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テーマ:沖縄の暮らしあれこれ(551)
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一体全体どれくらいサボっていたのでしょう? みなさま、お元気? おいらは元気。意気軒昂。また宜しくね さてさて。長らく何をしていたかと申しますと・・・・・本を読んでました。 しばらく前から、私にはかなり荷が重いけれども「日本民族解放運動」に取り組もうと考えているのであります。 日本民族解放運動? 手短に言えば、「大東亜戦争後、米国による洗脳が始まった。自存自衛のための戦争を侵略戦争であると認識させ、軍国主義者と国民の対立という構図にすり替えていくものであった。連合国に向かうべき憎悪は祖国と同胞を救うべく命を投げ出して戦った英霊に向けられることとなった。 防衛における主権は喪失したままで、日米安保体制への依存により米国の侵略戦争に巻き込まれている。 支那、朝鮮の介入により、教育における主権さえ奪われてしまった。「強制連行」、「南京大虐殺」、「従軍慰安婦」などという捏造された歴史により贖罪意識が植え付けられている。 我々が自ら立ち上がらない限り、精神奴隷に甘んじる外なく、このままでは近い将来、民族の滅亡を迎えるであろう。 悲惨なことに、精神奴隷は精神を侵略されているので奴隷の自覚がない。歴史の検証を武器に洗脳を解き、以って自尊心と民族の紐帯を取り戻す。これ即ち日本民族解放運動である。」ということです。 そんなわけで、とりあえず「歴史の検証」と「洗脳から解く術の研究」とを並行して行おうとしているのです。 「歴史の検証」は膨大な資料との格闘となりますから、時間と根気が必要となります。残された時間も限られている以上、初めにあらすじを辿って、追々肉付けしていくことになるのでしょう。 手始めに江藤淳著『閉された言語空間 占領軍の検閲と戦後日本』を読み始めました。裏表紙にはこうあります。 「さきの大戦の終結後、日本はアメリカの軍隊によって占領された。そしてアメリカは、占領下日本での検閲を周到に準備し、実行した。それは日本の思想と文化とを殲滅するためだった。検閲がもたらしたものは、日本人の自己破壊による新しいタブーの自己増殖である。膨大な一次資料によって跡づけられる、秘匿された検閲の全貌。」 著者がアメリカの公文書を丹念に調べ上げたものですから、いわば証拠の山であって、骨子は上の文に尽きるでしょう。・・・・・ということで1/3ほど読んで一旦投げ出しました。 大まかな流れをおさらいしておこうと思って次に読んだのが半藤一利著『昭和史』。昨年の今頃には書店の平台に山積みされていました。1926~1945編と1945~1989編との2分冊で、計1150頁を超えますが読み易かったです。 細かい点では異論もあるのでしょうが、敲き台としては適していると思います。 そして「洗脳から解く術の研究」。 『呪』という言葉があります。 手元の辞典によると、「1、のろうこと。呪詛 2、まじない。呪術 3、〔仏〕陀羅尼の別称。」とあります。 これから話そうと思っている『呪』は「2」の「まじない」のことだと思って下さい。『呪』は今でこそ非科学的な胡散臭いものと考えられていますけど、古の人々は効能のあるものと考えていたはずです。いや実際に効果のある『呪』があって、未だ科学的に解明されていないだけということもあるでしょう。 例えばプラシーボ効果のようにただの小麦粉が薬効を顕すこともあります。すっ転んだ子供に、「痛いの痛いの飛んで行け~」と唱えれば痛みが消えることもあります。 科学的なはずの西洋医学の薬だって体質その他によって効いたり効かなかったりしますから、科学とまじないの間に明確な境は無いのだろうと考えています。 さて、少なからぬ日本人が『呪』をかけられていて、彼らに「日本の迎撃ミサイルより中共の核ミサイルの方が驚異だ」とか「日の丸が怖いと思い込まされているのは洗脳されている証拠だ」と真っ当なことを言ったところで聞く耳を持ちません。 風邪をひいて発熱している人を冷やしたところで風邪が治るわけではないように、現象だけを捉えてそこに働きかけても効果がないわけです。 『呪』とは梃子の力点のようなものなのでしょう。 で、あるならばどこに働きかける(呪をかける)と日本人はどういう思考になるのかを解明する必要があります。つまり日本人とは何かを解明しなければなりません。 井沢元彦は『井沢式「日本史入門」講座』(現在、文庫では4巻まで)で、平安期までを例に日本人の信仰として、以下の4つを指摘しています。 