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ドオォと波が「みらい」の体を揺らしていた。
ジャーナリストの片桐は艦内を撮影して回っていたが、乗組員の指示で自室にて待機するように促されていた。だが取材中の彼にとってこの緊急事態ほど「おいしい絵」をものにする機会は無い。夢中になって艦内中を走り回っていたのだが、いささか揺れの激しさが危なくなりはじめていたので指示通りに自室で待とうと向かっていたのだ。 ドンと再び大きく艦が揺れた。よろけた拍子にフィルムが手元を離れてしまう。 「くそっ、フィルムが」 夢中で拾い集める。が、転がってなかなか集められない。こうなってくると嵐は邪魔なものでしかなくなっていた。 ったくもう、ステルス効果抜群の新鋭艦なら台風の目もごまかせよ。 さっき、砲雷長の菊池という男に話してもらった、イージス艦「みらい」の長所を皮肉った我ながらできのいい嫌味だな、と片桐は笑った。 それにしてもこの嵐の中心にあった雲。仕事柄、嵐や雲の写真を何度も見てきたがあんな迫力のある雲は見たことが無い。思わず何枚か仕事を忘れカメラに収めてしまったが早く現像してみたいな。片桐は年がいも無くそわそわとしている自分に気付き赤面した。仕事を忘れて、か。 そういえばここ数年プライベートで写真を撮ったことがあっただろうか。取材だとか仕事を抜きにした写真を撮っただろうか。他からの圧力など構わずに取りたいと思うものこそ撮るべきものであるはずだ。いや、自衛艦隊や隊員たちの写真を撮りたいと思わない訳ではない。むしろかねてから興味が有り、今回の取材も自分から進み出たもので願ったり叶ったりであった。 ただ、何も考えずに撮るという衝動的なものが自分とカメラを繋げてきたはずだ。撮りたいという衝動無しには良い写真など撮れはしないではないか。とはいえ、これで飯を食っていっている以上は取材をしない訳にもいかない。あの頃の自分とはシャッターを押す理由が違う。それすら分からずカメラを手にしているつもりもない。社に戻ってこれらを一つの記事に纏め上げるまでは「私」など無いのだ。それは承知している。 あの雲は自分に、初めてカメラを手にした時のような新鮮な衝動を思い出させてくれた。この衝動に従ってみたい。「みらい」の取材を終えたら休暇を取って自分の撮りたい物をたくさん撮ろう、仕事も何も考えずに。片桐は密かに心に誓った。 そういえば初めて自前のカメラで撮った写真も空と雲であった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.07.29 19:25:29
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