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カテゴリ:映画
昨日は岸和田カンカンのユナイテッドシネマで、今話題の映画「永遠の0」を観てきました・・・
これまで映画館では殆ど洋画しか見た事がなかったのですが、邦画を見るのは何十年ぶりでしょうか・・・ 戦争映画ですが、忘れかけた日本人の精神性というのを思い出させてくれたという意味で、とてもヨカッタですねェ・・・ お隣の女性達が、感動してシクシク泣いていました・・・ 私も映画館で泣いた記憶は殆どありませんが、この映画は途中ときどき何か冷たいモノが頬をつたいました・・・(笑) ラストシーンのサザンオールスターズの歌に、不覚にもその量がチョッと増えてしまいました・・・ まァ、人間年を取ると、涙腺が弱くなるものでしょうか・・・ 若い頃は、日本人男子たる者、泣くのは親が死んだ時しかないものだと思っていましたし、事実親父が亡くなった時しか人に泣き顔を見せませんでした・・・ ところが、長女の結婚式で泣いてしまい、その神話?が崩れ去ってしまいました・・・ ・・・・・・・ この映画を観て、父親の兄貴である伯父が終戦前年に16歳で予科練(海軍飛行予科練習生)に入隊した話を思い出しました・・・ 伯父の生前に当時の話を聞いた事がありますが、わずか16歳で両親や6人の幼い弟や妹達を残して、お国の為に死を覚悟したなんて、涙なくして聞けませんでした・・・ 当時の日本は、長男である子供まで戦争に駆り出さなくてならなかったほど(それまでの戦争では長男が家の残って家を守り、次男三男以下が戦争にかりだされた)、切羽詰まっていたという事でしょう・・・ 仏壇の奥から、伯父が昭和19年に出兵する時に親戚や町内の人達から頂いた「餞別帳」が出てきました・・・ どんな気持ちで渡し、受け取り、書いたのでしょう・・・ 表上はお国の為とは言いながら、この映画の主人公のように「行きたくない」「行って欲しくない」と思っていたかもしれません・・・ 亡き父にもこの時の話はついに聞いた事はありませんでしたが、14歳だった親父はどんな気持ちで兄貴を送り出したのかと思うと、涙を禁じ得ません・・・ 幸い伯父は、特攻隊でゼロ戦に乗る前に終戦になり、帰ってきました・・・ 一度戦争で死を覚悟した人は強いもので、戦後の伯父のビジネスに対する努力と執念には、私にはとても叶わない部分があり、尊敬に値するものでした・・・ 何年か前に町内の行者講(大峰山での修行)で、大昔から名越の常宿にしている大峰山麓の洞川温泉の旅館の女将さんから、戦時中はトラックの荷台に出兵前の大勢の名越の若者が来ていたという話を聞いたことがあります・・・ 戦争で死を覚悟した10代の若者の出兵前の心を考えると、本当に胸が痛みます・・・ またこの映画を観て、周りの環境や空気に左右されずに、己の信念を貫く「勇気」の大切さというのを感じました・・・ その勇気の裏には、それを支える影なる努力が必要なのは言うまでもありませんが・・・ 日頃どうしても、世間に流されがちですが、「この世に生まれてきて、一体何をしたいんや?」と自分の心に問って、自分の信念を確かめるのも必要かと思います・・・ という事で、この映画を観てから近くにある町内の集合墓地の入り口にある、昔から見慣れた町内の戦没者の記念碑とその墓に行き、改めてご冥福を祈り拝んだのでした・・・ ここもポチッと押してください!ご協力お願いします! にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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