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テーマ:サウジアラビア生活(614)
カテゴリ:サウジアラビア生活
1890年頃には、サウード家一族の有力者は殺されたり、リヤドから離れたりし、
その領土は逸散した。リヤドで健在なのは、アブドッラハマーン・ビン・ファイサル (在位1889~91年、サウジアラビア建国者アブドルアジーズの父)のみで、 サウード家の首長は継承したものの、支配地はリヤドとその周辺に限られていた。 しかもそれは、名ばかりであり、身分はラシード家に従属するものであった、 その後、アブドッラハマーンは機を捉え、代官をリヤドから追放することに成功。 ラシード侯国に反旗を翻して、サウード家を支持する部族と同盟軍を結成し、 1891年1月、侯国軍と交戦した。しかし、その戦いに敗れ、彼は婦女子を友人で あるバハレーン首長の元に送り、自らは息子のアブドラアジーズと少数の従者と 共にルブ・アリ・ハーリー砂漠に入って逃避行を続けた。 まもなくカタールに身を寄せた後、バハレーンに移動。1898年に家族ともども、 クウェイトに亡命した。 ここで、ようやく安堵の時を過ごすこととなったのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.03.29 12:44:01
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