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昨日退院してきました 12月19日の抗がん剤治療は、3クール目の2回目でしたが中止。 それまでは、外来で血液検査数値を見て、結果が良ければ、点滴治療を受けました。 白血球や血小板の数値など副作用で下がりすぎると、休薬期間を置き、延期になる事がありました。 しかし、腫瘍マーカーがドンと上がった為、今までの薬剤を中止して薬剤を変更する事になりました。 今度の薬剤の効果、副作用などを見るために1週間の入院になりました(前回までの記事) それまで、外来診察後、化学療法室で抗がん剤の点滴約3時間程度でしたが。 今回の治療は、化学療法室での点滴4時間の後、最後の点滴は46時間かかります。 最期の点滴は、薬剤の入った点滴バッグを体に付けたまま帰宅。 翌々日(46時間後)点滴バッグと注射針を外して貰いに病院へ行く事で、自宅からの通院が可能です。 その治療は主人も受けたので、経過も様子も分かっていますが、今回、私には少し不安がありました。 その頃、主人は車いすを使い、その治療が服薬に代わるまで、いつも付き添いや送迎は私が行いました。 が、患者本人の私は、今は冬道でもあり運転は控え、タクシーを使う事が多いです。 で、日常生活や歩行に不自由はありません。 近所のコンビニに買い物に行く事もできます。 何が不安かというと・・。 点滴後、自宅に帰り、46時間後に撤去に行くまでの間に、自分の体調が急変する事でした。 最初から歩けないほど、体調が悪ければ、治療に行かなければいいわけですが。 受けてしまった後に、撤去に行けないほど具合悪くなったらどうしよう。 普通に元気そうに生活していますが、今の状態が続く自信は、いつも無いのです。 実際に、今回の入院中、回復はしましたが、ご飯は全く食べられないような日がありました。 元々、抗がん剤治療をするのは、自分で通院できる体力があるまで、と決めていました。 1人で通院できなくなるほど体力が衰えた時は、治療を止めるつもりでした。 最初に抗がん剤の治療を始める時、病院内の「癌支援センター」のソーシャルワーカーさんや先生との話でその話をして。 その後、抗がん剤治療を止めた後は、在宅でできるだけ頑張りたい事を伝えていました。 ソーシャルワーカーさんから、居宅介護支援事業所に連絡を取って下さいました。 そして、昨年亡くなった主人にかかわって下さっていた方が、私のケアマネージャーになって下さいました。 それから以降、主治医の先生や病院と色々連携を取って下さっています。 2階で寝起きしている私が、階段を下りる事ができなくなったり。 日中、休む必要がある時の為に、1階にレンタルの介護ベッドの手配など、11月末に済ませて下さいました。 退院の前日には、そのケアマネさんと事業所の所長さん、訪問看護師さんが病院へ来て下さいました。 6階病棟の私の担当看護師さんに、直接に、私の現在の治療の状況や用具の確認。 ソーシャルワーカーさんに私を加えての6名全員で、現状把握と退院後の今後の打ち合わせでした。 いずれ通院が困難になる時期を予測されますが、それまでは、月2回程度の訪問看護、観察を入れるのが良いかと。 そして、私が不安に思っていた、「治療を受けてしまった後の体調の変化による点滴抜去」ですが 取り敢えず、次の治療の時から、抜去日の時間帯に、訪問看護の日程を合わせて下さる事になりまして。 自宅で、看護師さんが様子を観察しながら点滴を外してくださる事になりました。 時間が大きくずれたり、中止になったら、病院から事業所の方に連絡もして下さるそうで。 「どうぞ、安心して退院してください。何かあればいつでも事業所か病院へ連絡ください」と。 そういわれ、安心して退院してきました。 主人の療養中は、自分が何でもやろうとしましたが、自分となるとそうはいかない。 沢山の人の手助けを借りる事になりそうです。 主治医の先生始め、関係する方々の素晴らしい連携と暖かい心遣いに心から感謝しています。 