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カテゴリ:太田 裕士
火曜日担当の太田です。
このブログでも初期から2014年4月まで担当していた我師匠でもある小枝佳代さんが2月下旬、大空のかなたへ旅立ちました。どこかで一番身近だった私が、師匠のことをお伝えしなければと思っておりました。 正直今でも信じられないという気持ちです。 昨年11月にお会いした時には、お食事、お酒も召し上がっていたので、話を聞いた時はかなりびっくりした次第。ただ、今から思えば、ここ1、2年は入退院を繰り返していたなと思いました。お会いするとお元気でしたし、いつも通りという感じだったので、一報を聞いたときは、まさかという感じでした。 小枝さんが実況放送をするきっかけ。本人から聞いた話ではありますが、もともと小枝さんは、帯広でバンド活動をする中で、ライブをするにあたりMCが必要となって始まったのが、アナウンサーになるきっかけと伺いました。イベントや、結婚式の司会などするようになり、そこに、帯広競馬場でホッカイドウ競馬を開催していた帯広競馬場で業務放送(馬紹介や払い戻しなどの放送)を担当。当時実況アナウンスを担当していた稲垣聖(さとし)アナウンサーにスカウトされて、実況を始めることになったそうです。実況やってみないかと言われたときは、何を言っているのと思ったそうです。札幌競馬場デビューで、当時女性実況アナウンサーは珍しかったので、デビュー戦はテレビ局など多くの報道人のいる中での初鳴きと伺いました。ただでさえ緊張するのに、報道各社の人がいる中でのデビューは大変だったことと思います。それからしばらく、稲垣アナウンサーが運転中に心臓の発作で亡くなり、急遽会社を引き継ぐことになったようです。そして、私との出会いとなりました。 私と小枝さんが知り合ったのは1995年。翌96年から一緒に仕事をするようになりました。 当時は私も世間一般的な(だと本人は思っていたが・・・)若者でしたので、右も左もわからず、一般常識的なところは、小枝さんから学びました。 また、とても厳しい人でもありました。怖い師匠でもありました。よく怒られていたという印象です(笑)ただ、自分にも厳しい人でした。自らつらいと言ったり、弱音などはくことは、まずなかったですね。 私が仕事を始めた当時は、まだまだ女性が競馬の仕事につく人は少ない時代でした。女性の競馬実況アナウンサーは、今でもそうですが、珍しいですよね。それだけに、今の時代ではありえないですが、理解してくれない人もいたというのが実情。新人の私にも聞こえてくる声はあったので、本人は相当大変だったのではと思います。声を低く、低く話すように努力、苦労されていた。小枝さんのデビュー当時の実況と晩年では大分声のトーンが違うことがわかるかと思います。 反対に応援してくれる人も多くいました。小枝さんの人柄という所も大きかったかと思います。業界の人も多かったですが、それ以外の人も、よく放送室に差し入れをもってきてくれたことを思い出します。 実況アナウンサーとして活躍ではありましたが、小枝さんのセレモニーの司会は、私の知る限り超える人はいないと思っております。結婚式、式典など、それぞれの現場で合わせて話し方やトーンを変えて、すごく勉強させていただきました。今の若いMC達にも、当時の小枝さんの技を見せてあげたいと思う次第。いつもすごいと思っておりました。 (歌うまかったなあ バンドもやっていて、かなり昔バンド仲間でもある、デビュー前、帯広にいたときのドリカム吉田美和さんのバックコーラスをしていたこともあったそうです。その時のビデオ見せてもらって感動したこと思い出しました) 先天的に腎臓が弱かったそうで、2002年から透析をするようになり、そんな大変な中、仕事も精力的にこなしておりました。ホッカイドウ競馬は当時、札幌、旭川、門別と回っての開催。我々は帯広からそれらの地域に出張しながら実況をしておりました。小枝さんはその出張先で透析をしながら実況していたわけです。デー開催なら開催終了後、ナイターだと、午前中に透析をしてから実況しておりました。 絶対に小枝さんは言いませんが、相当大変だったと思います。透析後、体調が悪いこともあったことでしょう。体調辛そうだなと感じることもありました。 2014年3月に実況アナウンサーを引退。その後は帯広の結婚式場・レストラン・フラワーショップ・ご宴会場を合わせた複合施設 IN THE SUITEで仕事をされておりました。今年に入ってかなり体調が悪かったようで、入退院を繰り返されていたそうです。ただ、責任感も強い方ですので、仕事を気にされて、亡くなる前日にも出勤されていたと伺いました。仕事をしていた方が、気がまぎれる、小枝さんらしいなあと思った次第です。 亡くなってから葬儀まで少し時間があったので、会いに行ってきました。眠っている感で、とても亡くなっている感じには思えない安らかな顔。いまにも「ゆうじ!!」と言いそうな、そんな姿に信じられない気持ちいっぱいでした。 葬儀にあたり、競馬関係者の多くの皆様からも、ご香典、ご供花、ご弔電をいただきました。この場を借りまして、ご親族に代わりお礼を申し上げます。また、生前お世話になった皆様にもお礼を申し上げます。 ばんえい競馬では開幕に、これまで北海道の競馬を支えて下さった小枝さんの功績をたたえ、追悼競走をする予定です。 その際は、皆さん一緒に故人を偲んでいただけましたら幸いです。 今私がこうして競馬の仕事に携わっていられるのも、小枝さんのおかげ。感謝しかありません。ほぼ息子のような感じでいつも見守ってくださっておりました。今後も大空のかなたで見守ってくれることでしょう。 師匠から受け継いだものが多くあります。 今後私は、その小枝イズムを後輩たちにつなぎ、競馬の魅力を多くの方に伝えていくことが、使命かと思っております。師匠の深い想いを大事にしていく所存です。 まだまだ語りつくせないぐらい思い出がありますが、その時その時の分岐点では、小枝さんお言葉を思い出して、これからの人生進んでいければと思います。 これまでの本当にありがとうございました。心から感謝申し上げます。 謹んで小枝佳代さんのご冥福をお祈りいたします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年04月11日 18時29分28秒
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