建法の唯一の難点かもね。ま、どんな術式でも良い点と欠点はあるでしょうけど。うーむ。 3月末に開催できなかった職場の送別会に誘われて参加したかったけれど、こんな調子なので欠席しました。来月の新人歓迎会には出たいわ。飲むわよ~!にほんブログ村
2011.04.23
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昨日、元キャンディーズで女優の田中好子さんが、乳がんによる多臓器不全で亡くなりました。享年55歳。早いよ…スーちゃん 初発時の年齢が36歳。私は37歳だったから、スーちゃんの死が人ごとには思えません。 この記事によると、1992年の初発以来、定期検診で腫瘍が見つかるたびに手術をしていたという。初発からの詳しい経過が報じられないのであくまでも私の想像だけれど、最初の手術を全摘ではなく温存で行い(記事にも「早期」とあるし)、局所再発を繰り返していたのかもしれません。肝臓や肺への転移は、それまでは免疫力で押さえられていたがん細胞が、がん以外の病の影響で体力が落ちたすきに、ついに牙を向いた…と理解しました。 19年目に転移したのではなく、初発の乳がんが見つかった時点で他臓器へも微細な転移があった。そう考えると、19年の闘病は「よくもった」「がんばったね」と拍手を送るべきなのかもしれません。 私は、転移・再発については近藤誠Drの理論を信じているので、今こうしている時も身体のどこかにがん細胞はある、と思っています。がんブロガーさんの記事やタイトルで時々「○年目にまさかの再発」とか「術後たった○ケ月で転移しました」とあるのを見かけますが、それは元々「あった」転移が何らかの理由で遅かれ早かれ出てきたのだ…と、思います。 だからこそ、免疫力を高いレベルで維持するために、不要なストレスから逃げ、栄養面を考慮しつつ「身体からの声」を大切に食べたいものを食べ、たとえワガママと思われようと「気分を高揚」あるいは「安定」させるために自分最優先で暮らすことが大切なんです。 「がん」は取ったからお終い。5年、10年経ったから治った、じゃない。このたびの訃報から、その手強さに新たに身が引き締まる思いです。 スーちゃん、19年間の闘病お疲れさまでした。あなたのひまわりのように明るい笑顔、忘れません。ご冥福をお祈りします。にほんブログ村
2011.04.22
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自分自身の覚え書きを兼ね、これまでにかかった費用を書いておきます。 ●ティッシュ・エキスパンダー・・・・・・・・・・・・・¥ 88,600 ※1 ●組織拡張術(ティッシュ・エキスパンダー挿入手術)・・¥156,250 ※2 ●穿通枝皮弁法による乳房再建術・・・・・・・・・・・・¥602,820 ※3 【※1】消費税、送金・事務手数料込み。組織拡張術の約半年前に請求が来ました。 【※2】入院日数9日間。3割負担。 【※3】腋へのリンパ節移植術あり。入院日数12日間。3割負担。 差額ベッド料金¥204,750込み。 これまでの合計金額、¥847,670 …仕上げの手術が20万位だとして、最終的には100万を超えますね。 1年半前に受けた組織拡張術は、生命保険の疾病入院特約の対象となり入院と手術の給付金がおりました(全額)。ただ、以前再建の先輩さんから、契約している保険の種類や手術の内容によっては1回目の手術しか適用されないらしい…と聞いたので、今回はどうなることやら。今回こそ、保険で賄えると大助かりなのですが。 今回の手術料の中には、腋窩リンパ節郭清の後遺症であるリンパ浮腫の軽減のために、リンパ節を移植した分が含まれているので、主治医Drの著書や再建経験者さんのBlogで紹介されている料金よりも高額になっているようです。 しかしこうやって目に見える数字にすると、やっぱり高い 今さら文句を言っても始まりませんが、差額ベッド料金がイタい。術後の管理(血流音チェック)が重要なので、治療する側、患者側双方にとって最善の選択だということは納得しているけれど、「Drが勧めるのなら…」と了承しても「患者希望」扱いで請求されてしまうんですね~にほんブログ村
2011.04.21
リハビリを兼ねて術後初めて家の外に出たついでに、義母宅へ寄りました。手術の報告もあるし、たまには顔を出さないと…ね 義母の「お父さんがいないと、気が楽よ~」の一言に、あぁ、もう大丈夫だ。いつもの義母が帰ってきた、と安堵しました。 義父が亡くなってから、今日で早2ヶ月。 今でも、義父に似た格好をした人を見かけると「お義父さん…?!」と立ち止まってしまうし、日曜日の19時40頃になると倒れた日のことを思い出します 義母は、連れ合いを急に失ったショックに加え相続等の手続きに忙殺されるあまり、一時は情緒不安定になりましたが(当然、とばっちりをうける:汗)、諸々の手続きもほぼ終わり、ようやく落ち着きを取り戻した感じ。よかった、よかった。 義母と一緒に義父のお墓参りに行き、震災のこと、無事に再建手術をしたことなどを報告しました。いつも私たち家族の事を気にかけてくれた義父。これからも何かと報告に行きますから、私たちを見守ってくださいね。にほんブログ村
2011.04.20
※ちょっとだけ過去日記 比較的長期の入院でナマってしまった心と身体は、同じくらいの時間をかけてリハビリするのが好ましい…ような事を以前どこかで読みました。1週間の入院なら1週間かけて、1ヶ月なら1ヶ月。ちょっとゆっくりすぎな気もするし、実際はもっと早く社会復帰せざるを得ないんじゃないかな~。 …と思うけど!今回は大事をとり、決して無理しないと決めました 病気治療じゃないけれど大手術には変わりないもの。自分的には、乳がんの全摘手術以上の(身体への)負担を感じました。数日で退院できる温存手術なんて、チョロいもんです。※全摘も温存も経験した私の、あくまでも個人的な感想です。 再建した乳房の方は全く痛みはありませんが、「脇に何かが挟まっている」違和感があります。腋方向へ張り出した肉が邪魔になり、右腕は真っすぐ下ろせません。4/11の日記でも書いたけれど、これは時間の経過とともに改善されるはず。 当初は硬く張っている再建乳房は、いずれ柔らかくなり重力に従って下降するので、その時に健側と釣り合うよう、あえて上げて作ってあるんだって。形が落ち着いたら、乳首形成と全体の修正のために再び手術をします。 ドナーのお腹は、43cm切っただけに痛いです。左右の腰骨の間をズバー…だもん。でも、にっくき腹の脂肪が減って乳房が取り戻せたのだから、良しとしなくてはね。ドレーンを抜いたあと滲出液がたまってきて、目で見てわかるほどに膨らんでいます。ホントに吸収されるのかな、これ レンタルパジャマ料金は、今度の通院日に専用受付で支払えばOK 洗濯に続き、昨日の夕飯からは炊事も復活しました。 本人達に食べたいものを聞いてみたら、旦那は「カレー!」、キッコロは「豚肉と豆腐の卵とじ」「茄子の揚げ浸し」「ひじきのサラダ」だって。とりあえず今夜はカレーを作りました。ルゥは辛口だけど、玉葱がトロトロに溶けるまでじっくり煮込むから、口当たりが甘くてまろやかなのだ 食材はキッコロに頼んで買ってきてもらいました。 それ以外は、キッコロに録画してもらった「信長」KING OF ZIPANGU(チャンネル銀河で再放送中)をまとめ見したり、入院中に書けなかった日記を更新したり、のんびりマッタリ過ごしています。にほんブログ村
2011.04.18
12日間の入院生活中は毎朝早起きでした。看護師さんに起こされたのは、手術当日の朝だけ(それでも6:10だったけど)で、早いときは4時台に目覚めちゃったりね この早朝の眺めも今日で見納め。 週明けに入院費の請求書が自宅へ郵送されるので、退院時の会計は無し。昨日のうちに清算しなくてはいけなかったレンタルパジャマ代は、月曜日に業者へ問い合わせて相談することに。 今回初めてパジャマをレンタルしたけれど、デザインや気分にさえこだわらなければ、入院のために何着も用意することもなく洗濯の手間も全くかからないのでオススメ。レンタル料金は1日¥200で、何着でもOKです。 そんなわけで「領収書」がないので、昨日事務の人からもらった「退院連絡票」をナースステーションの看護師さんに渡し、ネームバンドをカットしてもらい、退院。最後に顔を合わせたのは、いちばん若いK池先生でした。みなさん、お世話になりました! 旦那とキッコロが病室に着いたのは、11時50分。退院は原則午前中にする決まり(?)なので、待つ間、気持ちが落ち着かなかったわ。全てを片付けてガラーンとした病室のベッドに普段着で横たわったときの居心地の悪さったら、もうね…「私ここに…いてもいいの?」と。あぁ、落ち着かなかった。 病院内のレストランで家族3人で昼ご飯を食べ、14時過ぎに帰宅。 しつこく「掃除をしておいて!」と言ったからか、さすがに前回の退院時のような「床にホコリがほわんほわん」見える状態ではなく、奇麗にしてありました。夕飯も旦那が適当に作ってくれて助かりました。ただ、洗濯カゴにてんこ盛りの洗濯物を見たら我慢ができなくなって、洗濯だけはやっちゃいましたが…【この先2週間の予定】 ・3~4日は引きこもって自宅療養。無理をしない程度の炊事と洗濯はやる。 ・来週半ばから近場(徒歩圏)へ外出。大丈夫ならバス外出。 ・再来週から、できる範囲で普段通りの生活に戻す。にほんブログ村
2011.04.16
病室の窓からの風景もそろそろ見納めかな…と思うと、なんだか名残惜しく感じる今日この頃です。 さて、最後に残った上腹部皮下ドレーン。 排液量38mlと微妙ながらも、抜去! もしも、皮下に液が溜まったり熱をもった時は、速やかに外来へ電話するようにとのこと。これまでも乳がん全摘手術後をはじめ、一昨年のTE入れの時も少し長引いた。でも、感染とかのトラブルは起きなかったから今回もたぶん大丈夫…な気がする。 このまま入院がダラダラ長引く、あるいは、排液パック&ドレーンを「お持ち帰り」するよりはマシだ! そして、待ちに待ったシャワー。11日ぶりに全身をくまなく洗い、さっぱり!気持ち良かったぁまさに「生き返った気分」 シャワー後のケアも忘れずに。胸とお腹に絆創膏(優肌絆:ゆうきばん)を貼ります。傷跡が赤く盛り上がらないよう、術後3ヶ月間は2~3日ごとに貼り変えます。 先生と看護師さんたちが口を揃えて「(ドレーン)抜けましたね!」「いよいよ退院ですね」と笑顔で言ってくれる度に、家に帰れる嬉しさが倍増します。上げ膳据え膳、読書、TV見放題の生活からのお別れは残念だけどね(←おい)。 点滴から解放されたあたりから、それまでの「人にやってもらう」受け身の自分よりも、能動的な自分のイメージがムクムク湧いてきて、このままじゃいけないな~と思い始めました。旦那とキッコロの好物を作ってあげたい、庭の手入れがしたい、不要品の整理がしたい…。普段通りの生活がしたい、ってことね 不思議と「舞台を観たい!」と思わないのは、傷が癒えていないせいかな。ま、そのうちに。 明日はキッコロも来てくれるそうで楽しみだ。 夕御飯。明日の夜は自宅だから、最後の晩餐ね。 ※4/20 加筆、編集。にほんブログ村
2011.04.15
