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ウインドサーフィンを始めた頃は、樽井浜(今のマーブルビーチ辺りにかつてあった)にあった「泉南フリート」というサークルに入って、個人的に楽しむだけだったのですが、いろんなところにレースで行くと、学生チームがチラホラ出来かけていたのです・・・
そこで彼らと話すと、「全日本ウインドサーフィン学生連盟」には加盟しているけど、関西学連がないのだという悩みを聞いていたのです・・・ そこで「俺らが関西学連を立ち上げよう!」という事になったのが、今の関西学連の始まりです・・・ ところが、私はまだ個人的にやっていただけなので、まず自分の大学(関西外大)に同好会を創る事から始まり、それから全日本学連にまず加盟することが先決でした・・・ 全くの「ゼロから」、学校側と交渉して部員募集に始まり、顧問の先生を見つけ、試乗会や説明会に奔走しました・・・ その間も、朝5時から織物工場に3時間入り、青年団活動や、地元の空手道場に通っていたのです(勉強はあまりしませんでしたが)・・・ そして何か月か後に、関西学連設立の第1回目の会合が、今でも忘れません・・・当時けっこうナウかった、アメ村の居酒屋「ロバータ」で行われたのです・・・ 会合と言っても、京大のK君、関大のI君、甲南のU君、同志社のM君と私の5校だけだったのです・・・ 当時は流行りかけていた「ニュースポーツ」の最右翼で、時代の先頭に立っている自負もあり、私も含めてみんなスゴク活き込んでいたように思います・・・ みんな20代そこそこの若さで、学業以外にここまで全身全霊を打ち込んでいたという自負があり、そりゃみんなギラギラした凄いパワーをもっていましたねェ・・・ 私も「こんな事をしていて、イイのだろうか?」と悩むくらい、のめり込んでいましたねェ・・・当時は1番好きなだんじりよりも、好きだったですねェ・・・ 当時はまた、地元の空手道場で空手も並行でやっていたのですが、ウインドにどうしても時間が取られて、最終的には中断してしまいました・・・ まァ今から思えば、ウインドサーフィンを個人で初めて、大学にクラブを創り、関西学連を立ち上げ、現役でレースを続け・・・一言で「本当にヨカッタ!」となります・・・ もちろん一言で言えない、たくさんの素晴らしい経験を学業以外でさせていただいて、けっして「回り道」ではなかったと信じています・・・ ※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚 ※貝塚市の不動産情報の総合サイト 貝塚不動産.com にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.08.08 09:31:07
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