南大阪(泉州)で22畳大型「音楽スタジオ」の可能性を追究・・・
10年前のトランクルームオープン当初は、トランクルームという都会型ビジネスで地方には珍しかったのですが、貝塚市内にはすでに3軒が存在していました。近隣の岸和田には4軒、泉佐野以南(岬町まで)はありませんでした。しかし、弊社が泉南エリアではコンテナではない屋内型の115室(当時)という大阪では最大級で賃料が他社の半額以下(日本最安値)という戦略で出店すると、1年以内に貝塚の3軒すべてと、岸和田の2軒が撤退&廃業してしまいました。ビジネスは残酷なものです・・・特にエンドユーザー相手の商売は結果がすぐに分ります。消費者(エンドユーザー)に受け入れられなかったら流行らない・・・ただ、それだけの事です。1年でダメだという結果が出ているのに、2年も3年も赤字の垂れ流しをするバカな経営者はいないでしょう・・・後染め綿織物の日本有数の産地だった泉州で祖父の代から60年続けていた織物製造業も、昭和40年代前半の全盛期の680社(貝塚市以南)から98%も減ってしまい、今や10数社しか残っていません。長い歴史のあった泉州の地場産業が、50年でほぼ壊滅してしまったのです(たった2%に激減)・・・世界のグローバル化によって時代が完全に変わってしまい、中国を中心とした中後進国からの洪水的なアパレル製品や生地や糸の輸入で日本の産地が崩壊してしまったのです。10数年前に通産省前で全国の織物組合一緒になって3000人規模の「セーフガード(輸入規制)発動要請」のデモ行進をしましたが、何の効果もありませんでした。実際自分もわざわざ飛行機で東京まで行ってデモに参加しましたが、本来のような必死さは全くなく、単なるセレモニーみたいで拍子抜けしました。これじゃ、政府も動かないと・・・案の定、国はもう政治献金出来なくなった斜陽産業を見捨てたのです・・・もうこれ以上国をアテに出来ないと、心の底から思いましたねェ・・・自助努力しかないと。既に転廃業時に政府からの補助金制度がありましたし、もうこれ以上面倒を見れないというのが国の見解だったのでしょう。まァ、普通に考えれば至極当り前に事ですがね・・・まァ、時代の大きな潮流の前には成すすべもなく、自分の努力以前の問題だったのです・・・大きな流れに飲み込まれてしまい、どう足掻いても無理だったのです。それなら、40代のまだ残っているパワーを別の方向へ注いだ方が賢いと・・・と言っても、40代ギリギリの49歳でしたが・・・(笑)。50代に突入すれば、ズルズルとそのまま行ってしまう・・・という危惧があったのです。たかが40代、されど40代・・・40代と50代の間には大きな溝があったのです。イヤ、溝ではなく、大きな谷だったという意識です・・・これは単に転業だからという理由だけでなく、人生において50歳というのは男女にとっても大きな「節目」だと思います・・・しかし、あれから10年経って60歳になって思う事は、49歳なんてまだまだ若かったなァ・・・です。もう60歳という「次の節目」に立っていますから・・・(笑)。人生ホンマ・・・展開が早いです・・・(驚)。そして、まだ傷が浅いうちに廃業して正解でした。廃業(転業)2年後に、ちょうどリーマンショックでしたから・・・見方を変えればラッキーと言えるかもしれません。無理してあと2年余計に頑張っていたら、倒産するところです。という具合にあれから転業して丸10年過ぎ、トランクルームの方は割と順調に推移してきましたが、2年後の不動産屋開業、そして今年の音楽スタジオという順番に起業してきました。問題は音楽スタジオです。これはもう半分趣味の世界です。過去のウインドサーフィンブームに乗って、周辺のウインド仲間らはショップ経営に乗りだし殆ど100%失敗しました。自分も二色浜人工島にウインドサーフィンの艇庫経営を画策して、途中で断念して大正解でした。これらの経験で、「趣味を仕事にするのはタブー」という世間一般の常識に大いに頷いたものです・・・熱くなりすぎて、周りが見えなくなってしまうのです・・・これが失敗の主因ではないでしょうか?「好き」と「ビジネス」は違うのです。完全に切り離して考えないと。経営が失敗すれば、自分だけと違って、お客さん(エンドユーザー)にも迷惑をかけます。音楽スタジオ経営でも、ミュージシャンの立場として少しでもイイ楽器を揃えたいのは山々ですが、経営者の立場で考えるなら、お客さんの言われるままに楽器を買えば経営が成り立たなくなります。その辺が難しいですねェ・・・元プロミュージシャンやセミプロ級のアマチュアだと、設備機材や楽器にどうしても「こだわって」しまうのです。