「実家問題」はトランクルームで解決!
最近「実家問題」が話題になっています。日本の人口の約半分が、東京圏と大阪圏と名古屋圏という3大都市圏に集中していますので、地方から出てきた多くのサラリーマンの地方にある親が住んでいる(住んでいた)家の処分をどうするかが社会問題になっているからです・・・これは、ホント難しい問題です。定年になって、田舎に簡単に戻って生活できれば、何の問題もないのですが・・・高校や大学を卒業してから都会に出て来て定年まで働くと、人生の半分以上は都会での生活ですから、なかなか戻りにくいものでしょう・・・定年まで親が元気でいればイイですが、それまでに親が認知症になったとか重い病気に罹れば、人生計画そのものが狂ってくる可能性があります。都会や地方に関係なく、要は働く場所と実家の場所が近ければ、そんな問題は少ないと思うのですが、離れているから問題が起こりやすいのです・・・現実的には、田舎に実家があって長年都会暮らしの方が最も多いでしょう。都会に実家があれば人口も多くビジネスチャンスもありますので、売却や賃貸の需要があり処分し易いのですが、地方だと中々思うように事がスムーズに運びません。しかし、今のデフレ時代は不動産は持っているだけではダメです。税金を払うだけで「損の垂れ流し」です。売却するなり賃貸するなりして何らかの「収益」を上げなければ、持っている意味がありません・・・しかし、田舎の誰も住まなくなった実家を、ズルズル10年も放置すると大変な事になります。朽ちてボロボロになり売却できなくなり、土地と建物の固定資産税の額だけでも家計を圧迫します。いずれにしても、出来るだけ早くどうするか?を決断して実行に移すのが一番です。私の場合も、この実家問題に早くも6年前に直面しました。同じ町内ですが、実家に独り住んでいた母親が老人施設に入居したのです。それで、空家になってしまったのです。賃貸に出す事も考えましたが、一度他人が住んでしまうと、この家を苦労して建てた亡き親父に申し訳ないし、私は文字通り産婆さんの手でココで生まれましたし、多い時で私の家族5人と両親合わせて7人で同居していましたので、過去の思い出がココに一杯詰まっています・・・(涙)。そこで、考えました。当時、トランクルーム別館1階を全て10~15畳クラスの大きな部屋にしていましたが、それでも満杯で部屋が足らなかったのです。そして、ピンときました!実家をトランクルームにして貸せば・・・自分でも驚くほど柔軟なヒラメキでした・・・(笑)。幸い昔の泉州独特の「錣(しころ)建築」の家で、1階に8~10畳の部屋が4つと4畳半の部屋が2つ、2階に6畳の部屋が3つもありましたので、襖を取り外しコンパネで仕切りをして鍵を付けて畳の上に絨毯を敷けばトランクルームに早変わりになったのです。門から玄関までの動線が一直線で、開口部が広かったのも幸いしました。昔の家は今の現代風な家と違って、家で結婚式や葬式や行者講など村人が沢山集まれるようなレイアウトで、玄関や廊下も広くとってあったのもトランクルームとして幸いしたのです。今の別館(1)を改造する時も、建物の高さが通常より「1m高かった」為に2階も部屋にデキたのです。これが他社と同じ高さだったら、2階を新たに作るという改造をしようにもデキなかったのです。正に、祖父と親父に感謝、感謝・・・ラッキーとしか言いようがありません。やはり、将来の子孫の事を考えればチャランポランな仕事をしてはいけないという、ある意味メッセージとして受け止めたいと思います。親父が実家を建てる前に、材木屋の社長がノイローゼになるくらい「良い木」を集めさせたほど、太くて良い木で建てたと聞いていましたので、トランクルームとして使ってもビクともしませんでした。その後リフォームする時に水平を測ると「数ミリしか狂っていない」と大工さんが驚いていました。この時は、正に亡き親父に感謝、感謝です・・・(涙)。確かに、実家を建てている最中の土壁の竹を編む職人さんが作業をしている時に、中学生だった私はたまたまその場に居合わせ、「負けヘンさかい(値切らないから)、あんばいやっちょうェ(ちゃんと仕事をしてください)」と職人さんに言いながら見張っていた?オヤジの姿が忘れられません・・・職人さんもオヤジが後ろでおられたら、真面目に仕事をするしかなかったでしょう・・・(笑)。この中学生の時のショッキングな経験がその後、織物工場新築、自宅新築、本館リフォーム、実家リフォーム、別館リフォーム、月極青空駐車場施工、スタジオリフォームと、過去30年の間に2つ新築と4つのリフォーム(大改造)と駐車場を他人に任せず施主として全責任を負って関わりましたが、これが大いに役立ったのです。全体の構想(アイデア)は私が考え、設計の段階から細かく関わり、実際の工事も極力手伝ったり、資金繰りも当然自分がやりましたので、神経がすり減り肉体的にもヘトヘトでした・・・しかし業者に丸投げせず、これだけで中間マージン分を省いた分だけ、おそらく億単位の節約と、有形無形の「経験という財産」を得たのが何よりも大きかったのです・・・(涙)。