ロックとディスコで元気になる60代!
私は1956年(昭和31年)生まれの今年65歳で60代のちょうど真ん中ですが、我々の世代の多くは高校や大学時代にロック(洋楽)とディスコの洗礼を受けた世代です。1971年にレッドツェッペリンの「IV」が発売され、1972年にディープパープルの「Machine Head」が発売されました。ともに世界中で驚異的なセールスを記録し、1970年前半にこの両バンドだけでなく欧米の多くの有名ロックバンドが日本にバンバン来日公演したのもこの頃です。私は1973年のシカゴの来日講演にどうしても行きたくて、まだ高2になったばかりで地下鉄に一人で乗った事もありませんでしたので、難波駅から厚生年金会館まで1時間掛けて1人で道に迷いながら歩いて行きました・・・(汗)。当時はプレイガイドもなく、チケットを買いに厚生年金会館まで足を運び、結局2往復もしたのです。当時のS席3000円は、今思えば100万円の価値がありました。その時にしか行けませんし、それほど当時のライブの感動が50年近く経った今でも、私のココロに強烈に焼き付いていたのです。やはり、リアルタイム・・・でないとダメなのです。人生に於いて、後にも先にも「その瞬間しかない」というのがあるもので、それを逃せば人生の最後の最後まで後悔が尾を引き摺るのです。コレです・・・この瞬間、瞬間の岐路に立った時の選択の積み重ねが人生のポイントで勝負です。「今度また・・・」「次こそは・・・」「明日こそは・・・」と逃げてばかりでは、残念ながら悔いが残る人生しか送れません。中学時代にブラスロックのシカゴの影響で高校でトランペットを始めた訳ですが、ディープパープルやレッドツエペリンといったハードロックに出会えたことで、大学生になってからドラムを始めたのです。ただ子供の頃から叩いていた「だんじりの大太鼓」のクセが抜けず、どうしても和太鼓っぽくなってしまうのが悩みでしたが・・・(笑)。そして1978年に世界中でディスコブームの火付け役となったのがジョン・トラボルタ主演映画「Saturday Night Fever」でした。とにかく流行りましたねェ~私もミナミのディスコによく行きました。当時大阪で暴走族が流行り、地元の泉州連合が御堂筋で暴れまくって泉州に戻るときに、その後ろについていくとスムーズに帰れました・・・(笑)。という事で、我々60代ジーサン&バーサンの青春にとって「ロックとディスコ」は切っても切れない関係だったのです。その影響で、5年前に始めたリハーサル音楽スタジオ「スタジオ0724」はダンスも出来るように22畳と広くして、頭につけるキャッチフレーズが文字通り「Music&Dance」にしたのです・・・(笑)。この高校生から大学生のハイティーンから20歳前半の青春時代は、日本ではフォークソングの大ブームが起こり、世界中でブルースリーやウインドサーフィンの大ブームもクロスオーバー的に同時に起こった素晴らしい時代だったのです・・・(涙)。ある意味、我々「ポスト団塊世代」は1960年代のGSブームから1970年代にかけて世界中の素晴らしい音楽をリアルタイムに大量に浴びた運のよい世代で、関西のリハーサル音楽スタジオ大手チェーン2社の創業経営者も同じポスト団塊だったというのも無関係ではないと思います。特筆すべきは、我々の世代の1学年の人口は今の若者の世代の約1.5倍の150万人もいるという事が、如何にマーケット的に大きいか・・・と。1970年代前半に欧米の多くの有名ロックバンドの来日ラッシュというのは、当時自由主義国でアメリカに次ぐ世界第2位の人口を誇る日本の我々世代より少し上の大学生だった1学年200万人という団塊世代をターゲットにした欧米の音楽プロモーターの先見の明だったのです。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