早く家のMyパソ子からブログ更新したいな~。下書きはバッチリですわよ。 今日も上腹部皮下のドレーン抜けず! おまけに60→40→43mlと微増。これで退院は明後日以降におあずけ。私の身体って湿っぽいのかな… ドレーン抜ける→シャワーOK→翌日退院って事で、明日の退院に備え家では旦那が私のバスタオル等を洗濯してスタンバってたみたい。ごめんね。 実はバスタオル。退院直後は清潔なのを使いたいから入院の直前に洗濯して、花粉が着かないようわざわざ浴室乾燥機で乾かしたんだよん。その辺は私、抜かりないからさ。心遣いだけは有り難く頂戴しますわ旦那様。ありがとね 昨晩キッコロに電話で「家に帰った時に床が埃だらけだったりあちこち汚いと『帰ってきた早々、私に掃除しろって事かい!?』と、泣きそうな気持ちになるから掃除しておいてね」とお願い…と言う名の命令をしておいた。 これってさ、言われる側にとっては「何様だよ」とムカつきかねないけれど、ちゃんとした理由がある。 退院後の日常生活動作は、基本的には制限がない=今まで通りでOK。ただ、2週間近い入院生活で体力と筋力に加えて気力も落ちているから、いきなり元通りはしんどい。家事は当然主婦である私の仕事と言うか、役割だと自覚しているので余計にね。わかるかな…この心境が。 炊事・洗濯・掃除の中で最も体力を使う掃除だけでも、家に帰ってから数日はやらなくていい状態にしておいて貰えると助かるの。何も「く~てん様のお帰りだから綺麗にしろ」って事じゃないのよ。 お腹の傷の痛み。手術直後から3~4日は咳をしたり笑うだけで痛みが走ったけれど、徐々に痛みが和らぐにつれ「ひきつり」「突っ張り」感が増してきました。特に脚の付け根に近い方の下腹部がキツくて、超強力なゴムで引っ張られているみたい!無理して伸ばしたらパーン!…と裂けそう。(←イメージです) 血流音チェックは今日が最終日。移植した皮弁は、引っ越し先の胸でしっかりと生きています。 明日は30ml台になるかな~。 ※4/19 編集、加筆。にほんブログ村
2011.04.14
血流音チェックは昨日と同じく、1日1回のみ。 最後の1本、上腹部皮下ドレーン抜けず。量的には昨日の60→40と、明日に希望をつなぐ。理想は30ml以下だけど、30台前半なら抜けるそう…うーん、微妙。 今日も洗髪してもらえて、すっきり 洗ってくれた看護師さんは岩手石巻の出身。家族も家屋も幸い無事だったが、ようやく連絡が取れた13日までの3日弱の間、TVから流れる被災地のニュースに生きた心地がしなかったそう。今もできることならご実家に飛んでいきたいだろうに…気丈に頑張っているんだね。 体重が、入院した日に測った時よりも微増。腹部から採ったドナーの脂肪は、再建に使わない「余り」は廃棄だし、病院食は低カロリーなのになぁ…やっぱ運動不足だからか。1日の歩数、たぶん100歩ないと思う(汗) 信長の夢「安土城」発掘を読み終える。まるで自分自身が謎解きをしながら発掘しているような臨場感があって、グイグイ引き込まれた。信様大好きなキッコロにもおすすめ!※4/19 編集、追記。にほんブログ村
2011.04.13
昨夜久しぶりのブログ更新で夜更かしをしたせいか、入院以来初めて朝まで熟睡した。一昨日から病棟内の歩行がOKになり、洗濯や散歩(と言っても、病棟をぐるりと一周する程度だけど)で身体を動かして疲れたのかも?いずれにしてもぐっすり眠れて嬉しい。 今日から血流音チェックが1日1回に。 行動範囲も病棟内から病院内へと広がる。早速、売店へ買い出しに行ったよ! おヘソと乳房下、腋の抜糸。乳房の下部には、乳房の形(くびれ?)を作るための支えの糸が入っていた。所々縫い付けて当てていた…と表現した方がいいのかな。自分でもじっくり見ていないのでよくわからない(苦笑)。抜糸する時、ちょっと痛かった。 上腹部皮下の滲出液、60ml。退院OKの30台にはまだほど遠い リザベンの副作用がお腹(腸)に来てしまったため、今日から服用を中止した。前回の術後も処方された分を飲みきれなかったし。身体にあわないんだよ… 少々キタナイ話で申し訳ないが、「小」をしようと便座に座ると、便意が全くないにも関わらず「大」が出てきてしまうのだ。当然ゆるい。日頃便秘がちな私の1日のお通じ回数が7回って、明らかに異常。 午後、再建同志のひとマロンさんがお見舞いに来てくれた。わざわざ県外から、遠いのに…ありがとう 私からは、ちょっとだけ先輩として体験談や入院中の心構え(?)を話した。64時間耐久レースさえ乗り切れば、あとは何とかなるよ!退院したら今度は私がマロンさんを訪ねるからね。 乳がんを経験したのちに再建しようと心に決めた。乳房再建を同じDrに託した仲間ならではの共感が嬉しい。群れることは好まない私だけど、仲間は必要だとつくづく思った。いっしょにがんばろうね。にほんブログ村
2011.04.12
※この日より携帯で記事を投稿。 ツイッターでは入院生活を呟き中(blogと同一IDでやってます)ですが、久しぶりに日記も更新します。8時間を超える手術も無事成功し、とにかく安堵の気持でいっぱいです。まだ完成形ではないので、大感動~!というよりは、右胸に蘇った温かな膨らみが懐かしいような…不思議な気持ちですね。 今朝目覚めた時の姿勢が横向きだったうえ、脚を乗せるための三角枕が床に落ちていた。身体の自由度が増した証拠ね♪ 術後初めての洗顔。腕が自由に使えるって素敵また、看護師さんからの提案で、思いがけず洗髪してもらうことに。入院当日の朝に自宅で洗ったきりだから、1週間ぶり! 売店の「おつかい代行」(注文予約)ができると知り、早速飲み物とおやつ少々を注文。10時半までに注文した品を午後部屋まで持ってきてくれる。病棟外へ外出できない人は助かるね。 血流音チェックが12時間毎(1日2回)になる。 今日は、主治医のDr.Sが4回も病室に来てくれた。朝8時には単身、再建チームの回診が2回、診察で1回。こんなに多い日もあれば全くお目にかからない日もあり。部下のS山先生とK池先生と若い女医さんは、ほぼ毎日来てるかな。 腋の違和感(乳房が横に出っ張った感じ、何か挟まっている感じ)は、時間が経つにつれ消える、とのこと。胸を見て「うん。いいね」の一言に安堵する。 今日で東日本大震災から1ヶ月ですね。 入院中も毎日余震があります。今夜も比較的強い地震があり、ここ14階では大きな揺れを感じました。でも、すぐに看護師さんが「大丈夫ですか?」と様子を見にきてくれるので、不安は感じません。 命の瀬戸際に立たされた被災者の胸中を思うと、入院手術とはいえ命に直接関わりのない事で痛いだの痒いだの不平を言う自分がたいそうワガママに思えてしまいます。そして何と自分は幸せなのだろうと。 被災地に以前のような日常が戻り、皆様に平穏な時間が一日も早く訪れますことを願ってやみません。※4/19 編集、追記。にほんブログ村
2011.04.11
今朝、猛烈な痒みで目が覚めた。 今一番私を悩ませているのが 脚の「あせも」…64時間連続装着した弾性ストッキングとマッサージポンプで蒸れたせい。悪化させないよう看護師さんに「掻いちゃダメ!」と言われているので、痒みの発作が来る前にレスタミンをひたすら塗り塗り。※記事の下方に「あせも」脚の画像あり(見苦しいので注意) ←画像は、 3/24に採血した輸血用の自己血(返血中)。「生モノ」につき2時間で返したいところを1時間オーバー。血が増えたら血圧も上がるかな?と思ったけど変わらなかった。入院中、大体上105前後、下62~3辺り。これにて点滴針ともおさらば。やっと病室の外に出られる 1日の滲出量が30mlを切った下腹部皮下と皮弁下腋窩のドレーンを回診時に抜いてもらう。 日常の普通の状態を自由度100%とするなら、昨日までは30%、今日は一気に65%位までアップした感じ。尿管と点滴からの開放感は格別。術後は不自由なりに、これらの管がいつ抜けるかという「目標」があるから、頑張れる気がする。残すは、上腹部皮下のドレーンのみ。 血流音のチェックが6時間おきになる。 旦那は投票、家事、庭仕事。キッコロはドラムレッスン+買い物。投票以外は普段と変わらぬ休日を過ごしているもよう。(買ったままだった白藤の苗木を植えてもらった) 誰も見舞いに来ない予定なので、超マッタリな昼下がりを満喫する。個室はTVが見放題なのでBSをぶっ通しで見てた。特に見応えがあったのが深海探査のドキュメンタリーに『アタカマ砂漠マラソン』。普段自宅では何時間もテレビを独占できないもん。しかし、総合テレビより一足早く『江』をやっていたとは知らなかった!おかげで2回見れた 選挙結果速報は5分で見るのを止めた。私の期日前投票は…残念っ 「あせも」脚画像↓↓ か~ゆ~い~~~。※4/19 編集、追記。にほんブログ村
2011.04.10
血流音チェックが4時間毎になる。 歩いてトイレに行かれるようになった昨日から、待ってました!とばかりにお通じが復活。お通じがあることは良いのだが、手術の翌日から飲んでいる「リザベン」の副作用なのでは?…と気になる。(傷の瘢痕形成予防のために服用)腹痛はない。※参照ー09'12.01「リザベンの副作用」 【胸部皮下、皮弁下腋窩、上腹部皮下、下腹部皮下】の4カ所に入れられたドレーンから術後の体内で滲み出している血液やリンパ液が陰圧で強制的に吸い出されている。トイレに行く時は、ドレーンの先にある排液パックを2つの専用ポシェットに分けて肩から下げ、左手で点滴台を押して歩く。 今日は、滲出量の少ない胸部皮下のドレーンが抜けた。 病室内のみとは言え、歩けるようになったら浴衣よりパジャマがいいな…ってことで、1人で着替え。点滴中の左腕に注意しながら、そろーりそろーりと慎重に着替えたつもりが…あぁ、やっちまった~ 点滴の針が刺さっている手の甲から20cm位先までの管が真っ赤だ。血が逆流し、点滴が一滴も落ちなくなった。血管が細いため、毎回血管確保には苦労する。無事に点滴が入っても5日前後で破れるか詰まって使えなくなり、新たな血管を探して刺し直し。この刺し直しが大嫌い。(好きな人は稀だと思うけど) 今回は調子が良くて、ひょっとしたら1回で済むかも?と期待していたのに…馬鹿やっちゃったなぁ 点滴は今日でお終い。明日の自己血返却が最後だったのに。惜しい。やむを得ずナースコール。ほどなくして看護師さんが来る。 点滴チューブの連結部分(?)から注射器で生理食塩水を入れようとしても、全く入らない。血が完全に固まっており無理に押し込むのは危険とのことで、新しく刺し直すことに。夜勤と日勤の交代時間と重なったらしく、Drも看護師さんもしばらく来ず。 30分ほど待った頃に現れたDrは、年配のおじいちゃん(失礼!)先生。名札の診療科名は、再建外科とは関係の薄い科。ちょっと不安になるが、そこはかとなく漂うベテランの風格を信じて任せるしかない。 …が、不安が的中。老Drの手つきや手順は、素人の私から見ても「最後に血管確保したのはイツデスカ?」と訊ねたくなるような、久しぶり感 が見てとれる ここでは血管確保に至るまでの詳細は書かないけれど、血管を探すのに苦労されていました。1度目に刺したところは使えず、2度目に何とか。 二の腕の内側。ちょっと珍しい場所? 看護師さんのお話によると、老Drは某科の教授先生だそう。おそらく(血管確保は)久しぶりだったんじゃないかなぁ…とのことでした。うひょ~。 その後は無事に点滴も落ち(腕を曲げると止まっちゃうけど)、術後から続いた1日2回の化膿止め点滴が終了。 旦那が来てくれた。すぐ近くの病院に入院中(出産で)の親類を見舞ったあと、徒歩でこちらに来たそうだ。キッコロにも会いたいのに、花粉症が酷くて外に出られないそうだ。寂しいけど仕方が無い。新学期も始まったし、今年は受験生だから、自分第一で精進してくれたまへ。にほんブログ村
2011.04.09
今日から血流音チェックが2時間おきに。ドップラーで聞くと「ヒュン!ヒュン!」と元気の良い音が聞こえる。回診のDrや看護師さんに「いい音ですね」と言われ、一安心。 手術から3日間背中に入っていた硬膜外麻酔が終了。管を入れるときも変な感じだったけど、抜く時も変だった。ずぞぞぞ~~ これが無くなると胸の傷が痛むのでは?と心配したが、全く影響なし。 10時すぎに清拭。昨日までは、清拭後にふたたび 鬱陶しい 弾性ストッキングとポンプが装着され「うへぇ…」と凹んだ。しかし今日は…「歩行できれば」外してもらえる。 こうなったら意地でも歩く!と気張っても、さすがは3日間寝たきりの身体。思うように動かない。頭がフワ~っとして、身体に力が入らない… ベッドに腰掛けて何度か深呼吸をし、全身に酸素が行き渡ったところで(←そんなイメージ)トライ。歩けた~! そのまま歩いてトイレへ行き、尿管を抜いてもらった。 まだ点滴と4本のドレーンに繋がれているけれど、自由の身に一歩前進した気分。 4/5の18:00から8日の10:00まで。64時間の耐久レースが終わったぁあ!にほんブログ村
2011.04.08