そして実家を「別館2」と称して貸し出すと、すぐに満室になりました・・・(笑)。今もそうですが、当時のトランクルームと言えば1,2畳の小さな部屋が殆どで、5,6畳というチョッと大きな部屋も少なく、ましてや10畳なんて大きな部屋は日本のトランクルーム業界では皆無だったのです。正しく、スキマだったのです。しかし、需要とすれば少ないですが、家の建て替えや海外への転勤(1軒分の家具家財道具一式)といった需要が確実に存在していましたし、そこへの供給が皆無だったのです。特に海外転勤の需要がリーマンショック以降の不況で、増々加速したメーカー工場の海外移転と重なり、オファーが急増して「別館2」を増設しても追いつきませんでした・・・まあ、こんな需要は誰も気づいていなかったし、誰も目もくれませんでした。5,6畳を超えれば、トランクルームではなく2,30坪以上の「賃貸倉庫」の分野だったのです。そうなると宅建業法も絡んできますし、一般のお客さんは手が出しにくいです。私はそこを狙った訳です。外からの見た目は普通の家ですし、ホームページには写真も載せませんでしたが、上々の人気でした。結局、その後長女夫婦が住む事になり、2年間限定のトランクルームでしたが、「如何に不動産を遊ばせないか!」という考え方を身をもって心の底に定着させる事が出来ました。その裏には「持っているだけでは、損がドンドン膨らむ・・・」という日本の不動産事情が大きく存在しているのです。自社トランクルームも織物工場を改造コンバージョンし、この自分の実家もトランクルームからリフォームして娘夫婦が住めるようにしました。その間、営業をストップして自ら毎日工事を手伝ったのが非常にヨカッタのです・・・工事を任せた幼馴染の大工さんや各職人さんらと共に汗をかき、説明を聞きながら肉体労働に勤しんだ事がヨカッタのです・・・不動産屋として単なる仲介業だけでなく、顧客にコンサルティングする場合、こういった自らの経験が顧客を説得するのに非常に役立つのです。経験が無く単に本や研修で勉強してペラペラ営業トークを喋るだけでは顧客を説得できませんし、絶対分からないモノがあるのです・・・弁護士や大学教授といった特殊な頭脳を使う職業を除いて、一般的には頭だけで世の中通用するものでは無いと思います。今60歳になってトランクルームと不動産とスタジオという「楽な仕事」に就けているのは、50歳までの30年間キツイ肉体労働を経験してきた、ある意味「反動」だと思うのです・・・「もう、こんなシンドイ事したくない!」・・・と20年前から考えていましたし、その為に着々と10年以上準備をしてきました。だから、あと20年健康に問題なければ、80歳まで独りで十分やっていけるでしょう・・・逆に言えば、これから食事と運動に気をつけ、ストレスを極力排除するような生き方をすればOKです。その為の空手でありウインドサーフィンであり、スタジオでありドラムであり、海外旅行なのです・・・今、頸椎症でウインドも空手も苦渋の思いで一時中断し、ドラムも40年ぶりに再開し基本を一生懸命していますが、ここまで来たら人生をロングスパンで考え、70歳になっても肉体的にも経済的にもウインド&空手&ドラムを同年代の誰にも負けまいと・・・そして80歳までこの3つが継続できるように「今、努力している」のです・・・(涙)。20代前半に一緒にウインドを「泉南フリート」でヤッテいた仲間は全くおらず、私1人になってしまいました。今は愛好者そのものが激減してそんなフリートみたいなグループはありませんし、みんなフリーで風の吹くビーチへ移動するようになりました。そんな平均年齢50歳オーバーのフリーのウインド仲間も、これから体力的健康的な面で年々減ってくると思うのです・・・そんな中で今は持病で中断、今ウインドを楽しんでいる仲間を横目で見ながら「臥薪嘗胆」の身ですが・・・これから「細々と長く」ウインドをロングスパンで楽しんでいきたいのです・・・65歳、70歳、75歳・・・最終目標80歳までウインドを楽しみたいと・・・(涙)。今年サイパンで見た平均70歳のウインドサーファー軍団「サイパン少年隊(2ヶ月~2年のロングステイ組)」に大いに感化されています・・・(笑)。90%が中国人観光客かと思われるほど中国人だらけのサイパンでしたが、彼らは平均70歳の真っ黒で元気な日本男児サーファーを見て驚愕してましたし、「日本恐るべし!」と思ったんちゃいますか・・・(笑)。中国でこんな元気なジイサン、考えられませんから。そして、もうこの年で更にガツガツ儲けようとすれば逆に寿命が短くなると思いますし、「儲けは後でついてくる」くらいのスタンスで丁度よく、そうすれば長生きできるでしょう・・・その為に時間もかかりましたが、身軽になる為に金融機関からの借金をゼロにしました。「借金がない」ほど楽な事はこの世にありません・・・(嬉)。日本の相続税法では「借金も相続対象」ですから、子供に迷惑をかける事もありません。若者と違ってもうこの年になると、空手の形の緩急や呼吸と同じで、「生き方のコツ」みたいなモノが分かってきたような気がします・・・(笑)。