コダワルというのは恐ろしいです・・・彼らはプライドがあって、妥協できないのです。上を見ればキリがないので、コストがドンドン上昇してしまいます・・・幸い、私がミュージシャンと言っても、40年前にドラムを少しカジッタだけで、ただのロック好きのオヤジです。これがヨカッタのかも・・・(笑)。中途半端が不幸中の幸いです。趣味は中途半端でイイ・・・これ、普通のオッサンの実感です(笑)。もちろん、才能がある人は別です・・・世界に通用する天才はドンドンその道に進むべきです。そんな、ある意味冷静な立場でスタジオ経営を営んでいる訳ですが、一見これまでの織物業やトランクルームや不動産屋と180度違うビジネスみたいですが、実は「賃貸ビジネス」という意味で本質的にはトランクルームと同じという感覚でやっています。トランクルームは建物を単に区切って「月貸し」ですが、スタジオは付加価値(防音防振対策と楽器機材設置)をつけて区切り「時間貸し」なのです。トランクルームからスタジオへの発想は、音楽が好きで元ドラマーだったという理由だけでなく、24時間稼働の織物工場で防音と防振に関して経験済みだったからです。こんな2つの理由でスタジオを始めるのは、私が日本で初めてだと思います。ビジネスセオリーで重要な事は「他人が考えない事」ですので、アイデア自身は合格かも・・・(笑)。単に「儲かるから」では、失敗するのは目に見えています。音楽スタジオの難しいところがそこで、音楽に何の関心も無ければダメで、好き過ぎてもダメなのです。「ほどほどに」「中途半端に」好きなのがベストだと思います。そして、基本的なスタンスとして「儲からなくてもイイ」「トントンで充分」「半分ボランティア」というビジネスセオリーとは真逆の気持ちでないとダメだと思います。それくらい、音楽スタジオ経営というのは「水モノ」で不安定この上なく、それだけで長期的継続的にメシを食っていくのは難しいのです。スタジオをスタートさせてから、貝塚の音楽業界の重鎮であるキャリア60年の高校の大先輩N氏に挨拶に行った際に、冒頭最初に言われたのは「何で、事前に相談にけーへんかったんや?」「止めちゃーんのに・・・」でした・・・(笑)。80歳の今でも現役のプロのジャズのテナーサックス奏者で、ビッグバンドを抱え各地で演奏し、過去に楽器販売やレコード店や学校教材の納入もされ・・・これが、関西の音楽業界で超有名人のN氏の60年間の凝縮された言葉だと思います・・・それほど、音楽業界1本でメシを食っていくのは至難の業だという事でしょう・・・それと同じような経験を20年くらい前にしました。大阪ミナミ長堀の名もない小さな居酒屋のカウンターで飲んでいたところ、偶然にも隣に大阪NO1のジャズピアニストが来られました。北新地のジャズのライブハウスによく行っていた頃で、一目で分りました。「こんなところに、どうしたんですか?」と聞くと、「今日は私の初のCD発売日なんです・・・」という言葉に唖然としました・・・派手なセレモニーも何もなく、奥さんと二人で知り合いの店をひっそりと回り、CDを置いてもらう・・・世間話で「いくらプロでも、大阪ではメシは食えません・・・」という悲しすぎるストーリーには涙が出そうになりました・・・しかしそれから20年経って、たまたまその方とフェイスブックで繋がり、今もライブハウスに出演しながら大学教授になられているという事なので、メデタシ、メデタシです・・・(涙)。確かにその頃毎週のように通っていた、吉本興業がミナミ心斎橋の鰻谷にオープンした「アンコール」というニューヨークから招いたブラックミュージック(ソウル、R&B)ミュージシャンによるライブハウスもよく流行っているようでしたが、残念ながら2年ほどで閉店になってしまいました。如何に音楽のライブハウスを長期的に経営を継続するのが難しいか・・・見かけと実態は違っているんですねェ・・・特に大阪は、ミナミは泉州のお客さん、キタは京阪神や北摂のお客さんが多いように思いますので、キタのライブハスの経営は安定しているのに、ミナミは過去3,40年に殆どのライブハウスは潰れ、また新しいハコが出来ています・・・だから大阪市内に近い堺は別にして、岸和田以南にリハーサル音楽スタジオやライブハウスが殆んど無かったのです。イヤ、正確に言えば小さいライブハウスやリハスタがいくつかあったのですが、出来ては潰れの繰り返しの歴史で、どちらも殆どないのが現状です・・・(涙)。小学校の社会で、大阪府の「南北問題」というのを学んだ事が思い浮かびます。