ようやく携帯を持つ元気が出てきたので、早速Twitterで呟く。暇つぶしには最適。個室なので遠慮なしに携帯が使えるのも嬉しい。(大部屋でも看護師さんの許可を得てメールしてたけどね) 今日も1日中仰向けで安静。1時間毎の血流チェックが続く。血はいい感じに流れているみたい。 シップが効いたらしく腰痛はかなり治まった(気にならなくなった)が、今度は脚の痒みが耐えがたいレベルになってきた。全身麻酔の合併症である肺塞栓(エコノミークラス症候群)を防ぐためとはいえ、肌があまり強くない人には、弾性ストッキングとマッサージポンプのWパンチは、かなりしんどい… 術後48時間が経過した18:00から(手術室から病室に戻った時間)は、ベッドの背もたれを45度以上に起こしてもOKになった。寝たきりから「座れる」だけでも進歩…と思いたいが、↑↑↑脚がこんな状態なので全然自由じゃない。それにまだ左腕には点滴、胸と腹には4本のドレーンが入っているからね。 主治医Dr.Sの著書にも記されている、再建経験者さん達が口をそろえる「48時間(2日間)の辛抱」…ウソじゃん!とは言わないけど、実際は2日半以上だよね。今夜一晩辛抱すれば、明日は必ずゴールに辿り着く!と自分を励ます。 看護師さん経由で、ひとマロンさんからの差し入れをいただく。そっか…今日は木曜日、再建外科の外来の日だったね(曜日感覚が無い…)。遠くからの通院で大変なのに、ご自身の手術も近いのに…ありがとうマロンさん 旦那も手術当日から3日連続で来てくれてる。昨日とは比べものにならないくらい食欲が復活したので、お裾わけできる夕食も少しだけ。ゴメンねにほんブログ村
2011.04.07
昨夜から明け方までは意識がまだ朦朧としていたせいか、身動きできない辛さも傷の痛みも殆ど感じなかった。ひたすらじっと横たわるのみ。 今朝から食事が出されたが…これがたいそう難儀だった。 許可されている45度までベッドを起こしても、テーブルの上にあるお膳が見えない。手術をした右側は動かせないので、利き手でない左手1本で食べなくてはいけない。しかし左手には点滴が刺さっている。うーむ「どうやって食べろと…」 まぁ、それ以前に食欲が無かったので、見えない器の中に適当にフォークをさして捕獲(笑)できたものを3、4口食べた。ご飯とインゲンのごま和え…だったような気がする。結局この日は、昼食も夕食も少ししか食べられなかった。 今日も1時間毎に血流音のチェック。ドナーの腹(脂肪)の血管と胸の血管を繋ぎ、ちゃんと血が流れているかを確かめているのだ。 昼前あたりから、腰痛が増してくる。傷の痛みよりも腰痛がつらい。 点滴に痛み止めを入れてもらう。あとは清拭のさいに貼ってもらったシップで何とかしのがねば…つら。身体の清拭と着替えの時は、弾性ストッキングとポンプからも解放されてほんの短時間だけ横向きになれるけど、あとはひたすら仰向け姿勢で安静にしなくてはならない。ほんの少し身体を傾けたり、脚を動かす程度はOKだけど…つら。 夕方、仕事帰りの旦那が見舞いに来る。ご飯を「あーん」と食べさせてくれた。やっぱり術後すぐは身内の介護の手があると助かるね。夕飯の残り(残りの方が多い)は旦那が完食。にほんブログ村
2011.04.06
6:10 起床。一昨日は3時間しか眠っていないので、さぞや熟睡できるだろうと期待した割に眠れず。夜中に数回目覚めてしまう。見回りに来る看護師さんの気配で起きちゃうんだよねぇ。やれやれ。ま、これから強制的に8時間眠らされるから、いっか 洗面台の鏡の前で、セルフ・ヌード撮影会(笑) 今の身体にサヨナラ。 7:05 昨夜飲んだ下剤が効かず7時までにお通じが来なかったので座薬を入れる。効け! 15分後、めでたくお通じあり。浣腸回避。アリミデックスのみ少量の水で服用。乳がん再発予防の薬だけは、こういう時でも欠かせないってことか。 旦那より、中央線が止まっているため井の頭線と東横線経由で来る、との連絡あり。手術開始に間に合わないことが決定。でも寂しくないよ。むしろ遠路はるばる私のために時間を使わせて申し訳ない気持ち 8:00 浴衣&T字帯に着替える。弾性ストッキングも履く。この時点で旦那はまだ渋谷辺り。X JAPANの「Rusty Nail」を聴いて気合いを入れる。 8:20 いざ、手術室へ。エレベーターと徒歩で移動。3階にある「手術室総合入り口」(正式名知りません)前で椅子に座り、名前の確認に続き帽子を被らされる。麻酔医、看護師ら手術スタッフと顔合わせの後、いよいよ手術室へ。通路の両脇に手術室が並び、「おお、さすがは大病院」と関心してしまった。 私の手術室は、ほぼ再奥の11番。手術時間が長いから奥部屋なのかな…?社会見学気分でキョロキョロ見回してしまった。手術衣のDrや看護師さん達、皆カッコいい。「医龍」みたい。水色、緑、紫…手術衣の色が違うのは何故だろう? 入室のBGMは、家から持参したMy Favorite 『美メロ』にしてもらえた。本当は昨日のうちに提出しておかなくてはいけなかったんだけど、今朝渡して間に合った。良かった♪ 心電図と血圧測定の器具を付けられる→左腕に点滴の血管確保→横向きになり背中に硬膜外麻酔を入れられる→仰向けになり左腕から麻酔薬注入される→ ・・・およそ9時間経過 18:00頃 気づいた時は病室のベッドの上でした。側に旦那がいた。おお嬉しぃ。酸素吸入マスクのビニール臭には耐えがたいものがあるが、術後にしっかり酸素を吸うことが大事なので我慢する。時々外して外気を吸ったけど。すーはーすーはー。1回だけ軽い吐き気に襲われたが、順調な覚醒だったと思う。旦那は面会時間いっぱいまで居てくれたのかな。 夜通し1時間毎の血流チェック。起きているような眠っているような。人の出入りがこれだけ頻繁にあると、やはり大部屋では何かと不都合が生じるんだろうね。個室で正解。 とにもかくにも、無事に本手術が終わった。ついにやっちゃったんだなぁ…。 ゴールではなく、これは新たなスタート。そんな気持ちだった。※4/21 加筆、編集。にほんブログ村
2011.04.05
あれよあれよと言う間に、乳房再建の本手術を迎えてしまいました。 通常通り仕事の旦那と、いつめんと原宿に遊びに行くキッコロ(春休み中)とは、朝のうちに「頑張ってね」「うん。行ってくる」と、ごくごくアッサリ別れ(?)の挨拶を済ませ、前回同様1人で病院へ行きました。手術入院はこれで5回目だしね、行く方も見送る方も慣れちゃったわ 家を出る前、キッコロに上半身(裸)の写真を撮ってもらいました。ボン!と膨らんだTE…C、いやDカップはあるな。「なんちゃってグラマー」ともお別れね。退院したらまた元のペチャパイ生活に逆戻りかぁ~と思うと、正直ちょっと複雑な気持ちになりました。あはは 今日の動きをざっと。 11時過ぎ、出発!キャリーバッグが重たいのでタクシーを呼ぶ。八王子経由、桜木町乗り換えで阪東橋へ。今日ばかりはリンパ浮腫を起こすまじ!…と、利用できるエレベーターは遠慮なく使う。しかし、エレベーターの無い(あるいは遠い)駅でも節電のためにエスカレーターが止められて必然的に階段を上り下り…逆にいつもより腕を使ったような 13:30頃、病院着。入院手続き→服用中の薬(目薬も)を預ける→レンタルパジャマ申し込み→お迎えの看護師さんと病棟へ。病室は14階。個室は初めて!自分専用の洗面台、シャワー、トイレ、クローゼット。電話とTV(プリペイドカードいらず)、これは快適に暮らせる予感~個人の希望ではなく、主治医の勧めで個室にしました。 しばらくの間は、ここが私の城ね。 術後に必要なものを売店へ買いに行く。T字帯、パッド、絆創膏など。昼食を食べておらず空腹MAXだったので、軽く腹ごしらえ用のお菓子も。 パジャマのレンタルは明日からなので、自前のパジャマに着替え。 看護士さんがやってきて身体測定。身長がまた微妙に縮んでいる。逆に体重は昨日より1,3kg増えている。なぜ 15:00 主治医のDr.Sがマーキングするため病室に来る。まだシャワーを浴びていなかったため出直していただくことに。(「夕方」と聞いていたのだが…)念入りにシャワー浴。しばらく身体を洗えないものね。 16:20~17:00頃 Dr.Sふたたび。術前写真撮影とマーキング。別室にて手術の説明を受け、同意。まな板の上の鯉?いや、大船に乗った気持ちで「よろしくお願いします!」 手術に要する時間は8時間を予定。【右胸からTE摘出→腹部から皮弁(血管付きの脂肪)とリンパ節を採取→腹部閉じる→右胸に皮弁を、右脇にリンパ節を移植→胸閉じる】ざっとこんな流れのようです。 下剤効かない→座薬効かない→浣腸…は避けたいので、プルーンと水分を多めに摂る。効いてくれぇ。術後3日弱身動きがとれないため、出すものを出しておかないと大変なのだ。固形物は9時まで、水分は12時まで摂取OK。にほんブログ村
2011.04.04
※過去日記 本日、義父の四十九日法要と納骨を済ませました。 法要は、亡き義父の家からも我が家からも歩いて行かれる小さなお寺で、告別式同様にごく近しい身内だけでひっそりと執り行いました。通夜、告別式(初七日も)、四十九日と同じ場所で落ち着いて義父を送れたことは良かったと思います。(金銭的にはお高いけれど、こういう点は檀家のメリット?) 法要のあとのお斎(とき)は近場の料亭にて、やはり家族のみでこぢんまりと。美味しい懐石料理とお酒に舌鼓を打ちながら故人を偲びました。 本人が目標にしていた90歳まであと少し…!で逝ってしまったことは残念でしたが、「死ぬ時は誰にも迷惑をかけずポックリと逝きたい」との希望は叶いました。 義父は夜の7時40分頃に倒れたのですが、昼には「たまには自分の食べたいものを作る」と言い、自ら台所に立って好物の鶏肉の煮物だか汁物を作って食べ、倒れる4時間前には近所の床屋で散髪をし、お店の人に「お年の割には若々しいですね」と褒められたとか。7時半すぎに2階の自室から降りて来て、「今日は『江』を見なくては」と言いながら、薬を飲むためDKの定位置に座って…。リビングで縫い物をしていた義母が「ドタン!」という音に気づいてDKを見たら、義父が床に倒れていたそうです。 義母から連絡を受けて駆けつけた時には、義父はすでに意識がなく心肺停止でした。不謹慎かもしれませんが、旦那も私も義父を見た瞬間に「あ…死んでる」と思いました。義父は15年前、胸部と腹部にその当時すでに手術不能なほどの大動脈瘤が見つかり、破裂のリスクを抱えて生活していたのです。(破裂=死ぬ可能性大) 救急車で市内の病院に搬送したものの、蘇生は無理と判断し、救急救命の措置はお断りしました。看てくださったDrの所見によれば、大動脈瘤が破裂し心臓の周りに血液が溜まっていたそうです。急激な血圧低下により、速やかに意識が無くなり、そう苦しまずに逝ったのではないでしょうか…とも。 数日前まで「老親介護問題」でウダウダと悩んでいた私自身が恥ずかしく思えます。ただ、誰にも介護の手間をかけさせずに逝った義父に対しては、もっと嫁らしく労ってあげればよかったと後悔もしますが、死の哀しみ以上に感謝の気持ちを抱きます。 最後まで家族思いの人でした。ありがとう、お義父さん。(ちょっと裏話) 本来の四十九日目は4/10ですが、私が明日から入院するため一週間早めて行いました。私抜きでやってくれても全然構わなかったのですが、「家」として執り行う法要ではそうもいかないらしく、1人でも欠けるのは好ましくないと。それについて、親族の中には「く~てんのせいで49日通りにできない」との不満や、日程が決まったら決まったで「く~てんに合わせてあげた」と恩を売る(?)ような声も聞こえましたが、それもこれも義父に近い肉親ゆえ、義父を第一に考える愛情の表れだと思うことにしました。 実際は私の他にも10日が法要でなくて助かった者が数名いるので、結果的には正解だったんですけどね~ 面と向かって反論できないから、せめてここに書かせて!(苦笑)にほんブログ村
2011.04.03
昨年の9月からTwitterを始めた私ですが、すっかり「ツイ充」になってしまいました(汗) リアルタイムで「いま」を呟ける手軽さと、次々と流れ行くTL(タイムライン)に自分の呟きがあっと言う間に過去のモノになる気軽さが、今の自分にしっくりきたというか…元々あまり文章(長文)を書く事が得意ではないので、結局「楽な方へ」逃げ(?)ているのですよね。とほほ。 そんなわけでついblogが放置気味になり、定期的にのぞいて下さる方およびコメントを下さった方には、大変失礼をいたしました。今夜あたり、怒濤の過去日記アップ…できれば!