さて、退院する前日と当日の旭川は、豪雪に見舞われドカ雪が降りました。 道路わきに除雪の山ができて、見通しが悪い上、車線が少なくなりました。 幹線道路でも右折の車がいると、後続車は横を通り抜けられないでストップする所があり、あちこちで渋滞。 看護師さんたちも、1時間以上の遅刻が多かったそうで。 そんな日の退院、タクシーを呼んで果たして来るかしら? 何人待ちだろう?きっと凄い事になってそう。 でも、何時間でも待てば、来てくれるかもしれない。 外で待つわけじゃない、暖かい建物のロビーで待っているのだからと、タクシーを呼ぶつもりでいると。 オットさんの仕事が休みの日で、「大雪で混んでいて、タクシーが今日は無理かも、迎えに行く」との連絡が。 嬉しい!と、喜んだのですが・・・。 オットさんの車がきて、家へ向かったのですが、無事に家に着くまで、あまりの道路の惨状にぞっとしました。 オットさんの大きな車、道路を泳ぐように進みました。どこで埋まっても不思議はない。 きっと決死の覚悟で出てきてくれたのでしょう。 国道など幹線道路は渋滞ですが、それ以外の市道では、降った雪の多さに埋まる車が続出。 勢いよく前進している間はいいけど、一旦停止したり徐行すると、前進も後進もタイヤがズブズブ埋まり始め出られなくなります。 雪ですが、泥沼に入った状態でスリップするうち、どんどんボディまで埋まってきて、自力脱出できなくなる。 配送業者であるクロネコヤマトさんも、灯油配達トラックも、タクシーも郵便局の車も、あちこちで動けなくなっていました。 無事に家に着きました。玄関は雪に埋もれていたけど、その割には雪が少ないので、だれか除雪してくれたのね。 と思いましたら。なんと! 朝から、ずっと中学生のタケちゃんとオットさんで、何度も除雪しては融雪槽に運んで融かしていたそうで。 ダンプタケちゃんと、ブルトーザーオットさんが頑張ってくれていたのでした。 ちなみに、この玄関は下の2段の雪をどけてみましたが、私を迎えに来る前に1度綺麗に取ったのだそうです。 私を迎えに来ているたった1時間で、また段差が埋もれるほど降ったのです。 退院荷物を片付け、体調が戻っている私は、運動がてら残った雪を融雪槽に運んで融かしました。 雪を跳ね上げるのは力が要りますが、スノーダンプですくい、載せた雪を融雪槽まで押して行くのは、力はいりません。 そりのように、スルスルと押して行き、融雪槽の前で柄を少し持ち上げると、するりと雪は水の中に落ちて行きます。 運ぶだけなら腕力は必要なく、ただ、往復するだけ。 除雪用具のスノーダンプを、非力な女性が使える「ママさんダンプ」とも言いますが、私には「ババさんダンプ」でもあります。 雪の量が少ない時は、端に寄せて置いてある程度溜まったら、スノーダンプで運ぶけど、こんなに豪雪だと端に寄せるのも大変ですが。 オットさんとタケちゃんの男2人のパワーで、片付いていました。 娘が、買い物をして冷蔵庫に色々入れてくれていました。 汁物やおかずなども色々入れてあり、味気ない病院食を我慢していた私は、とても嬉しかったです。 雪かきの終わったオットさんは、夕方、自慢の手作り麻婆豆腐を差し入れして下さり。 部屋に持って来た途端、花椒の凄くいい香りが漂い、鼻がクンクンしました。 とっても美味しくいただき、お風呂にゆっくり入って休みました。 入院中、足がなまるといけないと歩くよう心がけていましたが、でもせいぜい2000歩。 部屋ではWi-Fiがつながらないので、つながるロビーへ行ったり来たり。 でも体調の悪い日は800歩くらい。 退院した昨日は、動き回って7000歩も歩いていたから凄い。 今日はあまり動かず、静かにしていますが、体調は良いです。 心配していた体重も減ってはいませんでした。 良い歳末になりそうです。 ご心配いただいた皆様、ありがとうございました。元気でいます。
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