確か、年収で40%くらい北(北摂)の方が南(泉州)より高いのです。北摂は地方から出てきて新しく住み着いた一流企業のサラリーマン、泉州は土着民が多い地場産業の繊維と農業というイメージです。当然聴く音楽も北摂はクラシックやジャズやソウルやロック、泉州は盆踊りの民謡や歌謡曲やレゲエ・・・そんなイメージか?そんな、誰もが分るしょぼいマーケットに挑むなんて、気でも狂ったんとちゃうかと言われそうです・・・(笑)。親父がまだ生きていたら、100%大反対していたでしょう・・・高校時代、納屋でロックをガンガン大音量で聴いていたら、「とうとう、徹も気狂ってしもた・・・」と周りに嘆いていたくらいですから・・・(笑)。何故納屋で聴いていたかというと、2階の自分の部屋では薄いガラス1枚なので大音量で聴けば村中に聴こえます・・・壁の分厚い納屋(土蔵)なら、まだマシだったのです。でも、借金をせずに自己資金で賄い、リスクを最小限に抑えました。もし失敗しても、楽器機材を処分して、またトランクルームとして使えます。まァ、そんな事はあり得ませんし、最悪自分の趣味のドラム練習場になるだけです・・・(笑)。オープンして7カ月経って一番に思う事は、「地元にこれだけのミュージシャンがいてたんや(隠れていたんや)!」という驚きです・・・それを掘り起こしている、発掘している「炭鉱夫」の気持ちです・・・(笑)。炭鉱夫の役目でも充分です。それで喜んでくれる人がいれば、仕事をした甲斐があるというモノです・・・(涙)。誰かが喜んでくれる・・・「仕事」とはそういうモノだと思います。そして、高校生から70代まで年齢層が幅広いというのが、スタジオ経営の醍醐味です。特に高校生から20代前半のお客さんは、今後10年や20年くらいはリピーターになってくれる可能性大です。これは大きいですねェ・・・これまで織物業では取引先担当者は4,50代中心で、トランクルームも不動産も似たような年齢層が顧客でした。それがいきなり高校生ですから・・・新鮮です。彼らと喋っていると、音楽を通してこちらに若さがビンビン伝わってきます・・・大したスタジオでもないのに、「メッチャ、キレイ!」「広い!」「スゴイ良い機材!」と連発&感動され、褒めまくりです・・・こちらは、そこまで喜んで頂けたら、逆に恐縮します・・・(笑)。楽しいですねェ・・・これがホントのアンチエイジングか・・・?まァ、こちらが何も宣伝もしなくても、高校軽音楽部なんかは先輩からの「申し送り」という強力な口コミを期待できます・・・そして副産物として、彼らの親世代がちょうどバンドブームを経験した世代と重なりますので、相乗効果も期待できるのです・・・当然、来店数の絶対数が増えれば、エリアビジネスであるトランクルームや不動産ビジネスへの波及効果も期待できるのです・・・いずれにしても、こういう口コミを中心にして広がる音楽ビジネスというのは時間がかかると思います。自分が1から始めたトランクルームと不動産屋を経験して言える事は、軌道に乗せるのは「最低3年」はかかると思います。3年辛抱デキるか否か・・・3年で目途が立つと思うのです。ダメなら即止め、イケルならヤッテいく・・・簡単に言えば、ただそれだけの話です。世の中の商売で、一般的に言われているのは起業しても10年で95%が廃業倒産という事実です。不動産業界では10年で80%が廃業倒産と言われていますから、少しマシか・・・(笑)。この厳しい現実と表裏一体ながらも、全責任を背負ってヤッテいく覚悟です・・・てなカッコいい事を言っても仕方なく、気負い過ぎず肩の力を抜いて、淡々と毎日楽しく仕事する事です・・・(笑)。これが60年間生きてきたジイサンの生きる知恵かも・・・これからお客さんが順調に増えて来たら、Bスタジオ、Cスタジオ・・・という計画をすでに練っています。Bスタジオは11畳音楽スタジオ、Cスタジオは2面ミラー貼りでバレー・バーを設置しサンドバッグも吊るした33畳のダンス系、ヨガ系、クラシックバレー、空手(武道系)といった多目的スタジオです。私にとっても、ファミリーにとっても音楽とダンスに毎日囲まれているだけで幸せです・・・文字通り、Music&dance「スタジオ0724」です・・・楽器や機材や道具はトランクルームがありますので、いくらでも保管が出来ます。毎日音楽に囲まれているだけで、それだけで儲けもんです・・・(涙)。しかしこれが、単に音楽好きなジイサンのホンネ(願い)だったかもしれません・・・にほんブログ村 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