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Mr.Oはカルチャーの英語の先生だった。
一番下のお嬢さんが3歳になり、幼稚園へ。 やっと私も自由になる時間が出来て、まずは英語のお勉強 そこの英会話のクラスの先生でした。 彼の経歴は変わっていた・・・ だんだんとレッスンが進むにつれてなぜかがわかったんだけど。 彼は南方へ送られ、終戦 そこで 捕虜となった。 そこでの生活が時折 レッスンの中で垣間見えます。 彼は旧制中学で英語の勉強をしていた。 旧制中学は今なら高校ですから、英語の勉強はそんなに長くはなかったでしょう。 それに戦争で途中からは英語に限らず勉強はしていませんから。 学生の時、多分 英語が好きだったのでしょう。 しかし、ネイティヴと話した事なんかは全くなく・・・ しかし 捕虜となり、 彼の耳に彼らの アメリカ兵の話す英語が聞こえてきたそうです。 なぜか 彼らのしゃべっている事がわかった。 英語が理解できるから だんだんと 彼は通訳のように しかし 捕虜での生活はすさまじかった。 彼はさすがに レッスンでは話さなかったが、 後に 自費出版で 本を書いた。 その本を生徒たちの我々が 読み かなりの部分まで 知った。 知ったと言っても 考えてみたら わかりそうな事だけど 捕虜・・・ 狭い部屋に30人~40人くらいの捕虜が入れられ 当然 食べ物は粗末 トイレもありません。垂れ流し 当然 お風呂なんて。 考えてみれば 当然ながら 考えてみた事がなかったので かなりショッキングな 記述でした。 それでも生きる事がさらに大切で。 そこで毎朝 米兵が点呼に来るそうです。 数列に整列して 点呼を取る。 日本人なら たとえば 5x6 = 30 という風にすぐに何人いるかがわかるはずなのに 『やつら 掛け算が出来なかった』と。 縦に4本 その上から横に1本の線を引いて、5人ずつ数えていく。 途中 悪ふざけをして列を乱すヤツがいると また 最初から やり直し 点呼を取るだけに1時間くらいかかる時もあり、 『どうして日本はこんなヤツラに負けたんだろう』と思った と書いていました。 彼の言葉をそのまま使っていますので多少言葉が悪い部分がありますが、悪しからずお願いします。 また 記憶があやしい部分もありますので 悪しからず スルーしてくださいね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.08.15 00:35:11
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