岸和田で不動産研修
昨日は岸和田波切ホールで、不動産業務研修会がありました。内容は 1.中古住宅流通活性化における建物診断(インスペクション)の必要性 2.媒介報酬をめぐるトラブル事例 でした。不動産仲介における売上の最大化が日々の課題であるのは言うまでもなく、それに向かって努力しているのですが、織物時代と違ってやればやるほど売り上げが上がるものではないのです。不動産の仲介1本でヤッテいくには、不安定と言えば不安定・・・だから、不動産屋の多くは仲介だけでなく、安定収入を確保する為にマンションやビルの自社所有物件を増やしたり、自社で建売を販売したり、建物管理を請け負ったり、建築をしたり、測量士や不動産鑑定士や司法書士といった士業事務所を兼ねたり、はたまた全く違う分野を手掛けたりしているのです。やはり、10年で80%が消滅し異業種の大手がドンドン新規参入してくる不動産仲介ビジネスで、関連性のある近い職種でダブルインカムを狙ったビジネススタイルでないと、これからの厳しいビジネスシーンに応えられないと思うのです・・・考えてみれば織物業は土地と建物と機械設備で相当な資金を必要としますが、不動産屋は宅建を持っていれば1人でも簡単に開業できるという意味で、弊社のように「副業」として捉えるなら、やり様によっては80歳まで一人でコツコツ仕事も可能ですし、逆にこんな「美味しいビジネス」もない訳です。例えば何億という同じ物件を仲介しても、上場大企業の不動産会社も小さな不動産屋も仲介手数料は法的に同じ金額(上限)ですから・・・しかし、本業本丸の不動産の知識と実務経験が無ければ、そういった派生の仕事も上手くいきません。本業本丸を言い換えれば、「基本中の基本」とでも言うのでしょうか・・・やはり、基本が大事。今回のテーマの一つである「中古住宅流通」の国際比較をすると、日本で37%、フランスで66%、アメリカで78%、そしてイギリスでは89%というショッキングなデータが出てきました。日本の住宅販売の6割強が新築という、外国とは真逆の特異?なマーケットという結果が・・・日本の住宅の平均寿命は約26年程度というデータに対してアメリカの住宅平均寿命は44年、イギリスは75年であり、日本と比べてかなりの長寿命となっています。この違いは日本と欧米との歴史・風土の差、そしてそれらによって培われた住宅に対する民族的意識の差によるものだと思われます。「木造文化」を築き上げた日本では「住宅はいつか朽ち果てるものだから、適宜建て直すもの」という意識が根強いのに対して、「石造文化」の欧米では「住宅は永続的に残るものだから、使い続けて改良していくもの」と考える人が多いようで、この違いが日本では新築重視、欧米では中古重視の傾向につながっているのでしょう・・・しかし、日本の住宅が26年とは短すぎますし、住宅ローンを払い終える前に次の建て替えを考えなければならないという事か?確かに、戦後高度成長期に都会にドンドンと建てられていった建売住宅は、それくらいの耐久性が無いのかもしれません。いや、業者やマスコミが勝手に作り上げた「新築神話」に、我々国民が乗せられているだけか・・・?普通に考えれば、たかが?住宅ローンみたいなモノに自分の人生を振り回されるのもオカシナ話です・・・イタリアやスペイン、ポルトガルといったラテン系の国を旅して思いました・・・人生は楽しむモノだと・・・根本的に、何のために生まれてきたのかと?考えざるを得ません・・・来年還暦になり、子供3人とも結婚しましたので、親としての義務も果たしやっと肩の荷が下り、文字通り孫も出来て本当のジジイになって本当に寂しくなった今、余計にハイティーンの頃の様に「人生とは?」と、青い事を考えたくなるものです・・・(笑)。まァしかし、地方の住宅はチョッと事情が違うように思います。泉州の地元住民の住宅は、昔から「錣(しころ)」建ちという太くて長い木材をたくさん使う建築法が一般的でした。築50年というのも当たり前で、築100年超という家も珍しくありません。私の実家も築45年の錣(しころ)建ちですが(4年前に1階をリフォーム済み)、まだまだ新しく感じ、あと50年は充分もちそうです。泉州の「錣(しころ)」建築の家を所有している人は、誰もが100年住めると信じて建てますし、父親も実家を建て替える時に、中学生だった私に「お前は家を建てらんでええでェ・・・」と言ってたのを思い出しました。