カテゴリ:相場の歴史
儲けだの勝ち金だのということになれば、
世間の人たちは、よし相場でないまでも、 いたるところでやっていることといえば、 ただ、互いに相手から何かを奪ったり、巻き上げたりしているだけではないか。 概して儲けだの利益だのが忌まわしいものであるかどうか・・・それは別の問題である。 だが、ここでは私はそれを解決するつもりはない。 私自身も勝ちたいという欲求にとことんとらえられていたのだから、 その欲望全体や、かりにそうよびたいのなら、その欲望の不潔さ全体が、 相場に入るにあたって、私にとってはなんとなくいっそう好都合で親しみのあるものになっていたのだ。 人々がお互いに気兼ねをしないで、ざっくばらんにあげっぴろげで振舞っているときは、 実に感じのよいものである。 それにまた、いったい何のために自分自身をいつわる必要があるのだろう? しごく他愛のない、割に合わぬゲームだというのに! 相場のこうしたあらゆる低俗人種にあって、一見してとりわけ見苦しいのは、 相場を囲むときにみなの示す、勝負に対するあの敬意、あの真剣さであり、うやうやしさとさえいえる態度だった。 再び、何かすることを敢えて探す生活に戻ってみて、 こういうくだらない戯言をつづること、 贅沢な時間の過ごし方だな、と思うよ。 自分が楽している時、世界のどこかで他の誰かがその分苦労している。 どうせそのうち忘れるだろうけど 刻んでおくさ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.03.13 21:02:39
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