24時間稼働の織物工場が「音楽スタジオ」と「卓球場」のヒントに・・・?
29歳の時にサラリーマンを辞めて家業の織物業に戻ってきた訳ですが、その2年後に新工場を建てて機械設備の一新をしました。それから丸20年間、年355日(盆と正月だけ停止)24時間エンドレス稼働で、月産20万メートルの織物工場を経営していきました。一口に「エンドレス稼働」と言っても当たり前ですが、それだけ工場を稼働させる分の注文(月20万メートル)を取らなければならなかったのです。月産20万メートルと言えば、ワイシャツ換算で13万着分です。年間で言うと240万メートル、ワイシャツ換算で150万着分。今考えると、恐ろしい数字です。パート含めてたった10人の従業員で、これだけの生産量だったのです。如何に「エアージェット織機」という最新マシンが凄かったか・・・その代わり、電気代も凄かったです。月150~180万円で、年間2000万円も関西電力に支払っていました・・・(驚)。そんな織物業を廃業直前5年前は、多品種小ロット生産が過激さを増し、注文を取っても1ヶ月後にはもう終わってしまいました。と言うことは、注文を取って「ひと安心」しても、もう次の注文を取るべきセールス活動を開始しなければなりませんでした。毎月約10品種も新しい織物を織っていましたので、もう頭はパニック状態・・・なんて事はありません(笑)。いちいちパニックになっていては仕事になりませんので、そこは自分がしなければ誰もできませんので、一種の「諦観」した冷めた平常心を持って、仕事を1つ1つ粛々と片付けるのでした。現場が多品種小ロットでひっくり返っているのに、不思議と私の頭はクール?だったのです・・・(笑)。私の頭の中で考えている事はただ一つ「仕事を100%埋めなアカン(織機を止めたらダメ)!」です。とにかく、仕事が途切れて織機(織物機械)が止まっているようでは赤字なのです。習慣とはエラいもので、年がら年中そんな事を24時間頭の中をグルグル駆け巡っていましたので、「そんな商売感覚」が身体の中に浸透していったのでしょう・・・(笑)。長年の習慣によってそれが自分にとって「普通」になっても、他人にとって「異常」に写りますが・・・(笑)。土日祝日が休みのサラリーマンから見たら、気の毒で「悲しい性」の持ち主だなと思われているでしょう・・・(笑)。確かに、骨身を削って毎日仕事をしていたかも知れません・・・だからこそ、妻子を養い会社も倒産させずに済んだのでしょう。サラリーマンとの大きな違いは「消化試合」ではなく、仕事全てが経験として自分の「実」につく事です。サラリーマンは基本的に60歳定年で一旦リセットでゼロになりますが(他社で通用しない)、経営者にとって60歳は単なる通過点で、60歳以降それまでの経験値(実績)が上乗せされて仕事がまだまだ出来る(社会から必要とされる)のです。日本人の平均寿命が男性81歳で女性87歳の長寿になっても、サラリーマンの目指すゴールが60歳では「人生の誤算」と言われても致し方ないでしょう。これからは年金問題(将来的には70歳支給開始で減額?)もあり、サラリーマンでもゴールを15年伸ばして75歳をゴールにした「会社に縛られない生き方」が問われる時代が近い将来間違いなく到来することでしょう・・・しかし、織物時代は毎日15時間働いても(80%肉体労働)、そこには不思議と「過労」も「ストレス」もありませんでした。織物業を辞めた今でも、休日無しで毎日12時間(80%デスクワーク)働いていますが、過労やストレスとは無縁です。その分、たまに海外旅行に行きますが(それでも旅先で日本からの転送電話を受け、モバイルWiFi持参でパソコンやスマホでトランクルームやスタジオの予約受付の仕事をしますが)・・・(笑)。しかし、そんな「100%仕事を埋めなアカン!」という感覚がトランクルーム経営にも影響を及ぼしていたのは言うまでもありません。実は数年前がトランクルームのピークで稼働率ほぼ100%でしたが、それ以降稼働率がだんだん下がってきたのです。「これはヤバい・・・何とか埋めなければ(空室対策を)」と、織物時代の執念?が蘇ってきたのです・・・(笑)。先ず考えたのが、正道であるトランクルーム客のネット集客。所謂SEO対策を強化したのです。そのメインは「ブログを毎日更新」でした。