それほど家を建てる時に、施主も工務店も材木店も「腹を括って」真剣に家に魂を注ぎ込んでいたのでしょう・・・後で聞いた話ですが、材木店の社長が親父の要求(気に入った材料を集める)にノイローゼになりそうだったと・・・(笑)。家を建築中にチョッと現場を覗くと、親父が仕事を抜けて土壁の中の竹を編む職人さんを後ろでジッと見つめているではありませんか・・・「負けへんさかい、あんばいやっちょうェ(値切りませんから、手を抜かないでください)」と職人さんに・・・(笑)。これだ!と思いましたねェ。自分が出来ない事は100%人に任せるのではなく、監視(管理)しないとダメだと(性悪説?)・・・今正に社会問題になっている、旭化成のマンションの基礎工事の施工不良問題と根っこは同じです。まァ、都会は大手住宅会社や新興の建売業者によって軽量鉄骨や細い木でドンドン建てられたが、田舎は地元の工務店の熟練の大工さんによって太くて良い材料を選んで丁寧に建てられたという事でしょうか・・・しかし残念ながら、過去10年で「錣(しころ)」の新築が殆ど聞かなくなりました。難しい建築技術を持った大工さんが高齢化で殆どいなくなり、昔から1軒がだんじり1台分の値段(今なら土地別で1億円)と言われており、そんな高価な家を景気の良くない今は誰も建てられなくなりました・・・昔から和泉の国貝塚の山から裾野一帯には古代建築に必要とする材木が豊富で、聖徳太子が四天王寺を建立する時(1400年前)、その材木をこの葛城山に求め、伐(き)りだした材木を木積(こつみ)の地に集め、そこから近木川で流し、河口で再度材木を組みなおして海岸沿いに難波の地まで曳き、四天王寺の建築現場へと運びだしたそうです。それほど良い木が地元に揃っていたので、左甚五郎(岸上甚五郎左義信)の祖先は今から1300年前の飛鳥時代にさかのぼる壬申の乱(壬申という年に天皇の後継ぎ問題で身内同士で争った)の頃、宮廷(天皇の住い)の建築技術集団だったが、壬申の乱を避けるために乱が起こる前の年に、天智天皇の都があった近江の大津から、百数人の建築技術集団を引き連れて貝塚三ツ松に来て住み着いたようです。それから何百年もの時が流れ、左甚五郎一族による全国各地に膨大な数の寺社仏閣が建立されたのは歴史が証明しています・・・最も有名なのが、江戸幕府からの要請で関東に移り住んだ和泉一族(本家の岸上から分家して改姓)が建立した日光東照宮です。うちの2軒隣の本家の川岸仁左衛門(4,500年前?に岸上から分家して川岸に改姓して三ツ松から名越に移住)は、水間寺の三重塔や町内の安養寺の前の本堂の大工棟梁(藤原朝臣の官位を賜る)をし、橋本町の明教寺の本堂や和泉市の聖神社(国宝)の建立に宮大工として名を連ね、願泉寺(重文)の山門の彫刻をしたようです。岸和田城周辺に30軒ほど川岸さんがありますが、元を正せば江戸時代に岸和田城主から城の造営や修繕を請われ(宮大工として)名越から移住した(川岸仁左衛門から分家?)ようです・・・※左甚五郎の本家は「岸上」姓で、本家争いを防ぐために分家には「岸」を付けて、岸本、川岸、岸谷、岸田と改姓したようです(関東の和泉だけ例外)。貝塚市内だけでなく、岸和田や熊取や泉佐野周辺にこれらの姓(苗字)が沢山あるのはそういった理由(歴史)で、みんな元を正せば「左甚五郎一族」だったのです・・・貝塚にはそういった脈々とした宮建築と彫刻の歴史があり、その流れの一環として「錣(しころ)」建ちやだんじり(彫刻)があったのです。その証拠に、日光東照宮とだんじりがソックリです・・・これは単なる偶然ではありません・・・広い意味で同じ左甚五郎一族やその系統の集団が彫ったからこそ、必然的にそうなったまでです。という事で、話はだいぶ逸れましたが、現在の空き家問題とこれからの少子化を考えると、今後の住宅業界の抱える問題の大きさに頭が痛くなります・・・それは、けっして単なる住宅問題のみならず、今のトランクルームや不動産仲介業に少なからず影響があるからです。どちらも、大きな括りで不動産業になりますので。となると、我々零細企業の生きていく道は・・・???既に2,3年先までの青写真を描いていますが、それも変更&変更の可能性は十分にありますし、その先は全く分かりません。一体どうなることやら・・・???<トランクルーム別館の屋根から名越村を望む 向こうには葛城山脈が見える>