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カテゴリ:地元情報(熊取町)
先日の新聞広告に、熊取町野田に「10/10 おかざき眼科クリニック 開院」というチラシが入っていました・・・
人口9万人の貝塚市で眼科が7軒に対し、4.5万人の熊取町で今回の眼科をいれると5軒になるようです・・・ この数字って、どうなんでしょう? 貝塚市の軒数に対して、チョッと過剰のように思いますが・・・ 小学生の頃(昭和40年前後)は、日本は発展途上国でまだまだ不衛生でしたので、トラホームとかの目の病気が流行りました・・・ その頃貝塚市は人口が7万人くらいで、眼科は2軒(衣川と木下)しかなく、大盛況でした・・・ 私も小学2,4年の夏休みに、衣川さんへ毎日通った記憶があります・・・ 信じられない事ですが、当時開院時刻の9時に行くと、診療が終わるのが昼過ぎましたので、私は水間線の定期を買って、毎朝5時台の始発電車に乗って、「整理券」を取りに行っていたのです・・・ 同じように通っている小学生も沢山いましたので、貝塚駅を降りてから病院までの100mは、みんな全力疾走の競争でした・・・(笑) 歩いていてはべべになるので、朝早く起きた意味がないのは、子供でも分かっていました・・・ 当然高学年の子は早く、女の子は遅かったですが、別に勝ち負けにこだわる事もなく、みんな一緒に走った楽しい思い出でだけがあったような気がします・・・ それでも、1番を取る事は出来ず、病院の近所に住んでいる老人たちが、いつも10番くらいまで独占して並んでいましたねェ・・・ 整理券を貰ってから、また電車に乗って家に帰り、朝ご飯を食べてから、また9時に着くように電車で行くのです・・・ 長い夏休みの半分以上の午前中が、医者通いで潰れました・・・ しかし、当時活気のあった駅前商店街は、田舎の子供にとって充分刺激的で、まともに帰る事はなく、グランドストア、赤松のおもちゃ屋、プラモデル屋、パンの貝塚屋、三味力楽器、中野書店、スポーツのヒット屋(まだダイエーの出来る前)・・・と、いつも何処かに寄り道をしていましたねェ・・・ 小学校2年生でも、「オッチャン、これナンボじぇい?」と堂々と普通に買い物して、時には「このプラモデル、100円負けちょう?」と交渉していましたから(当時は普通?)、今の子供より相当マセテいたかもしれません・・・ どこでも値切る親父の姿を見て、それが「挨拶」と思っていたのでしょう・・・(笑) まァ、ノンビリした古き良き時代でした・・・ 昭和40年代は今と違って、第1、2次産業が多く、医療などの第3次産業(サービス)が少なく、まだまだ不衛生な世の中だったので、お医者さんもウハウハだったのかもしれません・・・ 今は、医者と言えども技術がなければタイヘンですが・・・ やはり、いくら先進国になったとは言え、第1,2,3次産業がバランスよく発展しないと、人間の心身と同じようにオカシクなるのではないでしょうか・・・ 程よい「バランス」・・・決め手は、これでしょうねェ・・・ ここもポチッと押してください!ご協力お願いします! にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.09.25 05:52:47
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