いずれにしても、実家問題は避けて通れません。弊社トランクルーム利用で、実家問題関連が理由というのは「ベスト5」に入っています。というのは、一般的に親世帯と子世帯が別所帯というのが普通で、1.親世帯が老人施設に入居2.親世帯に子世帯が同居3.子世帯に親世帯が同居だいたい、この3パターンがあり、1の場合は親世帯が住む実家を処分して(売却か賃貸解約)、親世帯が老人施設に引越します。この時、施設の部屋は狭いので、普段要らないモノや捨てたくないモノはトランクルームに直行です(仏壇、アルバム、ビデオ、着物、家宝、琴、楽器、レコード等々)。今の相続税法では相続人である子供は平等ですので、「中立的立場」であるトランクルームが人気なのです。長男や長女の家に親の荷物を置くと、不平等になると考えるのです。2の場合も3の場合も、2世帯が一緒になって1世帯になる訳ですから、荷物が入りきりませんので、入らない余ったモノはトランクルームに直行となる訳です。という事で、実家問題で荷物の問題が必ず起きますので、そういう場合は弊社トランクルームをご利用ください。特に大阪に実家があり生活の基盤が東京や名古屋という人にはピッタリですが、実家が地方で生活の基盤が大阪だという人にもドンピシャだと思います。例えば、地方に実家があり生活基盤が東京や名古屋の人も、「安くて安全」であれば、大阪のトランクルームを利用しても全く問題はありません。イヤ、逆に利用しないと損でしょう・・・2畳クラスで年間10万以上も安いとなれば。全国ネットの引越業者を使えば、シーズンオフに荷物を東京から大阪に移動しても安いです。賢いユーザーは、これを利用しない手はありません・・・しかし、この実家問題の根っこには、会社に振り回される日本のサラリーマン事情があります。転勤、左遷、転職が難しい・・・普通に考えれば、一生を保証してくれる訳でもない会社に、何で従順に自分の意思を曲げてでも従わなければならないのか?素朴な疑問です。人生をトータルで考えれば、仕事なんて、会社なんて「一部」のはずです。「人生=会社」なんて、サラリーマンではあり得ないはずです。もちろん、自営業者や我々オーナー企業経営者は「人生=仕事」ですが、一サラリーマンが会社に盲目的に従う必要はサラサラありません。会社都合による転勤によって、ファミリー全体がガタガタになるなんて、人生が狂うなんて・・・全く馬鹿げています。会社都合と言っても、社長命令ならわかりますが、単に直属の上司とそりが合わなかったり、バカな上司に仕えたとか・・・そんなクダラナイ原因が殆どです。私の経験でもサラリーマンなんて、そんなモノだと思います。自分の人生だからこそ、それに嫁さんと子供の事を考えると、「そんなモノ」で済ませてはいけないと思うのです・・・私の周りでも過去30数年を振り返ると、出世コースに乗って転勤、転勤を繰り返して部長、本部長、取締役、社長・・・にまで上り詰めた人もいますが、その裏には業績が悪化して途中で飛ばされたり、分社されたり、分社されてそのまま外国企業に買収されたり、リストラされたり、過労で精神を病んだり、過労で病死(自殺)したり・・・こういう人の方が多かったのも見逃せません。運良く社長になったとしても、所詮「サラリーマン社長」で、お役目が済めばご苦労さんでオワリです。退職金をもらうだけで、あと何も残りません。替わりの社長はいくらでもいますから・・・アメリカは日本を絶対守ってくれない・・・この「当たり前で考えたくない真実」と同じように、会社は社員を一生保証してくれない(面倒見てくれない)という真実から目を背けてはいけないのです。まァ仕方ないと言えばそれまでですが、人生の途中で「自分の人生を自分でコントロールするのだ!」と早く気付く人間だけが、この実家問題を上手に解決できるのだろうと思います・・・29歳でサラリーマンから家業の織物業に転職しましたが、辞めずにそのままサラリーマンしていたら・・・と思うとゾッとします。この年までその厳しい建築建材金物業界で上手く乗り切っていたとしても、転勤の繰り返しでヘトヘトだったでしょう(40歳くらいで勤務していた会社が倒産している)・・・正直、親父の織物工場や実家どころではなかったと思います。3人娘にも満足のいく教育をつけてやれなかったかもしれません・・・そんな事を考えると、20代最後の29歳で転職を「決断」した事が、人生のターニングポイントだったんでしょう・・・「30歳ではダメで、20代のうちに決断せねば・・・」という内なる声に従ったのです・・・その声の主は誰だったんでしょう・・・?祖父か?そして、その20年後の49歳の時に「50歳ではダメで、40代のうちに決断せよ・・・」という内なる声に従って、織物業からトランクルームに転業したのです。その声の主は、オヤジだったのか?ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 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