何か食うかい?
すご~い( ̄▽ ̄)今、流行りのだんしゃりや~っという返信メールを貰ったのは相当前のこと。 当然、流行り廃りに疎いおいらには「だんしゃり」の意味が解りません。 男シャリ?俺、男シャリ? バックにぎゃっつび~♪とか流れてますか? 調べてみると『断捨離』っていう本のことでした。 なんかもっとかっちょいいものを想像してたのに。残念。 で、何でこんな返信が来たかというと、、、、、、、 前回・・・つまり2ヶ月前の更新でも触れたように高野山へ参って来ました。その清々しい様に触れて帰って来て、うちの中にある諸々に対する執着心が一気に失せて整理を始めました。 そのことをメールに書いたことに対する返信が断捨離です。 上の本、読んではいませんが、説明によると、断=入ってくる要らないモノを断つ捨=家にはびこるガラクタを捨てる離=モノへの執着から離れるということですから、正しく昨今のおいらの心境と同じです。 まだまだ、路半ばですけどね。 では、その高野山の話を。 前日の懇親会で遅くまで飲んでたので、予想通り出発は遅め。電車を乗り継いで難波駅へ、難波駅からは南海電鉄の特急こうやとケーブルカーを乗り継いで1時間半で山上の人となります。ケーブルカーを降りると路線バスで女人堂を経て高野山の中心へ。 昔は女人禁制のお山でしたから、女性は女人堂から先へは入れませんでした。今では女性も普通に入れます。 さて、今回の目的の一つに「阿字観」なる瞑想法を習うことがありましたので、宿坊組合へ行って「阿字観」体験のできる宿坊を紹介してもらいました。 宿坊へ着くと「阿字観」は4時半からとのこと。修行は朝早くからという思い込みがあったのに。 時すでに1時。高野山と一言で言っても広うござんすからね。今日中にあらかた周ろうと思っていたのが無理だと判ったので、第一の目的、奥の院の空海に会いに行くことにしました。 ここは一の橋。ここから先は大名家の墓から、仕事中に亡くなった方を供養する大企業の碑まで、新旧のお墓がびっしりです。空海が参詣者をここまで送り迎え(迎え送り?)してくれるという伝承があるそうです。 お地蔵さん。宝くじでも当たれば、全国のお地蔵さんの写真を撮って廻りたいもんです。 しばらく上って行くと奥の院。で、その奥にお大師の廟がありました。 何を話したかは秘密。 ま、空海が生きているって信じない人もいるでしょうけど、1200年も前に空海が動かし始めた歯車がまだ回り続けていることは間違いないでしょ? 奥の院は撮影禁止なので御朱印を。 四国のお遍路から使っている朱印帳。6年かかってようやく奥の院まで辿りつきました。 別の道を下ってくると英霊殿。 大東亜戦争で亡くなった英霊を祀ってあります。 「敷島の大和心を人問はば朝日ににほふ山桜花」とは、かの本居宣長の歌です。 最初の神風特別攻撃隊はこの歌から「敷島隊」、「大和隊」、「朝日隊」、「山桜隊」と名付けられました。 そのことを踏まえた碑なのでしょう。 英霊も祀ればシロアリも祀る。キリストを抱いたマリア像もありました。 高野山、すげ~っす。 続きはそのうちに。 じゃまた。