2011.03.31
※過去日記 先週のレッスンは計画停電の影響で休講になりました。 闇鍋ならぬ「闇ドラム」もオツかと思ったんですけどね… 今日は先々週同様、2ヶ月前に少しだけやったリズミック・パターンとフィル・インをやりました。 8ビートを叩きながらバスドラムのリズムパターンが変化しても、難なく対応できます(今のところは)。頭で考えなくても腕が勝手に8ビートを叩くので、右足にだけ意識を向ければいい。そんな感じ。でも相変わらずフィル・インはモタついてしまいます。流れるようなフィル・インが叩けるようになるのは、いつの日か…まだまだ。 来月は入院と自宅療養のため休学し、5月から復帰する予定です。にほんブログ村
2011.03.28
※過去日記 乳房再建本手術に備えた自己血輸血の採血のため、Y市大センター病院へ行ってきました。 採られる血は400ml。牛乳瓶2本分も…「今まで一回も献血したことが無いんです…」と、やや不安がる私に、Drも看護師さんも「皆さんそうおっしゃいますけど、大丈夫ですよ~」と明るく言ってくれました。 採血は左腕から。右腕には血圧測定のバンドが巻かれました。血圧バンドが緩んだ間にペットボトルのお茶を飲みます。採血中の水分補給は欠かせません。15分少々で終わりました。ベッド(安楽椅子型)から降りるさいに少しフワ~ッとした感じがしたけれど、目眩や貧血も起こさず大丈夫でした 採った血は輸血用のパックに「ぱんぱん」に詰まっていて、触れたら生暖かかったです。形といい色といい、まるでレバーだわね。あまり気持ちの良いものではないけれど、これが手術の時に心強い助けになるのだ! 病院帰りにNODA・MAPの「南へ」を観る気でチケットも取っていたんだけど、移動距離が遠くて万が一体調を崩したら困ると思って、まっすぐ帰宅しました。先月に1回観たし。…その日の晩に義父が急逝したのでまだ感想を書いていないけど、火山と福島原発、火山活動(による地震)データを公表しない観測所と政府、東電をはじめお偉いサン方とダブるんだよねぇ…にほんブログ村
2011.03.24
【アトリエ・ダンカン/バックステージプロジェクトプロデュース】 ROCKミュージカル ピンクスパイダー 脚本:竹内佑 演出:荻田浩一 音楽監督:iNA 出演:武田真治/渡部豪太(Wキャスト) 南沢奈央/高橋瞳(Wキャスト) J(友情出演) ほか バンド :defspiral 東京グローブ座 開演13:00 キッコロと鑑賞。とりあえず記録のみ。
2011.03.20
TOKYO DANCE TODAY #6 『あらかじめ』 作・演出:小野寺修二(カンパニーデラシネラ) 出演:佐藤亮介/中山祐一朗/藤田桃子/宮下今日子/小野寺修二 青山円形劇場 開演19:00 未曾有の大地震と大津波から今日で6日目。震災後、初鑑賞です。 12日に観る予定だった「国民の映画」は、いつ止まるかわからない交通機関への不安と、あんな大惨事の翌日に舞台鑑賞する気になれず、自主的に行くのをやめました。自粛ではないですよ。あくまでも自分がそういう気持ちにならなかった、だけのことです。 お客さんの入りは7割ってところかな。全方向から見られることを想定した作品なので、席の当たり外れは無しね。お気に入りの役者さんが近くに来る回数が多いか少ないかの「運」は、多少あるかもしれないけれど。 芝生を模したらしき丸い緑の舞台には、おのでらん作品でお馴染みのトランク、机や椅子、ゴルフのパター(?)など数多くの小道具が散らばっています。無造作なようで全てが計算しつくされた配置なんだよね、これが。これらをどう使うのか、登場人物たちとどう関わっていくのか、想像するだけでワクワクします。 「今回の地震で被災された方々に心より哀悼の意を表します。そして今日ここに来てくださった方々、ありがとうございます。…がんばります!」の前口上で幕が開きました。こちらの気持ちも引き締まります。 マイムとダンスと芝居を融合させた、ミステリー仕立ての不条理劇。相変わらず、よくわかんない!(爆)いや…理解しようとしちゃぁダメなのよ。なんと言うのかな、トランプの神経衰弱かルービックキューブのように、頭を使いつつ「遊ぶ」感じに似ているんです。 今回はいつも以上にピースがバラバラって感じで、起承転結、オチなし。観ている側が、エピソードをつなげてストーリーを作れとでも?そういう意味では、「空白に落ちた男」より難易度が高いかもね。 ま、面白かったことには変わりなく。満足しましたにほんブログ村
2011.03.17
※過去日記 早番出勤の今日、私は午後2時45分に勤務を終えて家に帰る予定でした。 窓口業務を遅番のパートさんに引き継ぎ、後方の席で書類の整理をしながら時計を見ると、45分。社員さんに「キリのいいところまでやったら、あがります」と告げた直後…ゆ~ら~~~ゆ~ら~~~と船の上にいるような大きな揺れが。あまりにも振幅が大きいため、咄嗟にそれが地震だと気づきませんでした。「え?一体何が起こってるの?」と疑心暗鬼でいると、またも大きな揺れ。それでも「…?何これ?」とワケワカラン状態(たぶん口をぽかーんと開け、視線が泳いでいたと思う) 1人の男性社員さんが「ちょっと!地震だよ、地震。誘導する立場なんだから、ロビーに出なきゃ!」と言い、ようやく我に返りました。私がロビーに出た時には、すでに大半のお客様は外に出て様子をうかがったりカウンターにしがみつくなど、各々で行動されていました。怪我を負ったり具合が悪くなったお客様もなし。※ちなみにこの辺は震度5弱でした。 繰り返し起こる大きな揺れに「これは、どこか離れた場所で大地震が起こったな…」と不安が過りました。ついに東海地震が来たか、それとも数日前にも地震のあった宮城沖あたりが震源か。…と、上司が上階から降りてきて「宮城で震度7」と教えてくれました。宮城には、大学の同級生のSさんと、blogでおつきあいさせていただいているまる @^_^@)/さんがいるじゃないのー! 一応勤務を終えて帰る準備をしたものの、余震が怖くて建物の外に出られません。家族の安否確認のため携帯に電話とメールをしても全然繋がらない。食堂のTVでは、想像を絶する大津波の映像が…。被災地の被害の大きさが明らかになるにつれ、電話回線は被災地優先にすべきだと思ったので、家族への連絡は控え(時々はトライしたけど)Twitterでの呟きとリツィートに移行しました。というか、この時点で機能していた連絡手段はTwitterだけでした。旦那からはCメールが届き安全が確認できたものの、キッコロはメールはおろかTwitterの呟きもストップし、不安MAX。 ずっと会社にいてもキリがないので5時頃に帰宅。家の中は、引き出し式の収納が飛び出したり飾ってあったものが落ちた程度で、とくに大きな被害はありませんでした。安全装置が作動したのか、ガスだけが止まっていました。首都圏の交通網は全てストップ。旦那とキッコロは、どうやって家に帰るのかしら…心配 旦那は徒歩とバスを乗り継ぎ、10時過ぎに帰宅。ずっと音信不通だったキッコロは、学校の電話を借りてようやく声が聞けました。自宅に帰れない生徒の親宛に、学校側が順番で電話をかけ続けていたそうです。キッコロの携帯が通じなかった理由は、地震による回線の混雑以前に電池切れ…何のための携帯だよっ!災害時でもTwitterは使えることがわかったので、今後はこういう事がないようにしてよね(怒) 連絡がついた当初は「学校に泊まる」と言っていたキッコロですが、その後、同じ方面に帰宅する生徒の親御さんの車に同乗し、日付が変わった頃に帰ってきました。保護者が車で迎えに来るたびに「○○方面に帰る人いないか~!」と、先生が呼びかけていたそうです。あとから聞いた話では、お泊まりした生徒は結果的にゼロだったとか。キッコロを乗せてくれた保護者様がどなたか存じませんが、ありがとうございました。 この日からTVとPC(Twitter)に釘付けで慢性的な睡眠不足に…だって、見ず、知らずでいられないんだもの。 この未曾有の惨事を他人事だと割り切れるほどドライじゃない。けれど、どこか遠い世界で起きた悪い夢のようにも思えてしまう。現実味がないのは仕方がないよね。だからせめて、知りうることを知ることが、義務のような気がするの。 その後は、普通に社会生活を送りつつ被災地へ心を向けることと、何にせよ感謝の気持ちを忘れないこと以外は、いつもと変わらぬ日常です。(計画停電はあったけど)にほんブログ村
2011.03.11
早いもので、先日の開花日記から今日でちょうど一ヶ月ですね。 庭のクリスマスローズは次々と花芽をつけています。ピンクラッフル、ダブルクイーンミックスに続き、エレガンスホワイトも開花しました。 大雪の2/15に株ごとすっぽり雪に埋もれ、こりゃぁダメにしたかも…と心配したんです(雪はすぐによけました)が、何とか無事で良かったです。クリスマスローズは、寒さに強い良い子ちゃんですね! その後は庭の草花に触れる余裕の無い日が続き、昨日久々に様子を見たら、エレガンスホワイトが咲いていたというわけ。いつ咲いたのかも知らずにゴメンネ、と詫びたい気持ち半分。放ったらかしだったのに、ちゃんと咲いてくれてありがとう、と感謝したい気持ち半分。自分の余裕の無さを実感するとともに、久しぶりに心が安らぎました。 2月20日に義父が急逝して、ようやく気持ちも生活も落ち着いたところです。義理の親なので忌引きも3日しかなく、告別式の直後から出勤しているし、乳房再建の方もいよいよ秒読み体勢に入ってきて、自分中心の生活には変わりないんですけどね。それはそれで義母様から色々と言われたり…あはは(汗) また別記事か過去日記に挙げる予定です。にほんブログ村
2011.03.10
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東北、北陸を中心に記録的な大雪に見舞われている今年の冬。東京も昨夜から今朝にかけてまとまった雪が降りました。 都心は積雪2cmだそうですが、多摩地域は7cmも! メートル単位の豪雪地域にお住まいの方々からみたら「へ?その程度で?」と失笑されるでしょうけれど、東京では「積もったら大雪」感覚なんですよね。NHKニュースでのトップ扱いは大袈裟すぎると思ったけど…。 ウチの庭の樹は、まだ若い樹ばかり。雪の重みで一部の枝が折れる被害が出ました。来年の大雪には負けないよう、この春夏の間に強くたくましく育てなくては…。庭に草木が増えてくると、楽しみとともに心配事も増えるのね。まるで子育て。にほんブログ村
2011.02.15
コメント(3)
月イチの眼科検診でした。 本日の眼圧、右10,5mmHg、左10,0mmHg…昨年5月の告知後、点眼治療が効きコンスタントにほぼ一桁台に下がった眼圧が、二桁台を出してしまいました。片眼だけ二桁なことはあったけれど、両眼揃ってというのは久しぶりです。あっちゃー すかさずDrから「今日目の調子が悪そうだけど、何か理由あるの?」と聞かれ、正直に「寝不足です」と答えました。煌煌と灯りのついた部屋のコタツで寝落ちして目覚めたあと眠れなくなり、ようやく明け方に2時間眠りましたが、睡眠時間は正味4時間半ほど。 あと…こっちの方が本当の理由か?「昨日丸一日目薬を差しませんでした」とは言えなかったわ。故意ではなく本当に忘れた。今日も出かける予定があったから、朝は副作用の充血が少ない「トルソプト」しか差してないし。ある意味、それでも両眼10,0mmHgちょいで留まっているのは、通常眼圧自体が下がっていると言えるのかも。 …と、毎度都合良く解釈して自分を甘やかしています。あーあ。 あ、でもDrは「(眼圧が)高いとも言いきれない。ま、こんなコンデションの時もあるでしょ」とカラリと言ってくれたので、気分的には救われましたにほんブログ村
