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今から30年前の1982,3年頃に日本でウインドサーフィンの「大ブーム」があった訳ですが、私が始めた1979年頃からの話をチョットしますと・・・
関空が出来るもっと前の泉南市の樽井浜(今のマーブルビーチあたり)で始めた訳ですが、大阪ではここを拠点にウインドサーフィンをしている「泉南フリート」しかなかったのです・・・ 昔のウインドサーファーは、今のようにフリーで風の吹くところに「ビーチを変える」スタイルではなく、同じビーチで団体でずっとやるというスタイルで、その団体の事を「何々フリート」と呼んでいました・・・ その泉南フリートを作った、Yさん、Kさん、〇さん、Uさんらは、1975年頃に琵琶湖の蓬莱浜にあった「パフィナスフリート(関西初のフリートで、ウインドサーファー艇の代理店でもあった)」で習ったようですが、1979年まで大阪では殆ど流行しなかったそうです・・・ しかしその後泉南フリートで習った、Oさんが和歌山フリート、Yさんが加太フリート、Yさんが二色浜フリート、Nさんが脇浜フリートと続々と「分家」していきました・・・ ウインドサーフィンは1967年にアメリカで発明され、1973年に東京の勝和機工(販社はウインドサーフィンジャパン)が日本の輸入独占販売のサブライセンスを取得し、翌年頃から関西の代理店(パフィナス、灘商)を通じて普及し、琵琶湖のA氏のパフィナスは京都、滋賀、大阪へ販路を開拓し、西宮のY氏の灘商は京阪神地区に販路を開拓したようです・・・ 両代理店も大学の「同好会(サークル)創り」に力を入れ、「レース志向」に持って行き、関西でのウインドサーフィンの普及に弾みをつけた事が大きな功績だったような気がします・・・ 大学スポーツサークルはドンドン新入生が入ってきますし、滅多に潰れませんから・・・ 当時の日本のウインサーフィン業界は「ウインドサーファー艇(まだ木製のブームとジョイント)」1艇種だけで、それ以外は国産はおろか輸入はゼロ(すでにヨーロッパでは200艇種販売されていた)という異常なマーケットでした・・・ という訳で、泉南フリートでその夏から海に毎週通いだし、ウインドの虜になってしまいました・・・ 泉南フリートでは受験生も真っ青、毎週先輩らが船外機付きのボートを出して「模擬レース」が行われ、ウインド技術向上にスゴク役立ち、増々のめり込んでいったように思います・・・ 特に泉南フリートの1年先輩のYさん、Uさん、Sさんを目標に頑張ったのも,ヨカッタかも・・・ 模擬レースの成果を試すために、フリート間でよくレースをしました・・・南海マリン杯(片男波)、関西選手権、ファーストサンデー杯(二色浜)、スポーツタカハシ杯(二色浜、脇の浜)、スプーキー杯(甲子園浜)、関西インカレ、中部選手権(浜名湖)・・・ よくレースをしましたので、関西のフリートはみんな顔馴染みで、レースの時は真剣でしたが、みんな仲が良かったですね・・・ブーム前で人数も少なかったので・・・ 泉南フリート、二色浜フリート、脇浜フリート、和歌山フリート、加太フリート、漁師軍団の泉佐野フリート、海がないのに奈良フリート、阪神フリート、甲子園フリート、浅野プロのお父さんがやっていた神戸カリフォルニアフリート、マリン大阪フリート、淀川でやっていた大阪みなみかぜフリート、パフィナスフリート・・・・あと学連のK君の京大、I君の関大、U君の甲南、M君の同志社(関西学連で一番古い)、?君の神戸大、そしてその後私が創った関西外大・・・ 関東勢(当時ダントツに強かった拓殖大学や早大、明治、青学や逗子フリートなどの湘南軍団)と当たる、浜名湖で行われた中部選手権や全日本選手権では、関西勢は仲良くまとまっていましたねェ・・・ 新製品や情報、技術がどうしても「上」の関東に負けてたまるかと・・・ファッションでも負けている・・・更に関東弁にも・・・ しかしレースで勝っても負けても、面白かったし、楽しかったですねェ・・・上手な人のテクニックを盗み、今度こそはという「上昇志向」がみんな持ってましたねェ・・・ 世界選手権に出た和歌山のOさんのボードのヒールの傾きがみんなと違うぞとか、甲子園のYさんの変わっているけど、微風ではめっぽう早い独特の乗り方を「Y乗り」とか、勝手に名付けて楽しんでいましたねェ・・・ 日も浅く、完成されたスポーツではありませんでしたし、日々新しい情報やテクニックの論議が末端のユーザーでも盛んに行われていましたから・・・ まぁそんなこんなで、ウインドと出会ってから3,4年は四六時中、頭の中は「ウインドだらけ」で、いつも風を気にしていましたねェ・・・ 初期のウインドサーファー艇は、「ダガーボード」までが木製! 「ハイウインド」の創刊号と2号 紀伊国屋で買ったヨーロッパの輸入雑誌、サーファー艇以外に 沢山載っていたので、解らないなりにヨダレを垂らして読んでいました(笑) 「泉南フリート」の初期のメンバー レース前の準備(脇浜) レース後恒例のパフィナスフリートによる「琵琶湖周航の歌」・・・青春してるゥ・・・ ※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚 ※貝塚市の不動産情報の総合サイト 貝塚不動産.com にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.05.24 10:15:39
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