全国信金の機関誌に「音楽スタジオ」の記事が載りました・・・
「楽しいわが家」という一般社団法人全国信用金庫協会が毎月発行している機関誌の8月号に、私の記事が掲載されました。それも1面に・・・ちょうどパラオ旅行中に、機関誌の記事を委託されている大手新聞社の記者から電話がありました。海外旅行に行く時も、会社の固定電話から私の携帯に自動転送していますので、ビジネスチャンスは逃しません・・・・そして、電話取材を受けたのです。既に「11年前に泉州の地場産業の織物業からトランクルームに転業。そして、昨年はトランクルーム内に音楽スタジオをオープン」という記事が、新聞社「ツートップ」の朝日新聞と読売新聞に掲載されていますので、取材もスムーズです。やはり、大手新聞社は既に「裏」を取って取材していますので、その記事の信用力は抜群です。改めて朝日と読売の凄さに感心するのでした・・・しかし、日本全国の信用金庫の各支店にこの機関誌が置かれるという事は、全国に7400店舗もあるようで、その効果に期待したいところです。まだまだ今の世の中、都銀や地銀も含めた金融機関(業界)の信用力は、他の業界に比べて大きいですから・・・今のところ、「記事を見ました・・・」という電話やメールのオファーは数件にとどまりますが、これからジワジワ増えてきそうです・・・このジワジワ感がイイですねェ・・・急にドッと来ると、何が何だか分かりません。「何でキテるんや?」という理由を知りたいのです。それが、今後に繋がる「分析」だと思うのです。理由も分からず流行るなんて、キモチ悪いだけです。この辺が「メーカー(織物製造、現場)出身」の悪い癖です・・・(笑)。自分が原因がココだと思って機械を修理して、それが当たって直った時の喜び・・・そんな事を20年以上もやってきたのです。この「感覚(フィーリング)」は直しようもありません・・・もちろん零細企業経営者は、製造現場だけでなく営業も経理もしなくてはなりません。どちらかというと、朝から晩までずっと現場にへばり付きたかったし、その方が楽に決まってます。事実、新工場に建て替えエアージェット織機に総入れ替えして2年間は、男子従業員はひとりも雇わず、社長であった父親が営業と経理をする代わりに、私が月産20万mの織物工場の現場の全てをこなしていました・・・朝5時から晩の10時まで、1時間の休憩を挟んでよく働きました・・・まだ3,40代でしたし子供も小さかったので、「これから頑張るぞ!」と、気力体力とも充実していたのでしょう。お蔭で、この2年間で今より8キロも痩せていました。そりゃ、毎日15,6時間も肉体労働すれば疲労の蓄積もしますし、晩御飯もあまり食べれないのは仕方のない事だったのです・・・ただ24時間操業でしたので、早朝から15,6時間働いて「やっと、休める(晩御飯食べて、風呂に入って寝ろか・・・)」と思った矢先、深夜従業員から「今日は休みます」という電話が掛ってきた時は嫌でしたねェ・・・何故なら、「工場を止める事はご法度」で、そのまま自分が朝まで代わりに機織りだったのです。これは、ツライですよ・・・夜中の3時か4時くらいに、気がついたら床に段ボールを敷いて寝ています・・・(笑)。殆ど記憶が無くぶっ倒れていた・・・という表現の方が正しいかも。100デシベルの大音量の騒音がする工場でも、人間は本当に疲れたら寝れるという証明です・・・(笑)。これは、ヤッタ者でないと分かりません・・・ハッと起きて、最初に考えるのは「通し間違い(ミス)は無かったか?」です・・・(笑)。最悪なのが、深夜の無断欠勤です。一時期、深夜の従業員でそんなのが在籍していました。こうなると、オチオチ寝てられません・・・零細企業の製造現場って、従業員のどんなリカバリーも経営者がしなくてはならないというリスクもはらんでいたのです・・・織物業を廃業して、これから「解放」されただけで、どれだけ精神的に楽になったか・・・(涙)。この経験があったからこそ、転業では「従業員を雇わず一人でヤルんだ!」と心に決め、「どんな辛い仕事でもヤッタるで!」と心で叫んだのでした・・・それがトランクルーム転業後に、意に反し他社の織物工場で社長としてのプライドを捨て1年半も働くことが出来たのです。プライドを捨てる事の方が、よっぽど楽だったのです・・・そこまで精神的に割り切ることが出来れば、脳を解放することが出来れば、あとは自分なりにソコソコの事が出来るものです・・・12時間他社の織物工場で肉体労働をした後、夜中の2時に起きて毎日3時間宅建の受験勉強を9ヶ月続ける事が出来たのも、その「流れ」で大したことはありません。チョット会社が大きくなって、現場や経理を他人に任せる中小企業が倒産しているのを周りでよく見てきました・・・親族に任せるのは分かりますが、他人に工場長や経理部長に任せるのは中小企業ではリスクが高すぎます。従業員30人くらいまでは経営者ひとりが全て仕切るくらいの気持ちでやらないと、どこかに必ず穴が開いてきます・・・サントリーの故佐治敬三社長は、何処へ行っても「サンサン、サントリーを宜しく・・・」と言ってたのは有名な話ですが、サントリーのような巨大企業のオーナー社長でもそこまでヤッテいた・・・というのを肝に銘じたい(鏡にしたい)と思います。まァ、病気も殆どする事無くこの20年間で自分の持てる体力気力知力を全て使い果した・・・と言えるほど燃焼しましたねェ・・・サラリーマンと違って自分だけが頼りで、頑張れば頑張るほど儲かるし、サボればサボるほどドツボに嵌るという零細企業経営ですから・・・という事で、これまでの経歴は変えられませんし、この過去の経歴を元に「次のステップ」があるのだという考え方で、今後も「メーカー思考」でコツコツとトランクルームと不動産屋と音楽スタジオを頑張っていきたいと思います・・・にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