50年来の楽しみ・・・「だんじり祭」の大太鼓!
ちょうど1年前にYOU TUBEにアップした、私の「だんじり祭り」の青年団と一緒に練習していた「鳴り物(お囃子)」の様子を再度公開させて頂きます・・・今年は9月に入ってからも仕事もプライベートも多忙を極め、太鼓の練習もタイミング的にまだ行けてません・・・明日あたり、夕方空手の稽古が終わって、夜の名越の世話人会の事務所開き前に、チョットだんじり小屋に覗きに行けそうです・・・夏にウインドサーフィンで痛めた右肘も治り、ジムで週2,3回筋トレで鍛えている大太鼓(水平打面)に必要な上腕三頭筋と大胸筋の衰えもなく?、今年も思いっきり太鼓を叩けそうです・・・これが、祭の唯一の楽しみですから・・・青年団の練習の邪魔をしない程度で、たったの5分程度ですので・・・1番(ゆっくり)、2番(普通)、3番(半キザミ=駆け足)を抜かし、4番(キザミ=走り)のみ叩きますので、けっこう疲れます・・・筋トレで言うと、最大重量に近いバーベルを10回×10セットするくらいでしょうか・・・たった5分でも、腕と大胸筋がパンパンに張り、親指の第1関節にバンドエイドを2枚張らなければ、豆が出来て潰れてしまいます・・・それほど、4番太鼓を5分間目一杯叩くというのは過激で、ヘロヘロに疲れるのです・・・何で、実際の祭ではあまり叩かない(使わない)4番太鼓を叩くのか?それは、4番太鼓は早く叩かなければならないので、タイミングとバチの強弱といったテクニック的な事が1~3番と比較にならないほど難しいのです・・・逆に4番が出来れば、1~3番は簡単です・・・1~3番までしか出来なければ、4番は絶対デキません・・・実際の祭では殆ど1~3番で用を足せ、チョコット4番叩くときは、単に両手でドンドン合わすだけで誤魔化せるのも確かです・・・しかし、それだけではオモシロくないでしょう・・・祭の太鼓の醍醐味は4番にあるのです・・・4番太鼓のリズムこそが、曳き子も後ろ梃子も大工方(3番は踊りやすいですが)もギャラリーもエキサイティングするのです・・・まだ1番と2番とか番号もついていなく、指示系統もなかった子供や青年団の頃に、大太鼓を叩きながらだんじりの中からだんじりを引っ張っている曳き子を覗き、その疲れ表情を観察して、鳴物全体の速さを調整(ユックリ叩くか早く叩くか?)していました・・・不思議な事に、曳き疲れてだんじりのスピードが遅くなってきても、4番太鼓を叩くとみんな元気になって、だんじりのスピードが速くなったものです・・・そんな若い頃の祭の経験をしてきましたので、尚更そう思うのです・・・そして大太鼓こそが、バンドで言うところのリードギターです(小太鼓はベース、鉦はドラム、横笛はキーボードか?)・・・自由にアドリブを効かせ、旋律を奏でる事がデキるのです(一部大太鼓の叩き方が決まっている町もありますが、基本的にどこの町でも大太鼓は個人のフリーな叩き方)・・・こんな、誰も文句が言えない、勝手にアドリブやり放題のオモロイ事はありません・・・私はギターはしませんが、ちょっとしたリッチー・ブラックモアやジミー・ペイジの気分です・・・(笑)空手の回し蹴りも、大太鼓でいうところの1番難しい「上段回し蹴り」の練習をメインにしなくてはならないと思います・・・単なる柔軟性や筋力だけでなく、腸腰筋といったインナーマッスルや体重移動のタイミングなど総動員して行う「上段」回し蹴りは永遠のテーマです・・・実践や試合であまり使えませんが、上段が蹴れることによって、中段や下段が楽に蹴れます・・・中段までしか蹴れなかったら、上段を蹴れるはずもありません・・・滅多に使う事もありませんが、大太鼓の4番と一緒で空手の醍醐味でもあり、稽古の「基本中の基本」だと思うのです・・・まァ、オッサン独りでシラフで行くのも恥ずかしいので、ビールを1本飲んで行きますので、酔いが叩いている内に回ってしまうというのもありますが・・・(笑)その分YOU TUBEでは、チョッとタイミングがずれているところもあるのでご容赦を・・・(笑)これだけ叩けば充分なワークアウトになりますので、家に帰って直ぐにプロテインを飲むと、よく効くと思いますよ・・・(笑)という事で、「まだ若いモンには負けへんで!」という気持ちで叩ける幸せを噛みしめたいと思います・・・しかし、短時間に身体能力の100%出すって、老体には悪いでしょうねェ・・・(笑)まァ、子供の頃から祭になると家に帰ってこないと、親が心配するほど、1日中だんじりに張り付いていました・・・(笑)小学校3年くらいで、すでに宮入本番で大太鼓を叩いていましたから、相当だんじりキチガイだったのでしょう・・・(笑)朝から晩までずっとだんじりに乗って、大太鼓に飽きたら小太鼓を叩いたり、鉦を叩いたり、横笛を吹いたり、オールマイティで祭を楽しんでいました・・・小学校では禁止されているにも拘わらず、廊下の黒板を太鼓代わりにして叩いたり、横笛を吹いたりして、先生にこっ酷く怒られ、よく廊下に立たされたものです・・・(笑)また、嫌いな国語の授業で本読みをしたくないため、祭で大声を出して声が出ないくらい嗄らして、本読みをわざとパスしましたねェ・・・(笑)青年団になってからは、自町の太鼓の練習だけではオモシロくなく、お隣の森まで行って大太鼓を叩かせてもらいました・・・また、日程の違っていた母親の実家の熊取の大宮や、岸和田の中町にもよく大太鼓を叩きに行きました・・・熊取や岸和田に飽きたらず、終いには、だんじりの形状が違った「上ダンジリ」の高石や和泉まで遠征がエスカレートしました・・・(笑)昔は試験引きの日や本宮の夜になると、割と自由に他町の人間でも叩かせてもらったものです・・・しかし下手に叩くと笑われますし、太鼓を破ったら大問題です・・・「他流試合」と言えども、真剣勝負でした・・・浪人時代、当時世界的に有名になりかけていた佐渡の日本太鼓集団「鬼太鼓座」に、勉強から逃れたいばかりに、本当に入団しようかと思っていたほどです・・・(笑)まァそれだけ、もう十分すぎるくらい叩きまくったにも拘らず、60近いジイサンになっても、まだ叩きたいんですねェ・・・(笑)なんなんでしょう・・・?ホンマに「好き」なんやなァ・・・ただ、それだけの事か・・・(笑)しかし、憧れの名門ドラムメーカー「ラディック」の創業社長は、100歳まで毎日ドラムを叩き続けたと言いますから、それには完全に負けますが・・・ ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