「和」の信仰 ケガレ忌避信仰 言霊信仰 怨霊信仰 聖徳太子の十七条の憲法(現代語訳)では 第1条に「一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。それだから、君主や父親のいうことにしたがわなかったり、近隣の人たちともうまくいかない。しかし上の者も下の者も協調・親睦(しんぼく)の気持ちをもって論議するなら、おのずからものごとの道理にかない、どんなことも成就(じょうじゅ)するものだ。」としています。 第17条でも「十七にいう。ものごとはひとりで判断してはいけない。かならずみんなで論議して判断しなさい。ささいなことは、かならずしもみんなで論議しなくてもよい。ただ重大な事柄を論議するときは、判断をあやまることもあるかもしれない。そのときみんなで検討すれば、道理にかなう結論がえられよう。」とほとんど同じことが述べられています。 「話し合って決めたことは自ずから道理に適い、どんなことでも成就する」というのは信仰の域にあります。 「篤(あつ)く三宝(さんぼう)を敬え・・・・」という第2条や、「詔(みことのり)を承(う)けては必ず謹(つつし)め。・・・・」という第3条よりも「和」を優先させています。 これは明治天皇の『五箇条の御誓文』の筆頭にも「広く会議を興し、万機公論に決すべし。」と引き継がれています。 「和」を貴しとする考え方は、今でこそ世界の共通認識になりつつありますが、中共や朝鮮労働党はそのようには考えていません。 「和」を貴ぶ中にそうでない者が居た場合にどうなるか? 平安末期。軍隊・司法に当たる兵部省・刑部省がありながら、ケガレ忌避信仰(死刑に係わりたくない)から機能せず都には悪党が蔓延っていました。仕方なく令外官として検非違使を置きました。 地方ではそれもないため、自存自衛の為に武装し始めたのが武士の興りです。 そう考えると「非武装都市宣言」とか言ってる人の方が純日本人で、私のように自存自衛を唱えるものは突然変異の日本人なのかもしれません。 日本人とは何か?ベネディクトの『菊と刀』も示唆に富みますし、梅原猛も読み返したい。イザベラ・バードの『日本紀行』って本も買ってあるし、宮本常一、柳田国男なんかも読むべきかも。 現代日本人について書いたものはあるかしら?現代日本人は多様化してしまってるから、断片を拾い集めるしかないのでしょうね。 さて、そんなこんなで、読むのが追いつかないのに、頻繁に書店に通っては買い込んでいます。 余談だけれど、表紙に写真が載っている人っていうのに気がつきました。勝間和代、大前研一、落合信彦、、、、、などで、何だかどれも好きになれません。 そうそう、前に買ってあった空海の『三教指帰』も読み終えました。空海が24歳のときに書いた『聾瞽指帰』を手直ししただけのものです。24歳でこんなことを考えていたのかと思うと、やはり超人ですね。 戯曲のように、儒者・道士・乞食僧が順に登場し、それぞれ儒教・道教・仏教について語り、仏教の優位性(というよりも、脳幹・小脳の外側に大脳があるような感じ)を論証するものです。 この本を読み終えた頃に夢枕獏著『沙門空海 唐の国にて鬼と宴す』(全4巻)を見つけて買ってきて、今夜、読み終わりました。 『三教指帰』に見える若き空海の悩みよりも、このフィクションで生き生きと『呪』を使いこなす空海の方が、私のイメージする空海に近い。空海に付いてまわる胡散臭さが上手に書かれています。 空海自身は、唐より持ち帰って溜め池造りなどに発揮した土木技術も呪も同じように考えていたのでしょうけれど。「蜜」というのは森羅万象の定めであり、溜め池を造るにはここに働きかける、呪をかけるにはそこに働きかけるというくらいの違いしかないのでしょう。 司馬遼太郎著『空海の風景』では、日本では「蜜」の断片=雑蜜しか手に入らず、純蜜を求めて入唐したことになっていたと思います。 ところが夢枕獏の手に掛かれば、既に「蜜」を身に着けていた空海が蜜法を広めるための方便として、「あの唐の、あの青龍寺で、あの恵可和尚から、伝法灌頂を受けた空海」になるために唐に渡ったことになります。 実際、唐に渡るちょっと前まで私度僧であった空海が帰朝後には嵯峨天皇と親しく交わり、高野山や東寺を賜り、比叡山まで蜜法化したことを考えれば、あながちフィクションとも言えない気もします。 「柔よく剛を制す」、「小よく大を制す」。蜜法=宇宙の法則を学べば、非力にても大の敵を倒すことができるはず。中共に飲み込まれない方法があるかも知れません。 近々、今なお高野山の奥の院に座すという空海に逢ってこようと思っています。 ほんじゃまた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年06月27日 02時21分18秒
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