2011.02.12
昨年銀婚式を迎えた私と旦那。 結婚生活の後半1年目を無事に過ごすことができました。とりあえず金婚式まではお互いに健康でいることが目標です。(金婚式時=旦那80歳、私74歳)ここまで来れたら、あとはオマケかご褒美みたいなもんでしょう 以前、老後は私と「四国の四十八箇所めぐりをしたい」と言ったことがある旦那。 今でもそう思っているのなら、お互いに体重を落として、心肺能力と足腰を鍛え直しておかなくっちゃね!にほんブログ村
2011.02.11
我が娘キッコロのことではありません。 実は昨夜、職場の 士気高揚会 (という名の飲み会)に出席したのですが、ほどよくアルコールが入ったこともあり、日頃はあまり話をしないかたたちとプライベートな話題に花が咲きました。 まぁ、まず聞かれるのが「なに年(干支)?」ですね。 同年代だとわかると、子どもの頃に熱中した遊びや好きだったTV番組とかアイドルは誰だった?とか。 マンガ(アニメ)は何が好きだった?という話から、つい「私、腐ってたからさぁ」とカミングアウトしたら、「私もそうだったのー!」と言い出す人が2人 萌えの対象もほぼ同じ。 「ポーの一族」(萩尾望都)、「風と樹の詩」(竹宮恵子)、カリフォルニア物語(吉田秋生)あたり。彼女たちが私と違ったのは、私が最も愛した「トーマの心臓」を軽くスルーしたかわりに「エロイカより愛をこめて」(青池保子)にハマったことかな。「トーマ」は難解だったそうで…私が「トーマ」を読んだ当時、彼女達はまだ小学生だったから無理もないか。ま、対象には個人差がありますよね。 アニメは「宇宙戦艦ヤマト」と「ガッチャマン」(他タツノコアニメ)。その流れで声優サンの誰々のファンだったとか、映画のサントラ持ってるとか…色々色々盛り上がりました。なにこれ、楽しすぎるんだけどー! 「こんな話できるのは、く~てんさんしかいない」と涙ながらに(←大袈裟)感激されてしまいました。1人のかたは「こんな趣味が夫にバレたら恥ずかしいから、結婚する前にほとんどのモノを処分して忘れるようにした。でも本当はずっと好きだった」と、溢れる思いを押さえきれないようでした。私は、キッコロがすくすくと腐ってくれたおかげで、日常的に「腐った会話」をする相手がいるし、大好きなマンガや雑誌も嫁ぐ時に持ってきたのに…。 今でこそ、完全ではないものの一定の市民権を得た「オタク」や「腐女子」。元祖腐女子、今や40代後半から50代のおばちゃん達の中には、隠れキリシタンのように肩身の狭い思いをした人が少なからずいると見た。 ちなみに腐女子は20代までで、そこから先は「貴腐人」(~40代)「お超腐人」(~60代)と言うらしいです。私ったらお超腐人に格上げだわ~。さらに先もあるのだとか!にほんブログ村
極寒の庭の片隅を可憐に彩るクリスマスローズ。 「花の色は咲いてみてのお楽しみ♪」のダブルクイーン・ミックスが咲きました。 八重咲き種のローズリップルに一番近い気がするんだけど…??? ミックスってことは、他にも異なる色の花が咲くのかしら?(クリスマスローズ初心者なので、無知です) そして先日開花第一号を飾ったピンクラッフルちゃん 花芽が増えて花茎が伸びてきたので、ようやくお顔を拝めるようになりました。この先次々と開花したら、この辺りが華やかになるんでしょうね。楽しみだわにほんブログ村
2011.02.10
●1/9のツイート老仮面夫婦問題で相変わらず頭が痛い。2011年1月9日 10:23:02JST webから義父が心身の自立をあと4年維持し、そんな義父との生活に義母が耐えてくれれば、定年退職してフリーな立場の息子という心強い”担い手”が待っている。2011年1月9日 10:32:23JST webから長寿社会になって何が一番良かったかと言えば、介護する子世代が定年退職後で時間的余裕があることかも。2011年1月9日 10:37:03JST webから一昔前は、外での仕事を理由に介護負担から逃れる夫と老親介護を一身に背負う妻。老親は看取ったものの最悪熟年離婚。上手くいけば、その後自分達が老いるまで夫婦で趣味or旅行三昧の悠々自適生活。2011年1月9日 10:46:04JST webから今は親世代も長生きだから、定年後は夫婦だけで悠々自適どころか60~70代を親の介護に費やすことになりそう。2011年1月9日 10:48:55JST webから昔の方が良かったとも良くなかったとも言えないけれど、子世代としての務めを終え、正々堂々と第二の人生を謳歌している我々の親世代が羨ましい。2011年1月9日 10:53:45JST webから子世代の務めを立派に果たした実家の両親だけは、何としてでも寂しい終末は味合わせたくないと思う。とくに母は。2011年1月9日 11:03:32JST webからこれまでの人生で自分達がやってきたこと(やってこなかったこと)がいずれ自分達に還ってくるようでなければフェアじゃないよね。やり損、やらない得許すまじ。2011年1月9日 11:07:24JST webから子どもは親の背中を見て育つのさ。2011年1月9日 11:08:55JST webからというわけで、実親のHELP!にはいつでも駆けつける気の私は、ムスメにも「将来、何かあったら快く助けに来てね」と言ってます。それを快諾しないような男(家)には嫁がせないぞ!2011年1月9日 11:16:19JST webから 私の両親は自宅で老親を介護し看取りました。そんな親を見ているからこそ、絶対に寂しい思いはさせられません。 義父母の親は他の兄弟の元、もしくは施設で最期を迎えています(長男、長女なのに)。若輩な私が偉そうなことを言うのもナンですが、義父母たちがこれまで老後について「自分達で何とかする」「いざとなれば助けてくれるでしょう?」と楽観的すぎたのは、老親との同居経験がないからだと思えます。 「いいよ。ウチで(面倒)みるよ」と孝行息子発言をする旦那は、自分とヨメは一心同体だと思っているんでしょうか。もっと現実的に考えて欲しいものです。旦那自身も聴覚障害があって、私が「耳」代わりなのに。日中自分が仕事している間に老親の世話をするのは誰?生活上の様々な変調に気をつかうのは誰?それは、わ・た・し。2度も乳がんに罹った私ですよ。 私には男兄弟はいないし、子どもも1人娘。それこそ楽観的よ~と笑われるかもしれないけれど、私自身あるいは旦那が病気になったり、老人が抱えるには負担が重い事態に陥った時に助けてもらえればいいや、と思っています。「同居してくれたら孫の面倒みてあげるよ!」とも言ってますが(笑)にほんブログ村
2011.02.09
転倒時の顔面強打が原因でズレた白内障の眼内レンズを元に戻す手術を受けるため、義父は昨年11月末に10日ほど入院しました。循環器系の持病の薬の影響か、高齢によるものなのか、はたまた執刀医の技術の問題なのか…手術中に眼底からの出血が止まらなくなり手術を断念せざるを得ない状態に。つまり、失敗。義父は片眼失明。以前からよく見えていない側だったことが、不幸中の幸いでした。 医師から病状説明を聞かされた時は、こりゃいよいよ介護付き老人ホーム行きが現実に?!と(ある意味グッドタイミング)思われましたが、義父はその後も、自宅内はもちろん行き慣れた場所であれば介添えなしで行動できています。というか、義母が着いて行こうとしても「1人で行く」と言って聞かないんでしょうね 義母によれば、義父は入院前は「退院したら真っ先にホームへ入居の予約をしに行く」と言っていたのに、入院中に気が変わったらしく「(この家の)階段の上り下りができる間は家で暮らしたい」と、今は言っているそうです。「足腰が動くうちは住み慣れた家で暮らしたい」というのは、お年寄り全般に共通した願いなのかもね。 しかしウチの義父母は、前述のようにお世辞にも夫婦仲がヨロシクないため、義母の不安&不満がいつまた爆発するか…それを考えると嫁の私はいつまでたっても戦々恐々なわけですよ。義父の入院中は「天国だったわ」とまで仰ってますし… だからといって私が犠牲的精神で「お義父さんはウチで面倒みます」とは、とても言えません。でも放ってもおけない。とにかく私一人に負担がかかる事実をどうしても受け入れられません。●1/5のツイート。夕飯作りと並行してPCをいじっている今この時間…隣(襖一枚だから殆ど同一室内)に義父が居るだけならそれほど抵抗なく過ごせると思うの。気にはなるけど”居る”だけなら…。襖じゃなくて壁ならさらに良し。2011年1月5日 11:54:36JST webから部屋から出てこちらの視界に入ったり、興味の無い話を一方的にされたら…きっと私も義母と同じように、義父に対してマイナスの感情を抱くでしょうね。2011年1月5日 11:57:56JST webから義父が我々家族とは半独立状態で住めるよう改装するか、私が籠る部屋を増築する以外に同居の道はありません。これだけは絶対に譲れません。2011年1月5日 12:01:16JST webから長年一応夫婦をやっていた義母でさえ「お父さんの気配を感じるのが苦痛。永遠にリラックスできない」とか言っているのだから、他人の私がすんなりと同居生活に馴染めるわけがないじゃん。2011年1月5日 12:08:10JST webから気配は我慢(慣れ)できるけど、常に視界に入るのは我慢できないな。旦那でさえ近くに居られると落ち着かないんだから。2011年1月5日 14:15:08JST Keitai Webからにほんブログ村
2011.02.08
「基礎レッスンが大事なのはわかっているけど、曲に取り組むほうが楽しいのになぁ…」 との思いが先生に通じたのか?…いや、年度末にバンド発表会がある関係で、この時期は曲を用いた実践的なレッスンを行うのでしょう。(たぶん) このバンド発表会。昨年相方さんが出場したので今年は私か?と、実はちょっと期待していたんですが、発表会まで1ヶ月を切った今日まで何の話もない…ってことは、見送られたのね。去年は3/末の発表会に向けて2ヶ月前には取り組んでいたし。うーむ、残念 リードギター、サイドギター、場合によってはトリプル奏者も有りなギターとは違い、ドラムは1台だけなので、仮に生徒数が同じでも出場の機会は均等ではないんですよね。仕方が無いです。 さて、そんな悲喜こもごももありましたが、今日から新たにBEATLESの「OB-LA-DI,OB-LA-DA」に取り組むことになりました。つい昨日も家で青盤を聴いてました。何というグッドなタイミング。 よく知っている曲だし、譜面を見る限りではテクニック的にそんなに難しくなさそう。 歌詞が「デズモンドとモリーの明るい家庭づくり」(笑)なので、正確な演奏テクを求めるとかよりも、とにかく陽気に明るくノリ良く演奏することが大事ね♪ ”オブラディ・オブラダ 先は長いわ 何があろうと人生は続いてく オブラディ・オブラダ 先は長いわ 何があろうと人生は続いてく” 楽しくいこうぜぇえいにほんブログ村
