涙、涙・・・大阪市内で次女の結婚式
先日、大阪市浪速区湊町にある結婚式場「アニヴェルセル 大阪」で、次女の結婚式でした。既に入籍していて新居で住んでいますが、式だけがその日でした。長女と三女が既に結婚していて、ラストが次女の番だったのです。これで完全に親の務めを果たし、家に帰るとグッタリです・・・今回の式も泣かされました・・・(笑)。バージンロードを娘と歩く直前に、思い出の画像を映すではありませんか・・・(驚)。これで、ついポロリとなってしまいました。これまでに、そんな事はありませんでした。式場によって、イロイロと違うのですねェ・・・そして、何とか涙を拭いてバージンロードを・・・しかし、もう笑顔の余裕はなく、チョッと顔が引きつっていたかも・・・(笑)。全く、最初から花嫁のオヤジ泣かせの式場です・・・(笑)。これまで2回花嫁の父親として出席してきましたが、この式場が最も「親切で丁寧」だったように思います。とにかく、スタッフが沢山いて完全な分業体制で、当事者にとって何の心配もいりませんでした。逆にこっちが、人件費がかかってコスト的に大丈夫かなァと心配します・・・(笑)。まァ、同じ結婚式場でも、立地条件やターゲットや費用など色んなスタイルがあってしかるべきですし、各社生き残りを賭け、シッカリ努力するのは当たり前の事です・・・私達が結婚した30年以上前は、泉州では料亭や旅館を兼ねた「天兆閣」「新東洋」「羽衣荘」が3大結婚式場でした。一世を風靡したと言ってもイイくらい、この3軒は全盛を極めていたように思います。それが30年の時を経て、ホテルでの結婚式に移り、今はこういった結婚式場「専門」が主流になり、前出の3つは消滅してしまいました。時代の流れは残酷です・・・我々ビジネス(仕事)を現役でヤッテいる者にとって、「今の空気」を常に五感で感じるようにして、時代の変化を読み取るようにしなければいけませんし、それが出来なければ(能力が無ければ)、傷の浅いうちに早く引退すべきでしょうねェ・・・結婚式場もそうですが、葬儀場もこの30年、変化が激しい業界です。地元での葬式は、つい20年ほど前までは自宅で行うものでした。昔の人は、自宅の畳の上で死にたい・・・自宅で見送って欲しいと・・・実際、私の父親も18年前に自宅で葬式をして見送りました。親父が苦労して建てた家からの出棺でしたので、思わず堪えきれず、不覚にも人前で泣いてしまいました・・・大人になってから、家族をもってから、人前で泣くなんて事はありませんでしたし、ましてやまだ小さかった子供たちの前で強い?父親が泣いているところを見るなんてショックだったろうと思います。まァ、泉州の古い家の間取りは「田の字」で、自宅で行う結婚や葬式、宮座や行者講や伊勢講といった集まりにも対応できたのです。それが、自宅から町(自治)会館でするようになり、ここ数年は専門の葬儀場でするのが普通になりました。これによって、家族や隣組の負担が減りましたが、出張で葬儀の設営をしていた葬儀業者が減りましたし、お坊さんも原則一人で済みますので、お寺への出費も減ったかもしれません・・・高度成長期に主役だった第2次産業(製造業)が激減した事によって、こういった第3次産業(サービス業)へなだれ込んだ結果でしょう。時代の変化と言えば、それまでですが・・・何か割り切れないものがあります。しかし、子供も大きくなるのが早いです・・・ついこの間、子供3人を長時間風呂に入れて、のぼせてしまっている自分がいたのに・・・30年なんて、アっという間でした。孫二人もついこの間生まれたばかりと思っていたのに、もう歩きだしそうですし、30分も孫守りをすると疲れている自分に体力の無さ(老体)を感じます・・・(笑)。9年前のトランクルーム開業当初、なかなか集客が思うように行かなくて、仕方なく私が同業他社の織物工場で1年半働いていた間、この次女に自分の仕事を辞めてもらってまでトランクルームの仕事を任せていたのです・・・(涙)。そういう意味で、彼女にとても感謝しています。という事で、式のクライマックスの花嫁の両親への手紙で、またまた泣かされました・・・花嫁の父親(私)の泣いている姿を見て、アチコチのテーブルですすり泣きが聞こえます・・・私の台本を超えた迫真の演技?が功を奏したのか・・・(笑)。まァ、年を取ると涙腺が緩くなります。花嫁の手紙の後、謝辞をしたのですが、1週間前に本で謝辞を考えていたら、もうそのシーンを想像して泣いてしまった自分がいました・・・(笑)。ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