免疫、棲み分けそして多文化共生社会
いや~、このところ、新型コロナウィルスだとか、アメリカのBLMだとか、人間も、やっぱり生物としての本性から外れることがまだまだないなあと痛感させられることが続きますね(そりゃ、当たり前なんですが)。ちょっと取り留めのないことを書きたいのですがね(笑)、生物というのは、自己と非自己を区別して、非自己を排除するシステムを持っているものですよね。例えば、ミクロの世界では、免疫がまさにそれですよ。個体群ないし種に範囲を広めれば、棲み分けがそれですよ(但し、ダーウィンではなく今西錦司です!)。移民あるいは多文化共生社会の問題だって、生物として人間が持っているシステムを無視して絵を描いても、本性から外れてしまい、歪んでしまいます。つまり、少量の異物を取り込むと、免疫力が活性化して元気になるが、大量に取り込めば具合が悪くなるか最悪の場合、死んでしまうということです。ですから、一部の分野で専門スキルを持った外国人は積極的に受け入れるべきだが(特に日本はアジアでそういう役割をまだ担っている)、外国人の単純労働者や新卒の留学生を大量に受け入れれば、国家が歪んでしまう(多文化共生社会とは絵空事に過ぎない)。トランプやプーチンはマスコミには執拗に叩かれるが、愛国者ゆえであるとも言えます(だいたいマスコミの背後には、国家破壊勢力があるもので)。入国管理局が入国管理庁になりましたが、さて、日本はどうなるでしょうか(ホントに取り留めなかったですね(笑)。では、では)。<今夜の1曲:Totoの「Africa」>タイトルがアフリカだし、MVにも地球儀でアフリカを映したりしているが、なんか違和感があるのは否めない。映像は中南米が混じっているような、音はアジアが混じっているような。悪気はないが、無教養のアメリカ人にとって、アフリカってこんな印象だったんだろうか。