2011.02.07
東京バレエ団<ベジャール新作公演> 「ダンス・イン・ザ・ミラー」「ボレロ」 振付:モーリス・ベジャール 演出・構成・振付指導:ジル・ロマン 振付指導:那須野圭右 ゆうぽうと 開演15:00 <主な配役>◆「ダンス・イン・ザ・ミラー」(東京バレエ団初演) 男:木村和夫●ラ・ダンス 現代のためのミサ 斎藤友佳理、井脇幸江、吉岡美佳、小出領子、西村真由美、乾友子、高木綾、他 高岸直樹、後藤晴雄、高橋竜太、松下裕次、氷室友、梅澤紘貴、柄本弾、他●舞楽 小笠原亮、高村順子、佐伯知香、長瀬直義、宮本祐宜●メロディーたち 未来のためのミサ 西村真由美、乾友子、高木綾、奈良春夏、田中結子、吉川留衣、矢島まい、 渡辺理恵、川島麻実子●カップル ヘリオガバル 上野水香、柄本弾●パ・ド・シス バロッコ・ベルカント 小出領子、佐伯知香、田中結子、松下裕次、長瀬直義、宮本祐宜、高橋竜太●扇のパ・ド・トロワ: 斎藤友佳理、井脇幸江、吉岡美佳●男性群舞 M 高岸直樹、後藤晴雄、小笠原亮、柄本弾、谷口真幸、安田峻介、井上良太、柄本武尊、 岡崎隼也、的射場史彦、杉山優一、他●アタック 火の鳥 木村和夫、高橋竜太、松下裕次、氷室友、長瀬直義、梅澤紘貴 西村真由美、佐伯知香、奈良春夏●フィナーレ 未来のためのミサ カンパニー全員◆「チェロのための5つのプレリュード」(東京バレエ団初演) 音楽:J.S.バッハ 吉岡美佳、高橋竜太◆「ボレロ」 音楽:モーリス・ラヴェル 高岸直樹 松下裕次、長瀬直義、宮本祐宜、柄本武尊、他 ベジャール亡きあとBBLの芸術監督を務めるジル・ロマン氏が見守る中、これ以上無いくらいの素晴らしいパフォーマンスで魅せてくれたカンパニーに、まずはブラボー!私がベジャール好き♪って事を差し引いても、すごく良い公演だったと思います。 「ダンス・イン・ザ・ミラー」は、ベジャール作品の「いいとこ取り、寄せ集めかな」とあまり期待していなかったのですが、良い意味で裏切られました。ストーリーテラーの「男」がまるで時間軸を自在に操るタイムトラベラーのように歴代の作品を駆け抜ける。円形の鏡は時の入り口か。抽象的な表現ゆえに、小道具がどういう意味を持つのか?等々の空想も楽しかったですね。だからモダン、コンテンポラリーが好き。 ベジャールの肉体は滅びても、精神は過去から現代、そして未来永劫受け継がれて行く…そんな印象を受けました。全編、ベジャールへのオマージュに溢れていました。 ジーンズでノリノリ(←死語?)に踊る斎藤由佳里さん、ヘリオガバルの原始人ちっくなダンスが意外にお似合いの水香さん、などなど…クラシック作品ではお目にかかれない面を垣間見れたのも楽しかったです。 ロマン氏の厚意で追加された演目「チェロのための5つのプレリュード」では、恋する男女のすれ違いをコミカルに描く面白い作品でした。高橋竜太さんの身体能力が素晴らしい。体操選手並みの大バク転を披露しました。 高岸さんの「ボレロ」は普通に良かったです。「ここはもっと上半身を反らせた方がエロいのに」とか(笑)まぁ個人的には色々要望はありますけどね。席が一階後方だったせいもあるのですが、前半は意外とクールな印象で、中盤から群れを率いるボスか戦士か~って感じで、クライマックスに向けてぐいぐいとリズム隊を引っ張っていました。副芸術監督の貫禄?赤い円卓に1人でサマになるのは、さすが。★NBS 「ダンス・イン・ザ・ミラー」公演ページhttp://www.nbs.or.jp/stages/1102_dancesinthemirror/index.html
2011.02.05
ミシマダブル わが友ヒットラー 作:三島由紀夫 演出:蜷川幸男 美術:中越 司 照明:服部 基 音響:井上正弘 衣裳:小峰リリー ヘアメイク:武田千巻 Bunkamura シアターコクーン 開演19:00 <配役> エルンスト・レーム………………東山紀之 アドルフ・ヒットラー……………生田斗真 グレゴール・シュトラッサー……木場勝己 グスタフ・クルップ………………平幹二朗 首相の座についたばかりのヒットラーが政権を掌握する過程で行った、極右と極左を一掃する恐るべき粛清「長いナイフの夜」実行前夜の、ヒットラーと3人の男達の心模様を描いた作品。(極右=レーム、極左=シュトラッサー) カリスマ性と類い稀な弁舌で民衆の心を掴み着々と独裁体制を固めつつも、野望を達成するためには障害となる勢力を消さねばならない。ヒトラーに決断の時が迫っていた。突撃隊隊長のレームは、今はヒトラーとは袂を分かつ関係であるが、かつては共に戦い、お互いの夢を語り合った仲であった。ヒットラーを今も「わが友」と信じるレーム。ヒットラーも彼と共に過去を懐古し、輝かしい未来を自分に託すレームの思いに心を揺さぶられつつ、政治家として中道であろうとする己との間で激しく葛藤するのだった。 とにかく、言葉、言葉、言葉! 次から次へと押し寄せる台詞の波に身を任せた2時間50分でした。 ここから先はネタバレもありますので、これから舞台を観るかたはご注意ください。 結末を知っていたので、ヒットラーに粛清される運命なのに、どこまでも友情に厚くバカ正直なレームが哀れでなりませんでした。自分(たち)がこの国を変えるのだ!2人で素晴らしい国を創ろうじゃないか!俺とお前ならできる!(こういう台詞があるわけじゃないけど)…もうね、どこまでも熱くて真っすぐで。純粋すぎる愛すべき軍人、ニーム。当然のように「盾の会」を指揮した三島由紀夫本人と重なりましたよ。 レームは軍人になるべくしてなった人間だと思うけれど、ヒットラーはどうなのかしら。劇中で何度も繰り返される台詞、「芸術家になりたかった」…今さら戻る事のできない時代の波の、何と無情なことよ。 対照的にシュトラッサーは「自分はヒットラーに消される運命にある」ことを悟り、レームの脚にすがりついて「ヒットラーに殺されるぐらいなら、君に殺される方がましだ。私を殺してくれ!」と懇願までします。しかしレームの返答は否、でした。理由は「ヒットラーの命令ではないから、できない」…。嗚呼 粛清の後、クルップが「アドルフ、よくやったよ。君は左を斬り、返す刀で右を斬ったのだ」と言うと、ヒトラーがわなわなと震えながら「そうです、政治は中道を行かなければなりません」と答えます。恐るべき独裁と殺戮の時代への幕が開いた瞬間でした。戦慄が静かに、じわじわと迫る終幕。 観終わったあとの脳内では「地獄に堕ちた勇者ども」が自動的に上演されました。エッセンベック製鉄はクルップ製鉄・財閥がモデルですから。「わが友ヒットラー」のラストでは一人勝ちの印象を受けるグスタフ・クルップですが、第二次大戦後のニュルンベルク裁判で戦犯として起訴されます。 色々な意味で対照的な生き方(死に方)をした4人の男たち。何となく、貴方ならどの生き方を選択しますか?人道的に共感できるのは誰ですか?と、人間の根幹を探られているような気がしました。 舞台演出面では、舞台奥の搬出入口がフルオープンにされて外界の車の往来を見せたり、鏡張りのセットに観客を写して劇中の群衆のように思わせたり…蜷川演出の「王道」が多く用いられていました。★Bunkamura ミシマダブル 公演ページhttp://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/11_mishima/index.htmlにほんブログ村
2011.02.03
大晦日にはまだ小さくて固い蕾だったクリスマスローズが、ようやく咲きました。 開花第一号は、ピンクラッフルです。←携帯で地際から接写しても「お顔」が見えません。 クリスマスローズって下向きに咲くんですね~。初めて知りました この極寒のひと月の間に少しづつ成長していたのね…と思うと、愛しさもひとしおです。先日咲いたウンナンエンシスといい、人知れずひっそりと耐え忍ぶイメージ。感情移入し過ぎ?(笑)ただ、寒さは平気なかわりに暑さが苦手なのよね。 庭が寂しい冬に咲いてくれる貴重なお花。大株に育てたいです。にほんブログ村
2011.01.30
【今週の成果】 ¥4,050 ・興行チケット1枚 月間TOTAL¥4,050 (全TOTAL¥40,040)※2010,2から仕切り直し 知人に譲ったチケット代。2010,2~2011,1の1年間はオークションへ殆ど出品しなかったので、この程度でもやむなし…ですが、ちと寂しい結果に。(一昨年は29万超の成果)次年度はせめて10万くらいは回収したいです。以前、キッコロのためにせっせと集めた某キャラクターグッズを売りに出そうかな。
2011.01.29
【コンドルズ 埼玉公演2011新作】 ロングバケーション 彩の国さいたま芸術劇場 大ホール 開演14:00 構成・映像・振付:近藤良平 出演 青田潤一、石渕聡、オクダサトシ、勝山康晴、 鎌倉道彦、ぎたろー(新人)、古賀剛、 小林顕作(映像出演)、田中たつろう、橋爪利博、 平原太郎、藤田善宏、山本光二郎、近藤良平 彩の国さいたま芸術劇場大規模改修6ヶ月間休館記念!ってことで、ロングバケーション…なのね 29,30日と泊まりでこども劇場の自主活動に参加したキッコロの代わりに、私のブログによくコメントをくださる子劇仲間の×○子さんと一緒に観に行ってきました。個人的には1年4ヶ月ぶりのコンドルズです。 休憩無し90分のパフォーマンスは、コンパクトながらコンドルズならではのお楽しみがぎゅっと詰まったものでした。一応コンテンポラリーダンスのカンパニーなので、ダンスシーンが少なめだと正直ちょっとガッカリ…な事も過去にありましたが、このロンバケは、ステテコダンスやショートコント、影絵に人形劇など”いつもの”要素をダンスでつなぐ構成なので(毎回そうだとも言えるんだけど)ダンスファン的にも美味しかったです。笑えるCMが無かったのは唯一寂しかったことかな。 ダンスシーンでは、やっぱり近藤さんと藤田さんを目で追ってしまいますね。近藤さんのソロダンスで締めくくるのもいつもと同じ。逆光に浮かぶ近藤さんの野性味あふれる動きがたまらなく好き。(それなのにお腹をグーグー鳴らしてすみません) タイトルの「ロングバケーション」は、さい芸の改修工事にかけたのだろうけど、パフォーマンスのテーマは「木村拓哉」でした。ロンバケと言えばキムタク。最近は若い女性客が多いコンドルズ公演ですが、木村拓哉は知っていても、ロンバケのキムタクのネタが理解できない人もいたんじゃなかろうか。「この中で誰が一番木村拓哉か」コンテストには笑いました。♪きむらきむらきむらきむら木村拓哉さ!♪がしばらく頭の中をループしてたわよにほんブログ村
