今日から夫・ボコが7連休なデコです、こんにちわ。
最近宇宙語ながら一歳半児・あきPの言葉(のようなもの)が増えてきたのだが
不思議に思うことがひとつ。
それは、外で出会う犬の、
大きな犬もぬいぐるみみたいにフワフワな犬もTVCMで出てくるイラストの犬も
全部違うのになぜ「わんわん」として認識されているのか、ということ。
人は頭の中に「型」を作っていて
それは「椅子の型」だったり「犬の型」だったり「花の型」だったりするんだけど
その頭の中の「型」と実際の物を当てはめることでモノを認識したり新しく作り上げたりするというのが確かプラトンの説で、昔習ったことがあるように思うんだけど、
あきPは「わんわーん!!」とか言いながら大きかろうが小さかろうがその犬に目を輝かせながら近寄っていくんですよ。
鼻の長い犬もいれば黒いの白いの茶色いの、
みんな違うのに何で「わんわん」ってわかるんだろうと。
ましてやイラストの犬なんて目とか点とか丸とかで書いてあるし動いてもないのになぜって思うんですよ。
そういうの、思いません??
プラトンに言わせるとその型のことを「イデア」と言うらしいのだが
あきPや他の子もみんなそうだけどいつ「わんわーん!!のイデア」を獲得したのかと。
地面に生えてるギザギザの緑も、シュッと長い緑も、
高い木についてる丸い緑も、笹の葉も、あきPには「はっぱー!!のイデア」に合致するらしい。
そして今のところタンポポも「はっぱー!!のイデア」に合っているみたいなんだけど、
これは一体何をきっかけに違うイデアの方に分類されていくのか。
ちなみに今のところあきPには他に、
「おぱんちゅのイデア」「おてて洗おうねのイデア」「おさんぽのイデア」「ねんねのイデア」などが出来上がっているようです。
「おぱんちゅ」は、『おぱんちゅ替えようか?』と聞くと棚から出して持ってきてくれるし
一日に1,2回くらいですがあまりに吸収した水分のせいで重たくなってくるとさすがに不快なのか自ら棚に赴き「おぱんちゅ」を取ってきてくれるので
おそらく自分がはいているプーさん柄のオムツ=おぱんちゅだということはわかっているのだと思う。
おてても『おてて洗おうね』というと洗面所に向かうし、
お散歩も『お散歩行こうね』というとどんなに昼寝の寝起きが悪くても『ば!(=あきP語ではなぜか「yes」のこと)』と言ってスタスタと玄関に向かうし、
ねんねもやはり同じくねんねの部屋に向かうかまたはまだ寝たくない時は『あいや!(=イヤということ)』と言っておもちゃから手も目線も離さない。
あと、あまり「パパ」「ママ」とは言わないのですが『パパは?』とか聞くと探しに行ったりするので
恐らく「パパイデア」「ママイデア」も出来てる、と信じたい。
そんなわけで、まぁ勿論まわりが連呼するから覚えるっつーのはあるんでしょうが
人間の脳みそってなんかすごいなーと思う今日この頃なのであります。