カテゴリ:教育について
「未履修な人が今から履修するのは酷」
だけど 「必修を守ってきた人からすると、それまで予備校的教育を行ってきた人からすると“ずるい”」(し、うーん、難しい問題ですね…と続く) という高校生からの意見に対し、こんな意見を返しました。 何かある方はどうぞ(^^ ========== この感覚、と~ってもよくわかります。私も高校生のときに、この事件にあたっており、「履修している高校の生徒」だったら、こんな感覚をもったんではないかな…。 ただ、受験を経験し、大人社会を経験し思うのは「受験を優先させて指導要領を守らず、受験教科にシフトした対策をやる」ことで、果たして生徒の受験実績は(長期的に見て)あがるのだろうか、ということです。 短期的には上がるときもあるでしょうし、メリットを受ける高校生もいるでしょうが、現実ではメリットばかりともいえないと感じるんです。 たとえば ●A高校理系では、指導要領を守り、受験対策もするため、3年間で16コマ(=3年間で学習する理系の数学標準単位数)を設けながら、1コマで進むスピードを他高校より速くし、実質的には2年間11コマ(標準進度)でほぼすべての教科書の内容を終えて、3年目5コマは受験対策に専念。 ●B高校理系では、数学の受験対策をするため、3年間で30コマ(←ちょっと極端ですが)を設け、最初の2年間20コマでほぼすべての教科書の内容を終えて、3年目10コマは受験対策に専念。 「東大入試」に絞って考えると、結果はA高校の方が実績を残すような気がします。 つまり「コマ単位で見た理解スピード(=理解力)」が速いように培われた人間の方が、実力そのものが上になることも多いんではないかな、ということなんです。 もちろん、反面、スピードの速い授業は落伍者も出ますので、一長一短ですが、「必修授業をカットして予備校的対策を行った」ことで、有利になることは(全体を俯瞰すると)ほとんどないと感じています。 個々人の事象に落として考えると… 「“教えられる”という状況が与えられないと勉強ができない、しない高校生」であれば、上記B高校で学ぶことの方が「受験に有利」に作用する場合も多いでしょう。 逆に見ると、上記B高校で学んだがゆえに、必修単位の芸術が疎かになって、芸術系大学に進学するのが難しくなる生徒もでるでしょう。 このような議論もできますが、これはあくまで個々のレベルでの話です。 私事を話しますと、自分は理数科出身です。 理数科の指導要領は普通科とは異なり、「物理」「化学」「生物」「地学」が「必修」なんです。 生物は高1、2の2年間で5コマ、地学は高1の4コマ。受験に必要・不要という視点で見ると、「不要な時間が多い」カリキュラムになっていました。(そして当然、東大志望の私もブーたれてました。笑) しかし、クラス41名、東大・京大に限ってみれば、東大2名、京大6名(7名だったかな?)全員現役合格できました。 ※平年の平均的東大・京大合格者数の全校合計がこれくらい、という地方の公立高校とお考え下さい。 物理は最後の単元を駆け足で(理科4科目なんで、どうしても2年から始めた物理の進行が遅くなってしまった)、日本史は近代の終わり~現代史を「教科書読んでおいてね」レベルでセンターに突入、国語なんて文学者チックな先生で、そもそも受験に関係する国語の勉強なんてやったかな?程度。 また、団塊世代Jr.ですから、一番「受験戦争」が激しく、いわゆる「三大予備校」が急激な成長を続けている時代。。。 でも、いわゆる「難関大学進学実績」という尺度で見れば、ものすごく高いクラスになっちゃいました。 話を変えて、社会人になっても。。。 いわゆる「会社主催のセミナー」(=“教えられる”環境が与えられる)で、そうですね、たとえば「経済学」などの自主参加セミナーがあったとき、 Aさん:「あ、私、経済学の勉強全然してないから、教わらなきゃ」(=すべてこのセミナーで教われると思っているタイプ) Bさん:「経済学はやらなきゃいけないのわかっているけど、なんにもやってないから、せめてものキッカケに」(=セミナーは自分で勉強するキッカケとして利用する人) Cさん:「自分で勝手に勉強するからいーよ」(=必要な知識をしっかり自分で見つめ、自分で学ぶ人) Dさん:「めんどくさいからいーよ」(=必要・不要の判断まで余りにも勝手に自分の尺度で考えてしまう人) 仕事の「できる人」というのは C≧B>A>>Dという感じですね(笑) ♯Cは自分の能力に有頂天になるときがあるので、たまにBの謙虚な姿勢に逆転されるため、>ではなく≧みたいな。 決して「教わる環境が与えられる」ことが有利にばかりは作用しないのです。 「制約条件思考」と、私が勝手に名づけている思考法があります。 「自分では変えられない制約条件」っていっぱいありますよね。 たとえば皆さんであれば、田舎に住んでいること、両親の収入の格差、今回問題になった各学校での差異、あるいは「先生の教え方」「先生との相性」…その他諸々。 これは「制約条件」なので、自分では変えられないんです。 そこで、その制約条件から「ひがみ」「ねたみ」に入ってしまう発想ではなく、 「自分の目的を達成するためには、その制約条件の中でどうすれば最大のパフォーマンスが得られるか」 こんな考え方を「制約条件思考」と名づけており、「実際の結果(成果物)」だけではなく「幸福感」を一番得られるのは、この発想ができているかできていないか、ではないでしょうかね。 きっと受験においても。 余談)その制約条件が「余りにもキツイ。差別だ」と感じていれば、大人になってから、次を担う若者にそのような社会をもたらさないよう奮闘する。 それが、人間性を高めながら「生きる」ってことだと、自分は捉えています。 今回の未履修の件では、 ・未履修だと認知はしていたが、でもそんなもんなんだ、と思っていた高校生 ・そもそも必修単位がそこまであるって知らなかった高校生 そういう方が大半だと思いますし、この意識に至るまで高校生に「(情報を仕入れるための)努力不足」があるとは思えません。 そんな高校生に対し、今の段階から膨大な時間を割いて履修を強いるのは余りにも酷と言うもの。 ※簡単に言えば「“知らない”ということに過失はほとんどない」条件下では「知らなかった者に罪はない」という立場なんですね。私。 もちろん、そんな危険性がある事を、学校側は認知しておかなければいけませんので、学校に責はあります。 教員の実数や実態を「知ってて当然」の状況にありながら、見過ごしたお役所関係者にも責はあります。 また…受験生を長年見つめてきて「この時期にこのようなことを伝えるとどういう心情的パニックになるか」がわかっている立場上、子どもたちの心情不理解、というより、理解しようとしない、自分が「目立つこと」しか考えないマスコミ報道には、「責任」はないかもしれませんが、「思いやり」が全く感じられません。 教育業界に所属する自分としては、今、パニックになっているだろう受験生に何ができるか、それを中心に考えなければいけないと思っています。 最後に、皆さんは、今感じている不平・不満を決して次世代には引き継がないでくださいね。 そう自然に思って生きることが、きっと一番幸せになれますし、成功もすると思いますよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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