●11/26のツイート。義父母がいつかは観念して我々と同居するか(要増改築)、介護付きホームに入居してくれるのを期待していた。いずれにしても”夫婦で”であって、生前に別れて暮らすのはあり得ない…というか許せなかった。別れるのなら文字通り正式に別れるのが筋のはず。2010年11月26日 15:39:42JST webからこの話題で呟くのもそろそろお終いにしたい。2010年11月26日 15:40:56JST webからそういえば、知人の両親も夫婦仲が良くないらしく(離婚はしていない)、父親は娘一家と、母親は弟夫婦と同居していたなぁ。同じ建物内で生活しているとはいえ、娘一家と父親の部屋は玄関も別々で完全に分離されていたはず。2010年11月26日 15:49:15JST webからみんな自分一人が悪者になるのは嫌で、本音を隠してうやむやにしてきた結果ですね。2010年11月26日 15:58:56JST webから私は結婚当初から嫁の義務と権利について、時に反感を買いそうなことまでズバズバと言ってきたので後悔はしていません。2010年11月26日 16:12:36JST webから結婚25年目まで別世帯で暮らしてきたから、関わりが希薄すぎて愛憎うんぬんの問題じゃないんだよね。興味、関心がないから心が動かない…に近いかも。家族として関わっていないのに、突然思いやりを期待されても困る。2010年11月26日 22:01:14JST webから「義務」か「役割」か「仕事」として命じられれば話は別。2010年11月26日 22:07:01JST webから義務には権利、役割には分担、仕事には報酬がつきもの。2010年11月26日 23:22:28JST webから 実家の母は、父との婚約時に姑(祖母)から「身体が元気な間は別々に暮らしましょう。でも、いずれは面倒をみてちょうだいね」と言われ、覚悟を決めた。「できるだけ”その時”が遅く訪れますように」と思ったそうだ。乳がん余命6ヶ月を告知された義母の身体がまだ動くうちに…ということで「慌ただしく」家を増改築し同居開始。母の気苦労は計り知れないけれど、短い間の7人家族は私(高校生)的には楽しかったなぁ。 幼少の頃から毎年夏休みになると祖父母の家へ泊まり、色んな場所に連れて行ってもらったし、同居直前にも1ヶ月居候させてもらったり(東京の美術研究所の夏期講習を受けるため)、じいちゃんばあちゃんと孫の関係は築けていたんだよね。 これまで義父母に何もしてもらっていないわけじゃない。私は30過ぎから病気がちだったので、キッコロの世話が辛い時には手助けしてもらったこともある。だけど最も苦労をかけたのは旦那だし、実家の母も遠方から助けに来てくれた。旦那と実母と義父母からの「恩」を天秤にかけたら…残念ながら一番軽いのは義父母。 そんな私に「恩返し」的なものを期待されても困ります。それなら心を鬼にして、たとえ悪者と思われようと「夫の親の面倒をみるのは嫁の義務だ」「それがアナタに課せられた役割、仕事でしょう!」と言うしかないのでは?にほんブログ村
2011.01.28
●11/25のツイート。「家で面倒見るかわりに増改築費出してくれ」は、子世帯的には至極まっとうな要求だと思うけど、あの親にとってはそうではないということね。過去2度の同居(隣居)のチャンスにも絶対に首を縦に降らなかった本当の理由が、何となく想像できてきた。2010年11月25日 10:34:23JST webから1つは、私達息子夫婦を100%信用していないということ。2010年11月25日 10:41:11JST webから立派な2世帯住宅を作ってあげました~息子夫婦の希望通り隣に越して来ました~でも面倒見てもらえませんでした~~。では、泣くに泣けないよね。2010年11月25日 10:43:31JST webから2つめは、単純に財産分与のバランスを考えてのこと。日頃から義母は義姉や孫(亡くなった上の義姉の子)にも財産を残したい的なことを言っていたから。長男とはいえ息子だけに贈与を偏らせたくなかったんだろう。2010年11月25日 10:47:08JST webから3つめ。義母の最終的な目的は「義父と別れて暮らす」ことだから、2世帯住宅を作ろうものなら、目的の達成が遠のいてしまうから。2010年11月25日 10:53:42JST webから ↑↑これは、あくまでも私個人の「想像」です。縁あって家族になった人達ですが、家族の本当の歴史を知らないだけに、いくつかのエピソードや言動からあれやこれやと想像を巡らせてしまいます。義母が新婚時代に辛い目にあったこと、(義母の)お母様と嫁サンとの仲が悪く母が可哀想だったこと、等々…嫁との同居に神経質になる気持ちもわからなくもない。聞くと気分が悪くなる(免疫力が下がりそう!)ので最近は避けていますが、これまで何度も義母からは義父についての愚痴を聞かされています。実家の親は夫婦仲が良いので、こういうメンドクサい事情は全く考える必要がありません。ゆくゆくは、実家で父を母と娘たちで協力して介護することになるでしょう。2010年11月25日 10:59:30JST webからまぁ、あのホームなら徒歩で行き来できるから、本人にとっても家族にとっても「姥捨て」の感覚は最小限で抑えられるでしょう。2010年11月25日 11:45:02JST webからこの件に関して私は、何一つ後ろめたさを感じることも、申し訳なく思う事もない。2010年11月25日 16:44:09JST webから上の義姉は「舅姑と同居するなら(夫と)別れる!」と言っていた。下の義姉は舅と口喧嘩の末ビンタを喰らわして家を飛び出したことがある。それに比べたら私なんて可愛いものよ。心は濁っていて腹の中は黒かったとしても。でしょ?2010年11月25日 16:49:58JST webから 子どもにとっては、いくつになっても両親には仲良しでいてもらいたいものです。 そうでもない?にほんブログ村
2011.01.27
お目汚しすみません。まだまだ続きます。 11/23に義父母と義姉、我々夫婦で話し合いの場を持ち、一応の解決というか「見通し」を立てました。 ↑↑当日に私が言った「私のプライバシーが保てる部屋を作らなければ(義父の引き取りは)無理。増改築費も援助してもらいたい」…いわば、嫁として最低限の条件でしたが、どうやら義父母と義姉的に咄嗟には呑めなかったようです。穿った見方かもしれませんが、対面して座る義母と義姉の視線が「やっぱりそう来たか」と言っているような気がしました。 我々夫婦(おもに嫁の私)がこう出たらこう、これがダメならこう…等々の見通し(作戦?)を前もって立てている雰囲気も感じました。 私と旦那もなーんも考えも調べもせず「ウチでは無理!」と、ただ拒否するのではなく、利用できるサービスや近隣の施設などの情報は仕入れて話し合いに参加しました。自宅が無理なら施設に入っていただくしかないですし、今後増々老いていく親を放ったらかしにはできません。当然です。 私の知人に実母を近くの老人ホームに住まわせている方がおり、「セカンドハウスみたいな感じで行ったり来たりしているし、お互いに安心できるよ」と聞いていたので、話し合いの前日に旦那がそのホームへ下見に行ったんです。ウチから徒歩10分程度の距離で、自立から要支援、要介護までOKのホームです。 で、 「すぐ近くにこんなホームがあるんだけど…」とパンフを見せたら、義父も「入居費用はいくらだ?」とか隅々まで見てまんざらでもない感じ。退院したら(眼の手術のために翌日から入院)入居の予約待ちを申し込む、とまで言い出す…そんなに安易に決めちゃっていいんですか? まずは見てから考えましょうということで、義母と義姉と私の3人で見学に行きました。施設の設備や職員さんの印象は良かったです。ただ、自立できている今の義父にはまだ早いし、性格的に辛いかな…と思えました。何しろマイペースで「天上天下唯我独尊」(←義母曰く)を地でいくような人ですから、管理された生活に果たして馴染めるかどうか 一応、ホームは予約するが、階段の上り下りができるうちは家(義父母宅)で暮らす。入居のタイミングによっては我が家で一時的に暮らすことのみ了承。ってことに。●11/24のツイート。結局、お墓もホームも我々息子夫婦が提案したものですんなりと決まってしまう不思議。頑固なのか素直なのか、よくわからない義父。自分では何も考えないし情報も集めないから、人が出したものに簡単に乗っちゃうだけ?2010年11月24日 11:07:31JST webから家から歩いて行かれる場所に手頃なお墓とホームがあった、という幸運。2010年11月24日 11:09:24JST webから心身が自立できる間は、何か特別な日(家族のイベントとか)を除いて「夜はホームに帰る」を原則にして、日中は自宅でも我が家でも行き慣れた図書館でも、義父自身の居たい場所で過ごせばいいと思うんだ。2010年11月24日 11:41:49JST webから旦那が定年退職して常時代宅状態なら、自宅で義父と暮らすのも有り…だったかもね。タイミングによって対応が替わるのは致し方ないこと。ごめんね、お義父さん。2010年11月24日 14:18:20JST Keitai Webから しかし、入院生活中に義父の気が変わったのか?未だに入居の予約をしていません。どうするの?にほんブログ村
2011.01.26
ToshI Feat.YOSHIKI with 世界の三國 スペシャルコンサート&ディナー ~クリスタルピアノのキミ~ ザ・プリンス・パークタワー東京 B2ボールルーム 18:15開場 20:15開演(予定) 余裕で開場時間前には開場待ちの列に並んでいましたが、プラチナシートのお客様優先とのことで、私を含めたプラチナではない客がディナーのテーブル席に落ち着いたのは19:00過ぎでした。X関係で待たされるのは慣れているとはいえ、まさかディナーショーでも延々と並ばされるとは…。ディナーとショーが楽しみで気分が浮かれていたせいか苛立はしませんでした 職場の知人から「1人でよく(ディナーショーに)行かれるね~」と驚かれましたが、おひとり様参加も少なからずいるはず…と予想していたので全然平気です。だって集う人全員がToshIかYOSHIKIか、とにかくX関係のファンでしょ?最初から話が合うことはわかっているのだから。 ディナーの円卓を囲んだ10人のうち4人と、ショーの座席の両隣は一人参加のかたでした。ま、当たり障りのない(誰のファンですか?とかCD楽しみですよね~とか)話をして和やかに過ごせました。こちらはデザート。ピアノの形をしたチョコレート・ケーキ 美味なディナーの後は、コンサート会場のボールルームに移動。開演予定時間を大幅に過ぎても次から次へと観客が来るわ座席位置はわかり辛いわで、いつまでたっても始められない感じ。開場時から「これは押すな…」と予想できたけれど、この時点で終演後家に帰れるのか?一抹の不安がよぎる。9時を回った頃にようやく開演。 純白の燕尾服に身を包んだToshI。キュートだ…「今日はYOSHIKIとの結婚式ではありません。そこは(入退場の通路を指して)バージンロードではないので」とか何とか。他にも色々とToshIならではの"面白い”MCに会場が何度も湧きました。(個人的にはPATAの物まねがツボでした) 5m…いや、もっと近い?手を伸ばせば届くような距離でToshIとYOSHIKI、それにHEATHと真矢を観られるだけでも嬉しいのに(HEATHとは至近距離経験有り)ピアノのタッチや衣裳の擦れる音すらも聴こえそうな、贅沢で濃密な時間を過ごしました。