ブログとホームページはリンクしていますので、ブログをSEOを意識しながら書くことによって集客に結びつけるのです。ただ競合他社が増えてきて、大手チェーン店が金を掛けてSEO強化の乗り出したため、弊社の様な単独店舗で金を掛けずにSEOしても上位に食い込むのは至難の業になってしまいました。更にグーグルのアルゴリズムの変更によって数打ちゃ当たるが通用しなくなり、コンテンツが求められるようになったのです。そこで、もうブログ更新を毎日するのは止めて、1週間に1回程度にとどめて負担を減らし、他の事を考えることにしたのです。トランクルームの部屋にトランクルームのお客さんではなく、「発想の転換」をして他のお客さんに使ってもらう事を試行錯誤したのです・・・弊社「屋内型」トランクルームは更地にポンと置いた「屋外型」コンテナと違って、建物の中をパーテーションで区切って月極で賃貸しているだけですが、それを付加価値(防音&防振工事/楽器機材の設置)を付けて時間貸しでやろうと考えたのです。それが「リハーサル音楽スタジオ」起業だったのです。一般的なリハスタビジネスは都会の商業ビルのワンフロアを借りて営業する訳ですが、私は最初から常識的なビジネスセオリーを全く無視した逆発想だったのです。そして15畳のトランクルームの部屋を2つ合わせて防音&防振工事をしたのです。30畳の部屋が22畳になりましたが、これで120デシベルのバンドの大音量も外に漏れません。ここで織物時代の防音と防振工事の経験が役立つとは夢にも思いませんでした・・・「人生、無駄な経験は一つも無い(全ての経験は、あとで必ず役立つ)」とよく言われますが、正にこういう事です。人生で大事な事は「経験」で、頭で考えているだけではダメで、トライすること、チャレンジすること、ヤルことだと思うのです。頭の良い人は得てして考えすぎで行動に移すことが出来ずに「空転」しがちですが、起業経営者は思い立ったら吉日という「行動力」が不可欠で、ある程度モノ事を見切るバカでないと務まりませんが・・・(笑)。「独立起業」という言葉はカッコいいですが、実際始めてみると最初は社会(客)の反応(反響)がないのは当たり前で(収入ゼロ)、その時点で相当ヘコみます。社会の「冷たさ」をイヤと言うほど感じるのです・・・(涙)。しかし感じれば感じるほど、もっとシッカリしなければ・・・と、過去の辛かった数々の経験を思い出しファイトが湧きました。実際、起業1年で80%が倒産か廃業すると言われていますが、いつまでも売り上げが低迷していれば資金が回らないのです。如何にサラリーマン時代の会社の看板が大きかったか、親が築いた会社の土台がシッカリしていたか気付いても後の祭りです。トランクルームという「ハコ」があっただけで、全くゼロからリハスタビジネスを始めた訳ですが、その自信がその後「レンタル自習室」「卓球場」に繋がったのです。発想 → 企画 → 制作 → 集客(インターネット+チラシ配布) → 契約(会員制) → 集金 → 管理 この一連の「初めての」作業を、誰の手も借りずに自分一人で完結するのです。1から10まで自分でヤル事によって、イロンナ事が分かってきます。言葉を換えれば、色んな異次元の「風景」や「光景」が体験できます。この初めての体験が、脳ミソの活性化に繋がるのです・・・リスクも負わず同じ事の繰り返しを長年続けていると、脳ミソが腐って(海馬の退化)早くボケてしまうのは現代科学が証明しています。規模の大小に関わらず、ビジネスストーリーの仕組みはみんな同じです。大事な事は、規模は小さくても自分一人で完結する新しいストーリーを作ることによる「達成感」です。この達成感が、次の「自信」へと繋がるのです。まァ、リハスタで相当苦労しましたので、自習室や卓球場はその延長線上で何の努力も必要ありませんでした・・・(笑)。宅建(宅地建物取引士)に苦労して合格すれば、科目がある程度被っているファイナンシャルプランナー(2級技能士、AFP)や不動産コンサルティングマスター資格に合格するのにそれ程努力が必要ではなかったのと同じです。頭が柔軟で身体の無理が利く若い頃の苦労の度合いが大きければ大きいほど、その後の人生なんて楽勝・・・かも(笑)。若い頃にサボって(勉強や仕事で)、年取って苦労したり破綻するのは出来るだけ避けたいモノです。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