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カテゴリ:雑件
本棚が自分の部屋に戻ってきたので、再び本に囲まれた生活になりました。
以前は読書家を自称してもいいくらいですが、最近はめっきり読まなくなりました。好きな本をときどき読み返す程度です。 よく読むのが正史三国志(陳寿)。史記や漢書など史書は全般的に好きですが、三国志が一番好きですね。とくに蜀書は何十回と読んでいます。蜀は辺境の弱小国家で、しかも最も短命だったので資料が少なくもっともボリュームがありません。有名な諸葛亮伝でさえ60ページほどしかありませんから。しかしその分想像力を働かしがいもあります。 三国時代が、後に三国演義としていわばドラマ化され人気になったのはなんといっても諸葛亮という政治家の存在でしょう。諸葛亮が終生こだわったのは、一言で言えば政治権力の正統性ということであり、だからこそ魏に仕えず生涯をその打倒に捧げることになったのです。呉は地方豪族という感じで、良くも悪くも長江に盤足居(漢字が出ない)している地方政権で、全国がどうあるべきかなんかどうでもよく、要するに思想は無いのですね。諸葛亮と蜀の存在が、覇道の魏のアンチテーゼになって時代を面白くしたのです。 もっともその結果戦争をして多くの人を死なしたわけですから、それが善行だったとはいえませんね。国の正当性だとか、イデオロギーだとか、そういうものは一般の市民には害でしかないのかもしれません。 ただ戦争の善悪はおくとして、税も重く、出征を繰り返して国民に負担をかけながら、諸葛亮の政治には民から不満がでなかったというところに、彼の政治家としての偉大さを感じます。政策が公正明大であったことや、私生活が質素で私利私欲に走らなかった彼の態度が説得力があるものだったのでしょう。 また過失から諸葛亮に処罰された重臣たち(主に巻十収められている)のほとんどが、諸葛亮に私怨を抱かず、逆に救ってくれると信じていたのも驚異のことです。庶民に落とされ流刑にされたリョウ立は諸葛亮の死を知り、「自分は救われることはあるまい」と嘆きます。同じく流刑にされた李厳も諸葛亮が死んだと知って絶望して病死しています。こういった事跡からみても、諸葛亮が公正な判断を下す人間で、処罰が厳格なのと同じくらい能力や善行には報いてくれると見ていたことが分かります。また、処罰が私怨からではなく故あるものだったと納得していることでもあります。 周囲からこのような「信頼」を得た政治家は史上でも希であり、諸葛亮の偉大なところだと思っています。諸葛亮は政治目標を達成せずに地方政権の宰相で終わりますから、その点では二流かもしれません。しかし、政治家としての態度にこそみるべきものがあるのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008/04/25 10:33:56 PM
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