<セットリスト> 1. エアポート 2. 春の息吹 3. 愛する人よ 4. 雨音 5. 武士JAPAN(with 真矢&HEATH) 6.クリスタルピアノのキミ 7. 今を抱きしめて 8. Forever Love 9. 星空のネプチューン <アンコール> 10.I Believe 11. Scarlet Love Song 12. Without You 13. ENDLESS RAIN ※緑字の曲ではYOSHIKI登場 YOSHIKIは、ボディガードに前後左右をガッチリ守られての入退場。確かに(観客と)至近距離だから、ある意味危険ですよね。隣の人が教えてくれたのだけど、昨日はYOSHIKI目当ての熱烈ファンが殺到して危ない状況になったのだとか… ファンの気持ちもわかりますが、相手は身体に爆弾抱えている人なのだから、暴走行為は自重して欲しいですねぇ。私の座席側から見た限りでは、今日は平和でした。 個人的に特に印象深かった曲は、 クリスタルピアノのキミとScarlet Love Song、そしてWithout You。Without Youでは、会場のあちらこちらからすすり泣きが…。演奏後にYOSHIKIも「なんだかじーんと来ちゃった」と感慨深げでした。 こんな人からもお祝いのお花が。 途中からは夢心地で時間を気にすることも忘れていました。カーテンコールの拍手で再登場したToshIが一礼したところで時計を見たら11:30過ぎてる!要領よく退場し(たぶん)11:45にはホテルを出て無事に帰路に着きました。帰宅午前1:20。 目の前でピアノを奏でるYOSHIKIのしなやかな背中と、天から降り注ぐ神々しい星の輝きのようなToshIの歌声は忘れません。YOSHIKIの美麗なメロディといい、ToshIの天性のエンジェル・ボイスといい、音楽の神様に愛された2人が4歳で出会ったことは奇跡だわ 至福の時間をありがとうにほんブログ村
2011.01.25
※ちょっとだけ過去日記 ここんとこ毎週「過去日記」ですね… レッスンのレポ。当日が無理ならせめて2~3日じゅうにアップしたいのですが(内容を覚えているうちに)、土日の遊び疲れが残ったままでの レッスン→パート の流れが結構シンドく感じる今日この頃です そういえば、12月以降の月曜日は定時に上がれたためしがないです。は、年末年始が稼ぎ時なので仕方がないんですけどね…帰宅後復習する気力も残りません。あ~あ、はやく暇にならないかなー(苦笑) 本日のレッスンは、リズミック・パターンとフィル・イン。教本のタイトルにそう書いてあるんですが、先生はこの呼称が今ひとつしっくりこない様子。そう言われれば、そうかも。 実際にやったのは、バスドラムのリズムパターンを変化させてエイトビートを叩いてみる、こと。これは簡単でした。普段やっていることの延長みたいな感じだったので。バスドラムのバリエーションを作ったり、好きな曲を耳コピで「適当に」真似たり…は、自宅で暇な時によくやってます。役に立ったぞ そしてフィル・イン。これは難しかったです。自作で作るなんてまだ無理。 頭の中では流麗なリズムが浮かぶのに、いざ演奏してみようとしてもできません。これはたぶん頭の中にあるのが自分の力量以上のものだから、だと思います。堅実に「フィル・インに入る前のエイトビートと関連を持たせつつ、アクセントになるように~」等々、考えてもいい感じのフレーズは浮かんできません。むぅぅ。 今日のところは先生も「まだ無理だな」と感じたのか、ボードに即席で譜面を書いてくれましたが、次回は自分で作れるように!ですって。ひょえ~ そして今日もBLUE TEARSは、やらず…。にほんブログ村
2011.01.24
2cmほどの釣り鐘の形をしたかわいい花です。 大晦日に蕾を見つけて以来、極寒で庭に降りる気にならなかったのもありますが、庭の植物を愛でる心の余裕もなかったんでしょうかねぇ…例の件で悶々としていて クリスマスローズに新たな蕾を見つけました。 一昨年購入した4種のうち3種に花芽が着きました。残すはルーセブラックのみ。今年全部咲かせられたら嬉しいなぁにほんブログ村
【ベルリン国立バレエ団 2011年日本公演】 「チャイコフスキー」 生と死のミステリー 全2幕 台本・振付・演出:ボリス・エイフマン 音楽:ピョートル・I.チャイコフスキー 装置・衣裳:ヴァチェスラフ・オクネフ 東京文化会館 大ホール 開演15:00 <主要キャスト> チャイコフスキー………………ウラジーミル・マラーホフ 分身/ドロッセルマイヤー……ヴィスラウ・デュデク フォン・メック夫人……………ベアトリス・クノップ チャイコフスキーの妻…………ナディア・サイダコワ 王子(若者/ジョーカー)……ディヌ・タマズラカル 少女………………………………ヤーナ・サレンコ 指揮:ヴェロ・ペーン 演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 すっっっごく良かった!感動しました~~~ しかし、終幕直後は胸キュンで目をハートにしてうっとり↑してる…と言うよりは、胸の中はどーんと重暗い気持ちに覆い尽くされていました。だって全編チャイコフスキーの苦悩やら自己矛盾に満ちているんですもん。たぶん観ている間中、悲愴感で眉間にしわを寄せていたんじゃないかなぁ。…それは冗談として、これから先チャイコを聴くたびに(曲の)「産みの苦しみ」に思いを巡らせて辛くなってしまうかも。 マラーホフの渾身の演技、踊り、全てが素晴らしかったです。彼のために創った作品ではないかと思うほどに。(ちなみに初演は1993年、ボリス・エイフマン・サンクトペテルブルグ・バレエ劇場) ★NBSベルリン国立バレエ団「チャイコフスキー」公演ページ http://www.nbs.or.jp/stages/1101_berlin/tchaikovsky.html ☆公演レポート<初日>※プロモーション映像あり http://www.nbs.or.jp/blog/news/contents/topmenu/post-293.html ☆公演レポート<初日写真> http://www.nbs.or.jp/blog/news/contents/topmenu/post-297.html ☆公演レポート<東京公演千秋楽> http://www.nbs.or.jp/blog/news/contents/topmenu/post-298.html (おまけ) カラボスの手下が全員 ジーン・シモンズ みたいで、個人的にツボでした。群舞は、まさに地獄の軍団!(笑) 地獄の軍団価格:1,680円(税込、送料別) ※書き足すかも。にほんブログ村
2011.01.23
ちょうど今日から2ヶ月前の11/23、義姉と我々夫婦が義父母宅に集まり、義父母の今後(おもに義父の終の住処をどうするか)について話し合いました。 旦那は朝から義父の好物のおはぎを手作りして差し入れ。だからというわけじゃないけれど、義父も義母も終始穏やかで、落ち着いたムードで話し合えました(気は重かったですけどね…)。正直私には単刀直入すぎる気もしたけれど、無駄話を排除し必要な回答のみを求める義姉の”仕切り”に感謝。 自分自身の備忘録の意味も含め、当日のツイートを転載します。義父母の今後の生活の見通しについて、身内間で意見の一致をはかれたことは、大きな収穫だった。終始気は重かったし話し合いの後は疲れきったけど、話し合いを開いた意義はあった。2010年11月23日 21:58:56JST webからしかし今になって家の構造を理由に「この家ではこの先暮らせない」と言ってくるとはね…。こうなることは簡単に予測できたはずなのに。2010年11月23日 22:07:20JST webから老人には済み辛い家に”あえて”引っ越してきたのも、ここでは介護不可能=そっちの家(我が家)なら介護できるでしょ!と言うための作戦だったのではないかとさえ思ってしまう。2010年11月23日 22:15:30JST webから話し合いが途中から予想通りの展開になったので、心の中で思いっきり苦笑い。単刀直入な義姉の問いに「ほぉら来た!」と思ったよ。「そっちの家でお父さんだけ住まわせてもらえないかな」…。義母の理想は、老いた夫の介護から解放された一人気ままな生活。2010年11月23日 22:25:33JST webから義姉が「この際、できるできないをハッキリした方がいい」と言ってくれたので、私も遠慮なく言いました。「私のプライバシー確保のために、完全に籠れる部屋を作らなきゃ無理です」。これまでも散々ツィートしたことだけど、これだけは譲れない。2010年11月23日 22:33:02JST webからというか、義父は年相応に弱ったとはいえ十分に自立生活ができているので、介護というより支援のレベル。2010年11月23日 22:35:33JST webからまぁ、私か義父のどちらかが完全に籠れる間取りに増改築すれば、同居も可能かと思っていたんだけど、私が「増改築費は援助して欲しい」と言った途端、話はそれっきり消えた。2010年11月23日 22:43:54JST webからつまり、親が金を出してまで息子夫婦に世話になる気持ちはない、ってことがはっきりしたね。あまりにもあっさと引いたので拍子抜けしたよ。2010年11月23日 22:48:34JST webから老いた夫と離ればなれにさせ、母に自由を謳歌させる…これが親孝行とは、何とも皮肉で哀しいものだね。「母さんも老い先短いんだから、最後くらいイイ思いさせてあげなよ」と義姉が弟(旦那)に言うのを聞いて、ものすごく複雑な気持ちになった。2010年11月23日 23:06:33JST webからいずれにせよ、旦那の親を自宅介護する可能性はかなり低くなった。これで実家の親に何かあった時は、気兼ねなくすっ飛んで行ける!良かった。実家には、頼りになる息子も便利な嫁もいないので、娘たちで何とかしないといけないの。2010年11月23日 23:13:49JST webから自分の親の面倒を子どもがみる。一番わかりやすくてシンプル。これでいいじゃんね。2010年11月23日 23:16:13JST webから 義父母の現在の住まいは、私たち一家が以前住んでいた家です。3階建てのいわゆる縦に長いペンシルハウスってやつ。はっきり言って高齢者向けではありません。 この家の売却話が業者とまとまるか?…という矢先、義母から「そんなに安い価格でしか売れないのなら私たちが買う」と申し出があったんです。もちろん「階段は多いし、年寄りには住み辛いよ?」と何度も確認しました。そのたびに義母は「いいから」「何とかなるから」と楽観的なことを言いました。私も旦那も手放しで喜ぶよりは「本当にいいのか?」と疑心暗鬼な気持ちが強かったです。 結局、業者の提示価格よりも500万円安く義父母に売りました。まぁ、いずれは私たちの元に返ってくる可能性が高いですし、キッコロが生まれ育った家で思い出もありますし…。何よりもこれまで都会暮らしにこだわり、同居を拒み続けた義父母の方からの歩み寄りの気持ちを尊重しようと思いました。 ひょっとして義父母は、家を買ってあげる = 老後の世話は頼む と思っていたのでしょうか…にほんブログ村