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ここで、今回の中国体験を振り返る、みたいなことを書くと思ったかもしれないが・・
今日はある人の日記より。。今回の体験から共感しました。 インドでは魂レベルの高い死者は火葬でなくそのまま川に流す。 下流では死体が川から浮いてきて、野良犬が死体を食べたりするそうだ。 誰もそんな光景を気にしないらしい。魂は別の処に行っているという考えだから、肉体の ことは誰も気にしない。全部、大地に返す、というわけである。 この記録を読んだ後、テレビのニュースで我が国の実情を知った。 その実情とは、近くの葬儀場で死体を運ぶ棺桶が見える、それがとても不愉快な気分にさせられる、とその葬儀場を訴えた人が敗訴したというニュースだった。 このニュースは、私の心に暗い陰を落とした。 別にインド人の許容量の大きさを讃えているわけではない。日本人のきめ細かさが、日本人独特の繊細な文化を生み、生活のさまざまな面での豊かさを生み出しているからである。日本人には日本人の長所、短所があるように、インド人にも長所、短所があるに違いない。 私が心配するのは、最近の日本人の心の狭さ、許容量の小ささがだんだんひどくなっているような気がするからである。自分のことばかり考え、公とか他者に対する配慮、寛容さが少なくなってきている人が増えているように思われる。 マスコミの報道も、高所、長期的な視野から複眼的に論ずるものは少なくなり、ヒステリックにゴシップや些細なことを騒ぎ立てる報道が増えているように感じる。日本人全体が感情的、短絡的になり、理性的な判断は時代の背景に押しやられているように思える。 精神的な側面から言うと、こういう状態の人は、精神的危機状態に近く、病気を発生させたり、人生につまづくケースが多い。今回のニュースは、そんな危ない状態が日本人全体に広がりつつあるように感じさせられるのである。日本社会が強迫神経症に罹り始めているのではなかろうか。 日本人全体が他者に厳しく、ちょっとしたミスにつけ込み、攻撃するような社会になったら、どんなに住みにくい社会になるか、ちょっと想像するだけでわかるだろう。そんな社会で育つ子どもたちが「いじめ」をするようになったり、逆に過度に防衛的になり、他者に心を閉ざすようになるのは当然の帰結といえる。 昔はよかった、と言うつもりはないが、大人たちはもうちょっと、ご近所や子どもに対して寛容だった。戦後、貧しさの中で、懸命に物質的豊かさを手に入れてきた私たち日本人が、失ったものは大きい。大正時代の末期も現代のような拝金主義がはびこっていたらしい。 その後に戦争へと突き進んでいった日本の歴史を考えると暗い気持ちになるのである。今こそ、日本人一人ひとりが立ち止まって自分の人生や日本社会を見直さないと、大変なことになるかもしれない、と考えて暗くなる私は、単なる悲観論者なのだろうか。 ・・・悲観したくないが、、、 8/5位から学生旅行者が増えるのでエアチケットがとり難くなり、残念ながら早めに帰国しました。 もう少しじっくり中国観察をしたかったのだが・・ 日本は静かでいいです・・ でも人間が上海に比べて静か過ぎて不気味ではあるが・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.08.06 12:40:47
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