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カテゴリ:歴史文化
先日、町内の年1回の「行者講(大峰山修行)」の集まりがありました・・・
江戸時代末期の文久年間に30軒(本家・分家15組)でスタートして、約150年も続いていますが、今は20軒ほどで細々と続けています・・・ 今は講で4,5年に1回、大峰山に登り頂上で「修行」しますが、今年は4年ぶりに大峰山に行きます・・・ 私は今回も参加します・・・ 地元の葛城山の2倍近くある標高1700mの大峰山に登るのもシンドイですが、問題は「頂上での修行」です・・・ 「西の覗き」と「裏行場」の2か所あり、前回はあまりの恐怖にホント死にそうでした・・・ 実際、命綱なしで岩場を回る「裏行場」で谷底に落ちて死んだ人がいるそうです・・・ いくら案内人の人がいると言っても、ホンのチョットしかない岩場の「ヒッカカリ」に手足と命を預けるのは、あまりに頼りなさすぎます・・・ 恐怖で身体中の血が逆流するというのは、この事を言うのでしょう・・・ しかしこんな危ない事を、またもう一度、自ら進んで「やろう!」というのはどんな心理でしょう・・・ それは親父や祖父、曾祖父といった先祖が辿ってきた「道」で、自分だけ「跡取り」としてやめる訳にはいかないのです・・・ 理由やヘチマもありません・・・ しかし考えてみれば、江戸時代から明治時代を生きてきた曾祖父なんかは、当時電車も車も自転車なかったのです(当たり前か)・・・ その時代の頃は、名越から大峰山の麓まで2週間かけて歩き、そして大峰山に登って修行し、また2週間かけて名越まで帰って行ったのです・・・ 途中野宿したり、山賊や狼に襲われて怪我や命を落としたかもしれません・・・ およそ1ヶ月にも及ぶ本当に「命を懸けた修行」だったのだと思います・・・ それに比べれば、今は大峰山の麓の「洞川(どろがわ)温泉」までバスで行き、登って頂上で「修行」するだけです・・・ 昔に比べれば楽ちんもいいとこなので、シンドイとか怖いとか言ってたら、先祖に怒られます・・・ という事で、今後も足腰の立たなくなるまで「登山」をしようと思いますが、頂上での2つの「修行」は今回でオワリにしたいです・・・ ここもポチッと押してください!ご協力お願いします! にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.04.26 16:12:23
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