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カテゴリ:辛苦の織物業時代(30,40代)
今、お中元シーズン真っ盛りです・・・
織物時代は、大丸外商へのお中元の発注で忙しかったです・・・ 昔は取引先が大手総合商社1本でしたので、お中元の送り先も少なく楽でした・・・ ところが、織物時代の後半10年は、専門商社や産元など取引先が増え、織物の注文も基本的に「営業マン単位」となり、取引先の各営業マンにお中元を送るとなると、ピークで20数人にもなりました・・・ 正に、織物ビジネスが「少品種大量生産」から「多品種小ロット」に転換したのと、時期を同じくしてお中元(歳暮)スタイルも変化したのです・・・ 人数に加え、現時点の発注量や将来の見込み(増減、新規、廃止)に応じて、お中元のグレードも一律ではなく、毎回変化(値段の上下)させました・・・ これがまた、イチイチ考えなくてはなりませんので邪魔臭い・・・一仕事でした・・・ しかしこういった事は、毎月トータルで20万mの注文を取るのに必要不可欠だったのです・・・ 特にお中元シーズンの7月は、織物ビジネスのシーズンオフ(4月~9月)で、注文を取るのに苦労しました・・・汗をかきかき、船場中心に本町をウロウロした頃が懐かしい・・・ 織物ビジネスは一発勝負ではなく(委託生産=賃織りは)、基本的には一度取引をしたら何年も継続性がありますので、単なる織物の品質向上に努めるという「本業」だけでなく、こういった日頃の贈答品や接待が必要不可欠なのです・・・ 繊維ビジネスは取引といった単純なものではなく、「取組」と言ったほうがいいほど複雑なのです・・・ 今は、そういった贈答や接待から解放され、「本業」以外の余計な気を遣う事もなく、幸せです・・・ 逆に今は、お客さんから頂くばかりです・・・ 中元歳暮だけでなく、事あるごとに何やかやと年中頂いております・・・ 「安く利用させて頂いています」という感謝の表れか・・・こちらこそ、有難うございます・・・ どうも、立場が逆転したみたいです・・・ オモシロいですねェ・・・仕事が変わると、周辺全てが変わる・・・当り前か・・・ その「変化」に耐えれたのも、ギリギリ49歳だったからか・・・50代だと・・・ という事で、今は織物時代はすべて「楽しい思い出」として語れますが、当時は毎日が必死の地獄だったのかも・・・ しかし思い起こせば、まだ私が小学生の頃、当時はお中元を取引先の自宅まで親父が私を連れてよく持っていきました・・・ 嫌がる私をなだめる為に、「堺の高島屋で、みたらし団子こうちゃるさかい・・・」とか、当時まだ珍しかったみたらし団子を餌に、ウマい事を言って「子連れ」で行ったのです・・・ 得意先に「子連れ」で行って情けをかけてもらう為か、子供に自営業の現実を知らしめるためか・・という親父一流の「一石二鳥の策」だったのか・・・ それとも照れ屋の親父が、単にひとりで行くのが恥ずかしかっただけか・・・? ここもポチッと押してください!ご協力お願いします! にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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