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カテゴリ:適当な話
ダンナ小柳の出身中学は400人11クラスのマンモス中学であった。
うちの中学は迷惑な校則があり、生徒は必ずどこかのクラブに所属しなければならないというものであった。 まずは一番人気のサッカー部に入ったが1年生は来る日も来る日も 炎天下の中ゴール裏で 「ナイスシュート。」「ナイスキー(パー)」と叫び続けるという バカみたいな伝統があり、まったく練習させてもらえない。 あまりにバカらしいので速攻やめた。 当時の運動部はどこも良く似たものであった。 やめてどこに行こうかぶらぶらしていたら担任からお声がかかった。 「ソフトボール部入らへんか。近畿大会いけるで!」 当時我が県には男子ソフト部が3つしかなく じゃんけんに勝てば自動的に準優勝となり近畿大会に行けたのだ。 「まぁそこまで言うならやるか。」と入部したが 練習が一向に行われない。 当時男子ソフト部は実は隠れ1番人気と言おうか クラブを辞めた者たちのうばすて山みたいになっており 実は所属人数が100人位いた。 しかし、うばすて山の男子ソフト部には「ヤンキー」と「勉強が忙しくてクラブどころではない奴」と「デブ」しかいなかったのだ。(ダンナ小柳がどこに属していたかは秘密。) 結局卒業までに練習は数回しか行われず、県大会当日も9人集まらなかった。 まぁ先輩がユニホームを盗んで返さないので集まったとしても試合が出来ない(ヤンキーなので文句が言えない。)という有様であった。 1度だけ女子部と練習試合をした時はほぼ完全試合に近い形で負けたような気がする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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