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艦橋の角松は檄にも近い怒声を張り上げていた。
最新鋭のイージス艦が時化で航行に支障をきたすなど笑い話にもなりはしない。だが、嵐の規模は予想以上に甚大であり、予定に多少の遅れが見られはじめている。 短時間でこれ程の影響を受けるものなのか。 角松に僅かな狼狽の色が見える。といっても人的被害はまだ確認されてはいないし、艦の各部に以上もない。ただ航行速度に若干の減退が見られるだけであり、それは僚艦全てにいえる事であった。 だのに、この危機感は、焦燥感は何だ?状況を冷静に判断すれば何も困惑する場面ではないと分かるはずだ。この嵐を抜けた後で十分に修正可能なレヴェルの事態でしかない。 眼の前に広がる山の如き雲のすそ野を無闇やたらと引っ張って、その終わりを遠くへ、遠くへと感じようとしているのは俺自身ではないだろうか。目の前の雲をわざと巨大に感じ、心中の漠然とした不安を全て飲み込んでもらいたいのだろう? 先の見えない闇の中にこの不安を全て残して進む事が出来るのならばどんなに楽な事か。けれど、それではまた新たな不安を覚えても自己解決し得ることも無きままで、別の闇を捌け口にせんと彷徨うだけだ。そうやっていずれ、手放してはいけないものまでも闇の中に「贄」として置いてきてしまう。失ったものを取り戻すのは容易では無い。 角松はそのことを痛いほどに感じてきた。不意に陸に残してきた女房と息子の顔をゆっくりと脳裏に浮かべる。いや、むしろ残されているのは俺の方か。二人とも俺のいない生活という道をしっかりと歩き続けている。それに比べ俺は不安から目を逸らすように海に出てきておきながら今度はその海に不安を覚え、挙句それすらも甘受できずに置いていこうというのか。なんと脆弱な、なんと惰性にまみれた精神か。そんな自分自身が一番受け入れ難いな、と角松は嘲笑した。 この航海を終えたら、もう一度家族と向き合おう。あいつらとの時間を無下にせず大切にひとつひとつを感じよう。この困難な航海の先にそんな希望を置いておこう。それこそが、胸を蝕む一抹の不安を取り除くことになるのだから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.08.02 20:53:16
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