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カテゴリ:辛苦の織物業時代(30,40代)
やっとパッチを履かなくてイイ、春を感じる今日この頃です・・・(笑)
冷房も暖房も要らない、1年で一番好きな季節です・・・ 今でも思い出しますし、夢にも出て来るのが、長かった織物時代の事です・・・ 冬になると当然外気温も下がり、大阪でも0℃~5℃というのがごく普通ですが、織物工場内の温湿度は冬でも織物品質を確保する為にも「26℃、65%」を保っていたのです・・・ 織物時代は1日の労働時間は15時間くらいが普通で、そのうち12時間くらい織物現場に入っていました・・・ 工場内と外を1日に何十回と出入りしますので、冬になると、工場内はTシャツを着て力仕事で動き回りますので汗をかき、ドア1枚を開けて外に出ると、そこは0℃の寒い世界です・・・ これって、身体にイイ訳ありません・・・ 特に私は高血圧なので、尚更です・・・ こんな生活を、20年以上も続けていたのです・・・ また織物工場内は100デシベルの騒音(織物機械のビーティング音)ですので、これも耳にイイ訳ないのです・・・ 1987年までは未だシャットル織機でしたので、シャットルの「金属チップの打撃音」がもっと耳に悪かったのです・・・ 工場内で従業員との会話もしなければなりませんでしたから、当然大きな声で喋らないと聞こえません・・・ 織屋さんの特徴は、難聴で声がデカいというのは、悲しいかな、こういった職場環境から来ているのです・・・ また織物機械(織機)を使って糸から織物を作る際に、微塵(ミジン)という綿ぼこりが工場内に舞い上がるのです・・・ これを弊社織物工場では地下ピットを掘って、工場内の空気を1時間に20回くらい総入れ替えするくらい、強制的に2基の直径150cmもするファン(プロペラ)で回して集塵していたのです・・・ しかしマスクもせずに、こんな事20年もヤッテいれば、身体(肺)にイイはずもありません・・・ 特に廃業10年前からは、素材(糸)が綿に加え、ポリエステル、麻、ウール、シルク、レーヨン、ナイロン、アクリル、キュプラなど石油が元となる素材も「高級化」と「多品種小ロット化」で混じりだし、不安が一層増したのです・・・ という事で、織物製造の「高温高湿度と騒音と綿ぼこり」という如何に過酷な現場で仕事をしていたのかと、改めて思います・・・ 今はそれから解放され、血圧にもイイ、一度は医者に見放された難聴も不思議と治ってきているようですし、綿ぼこりとは無縁の生活です・・・ 一度過酷な経験をすれば、一旦そこから解放されれば、どんな仕事でも天国に見えるのです・・・ まァ、今考えると、49歳で「転業」してホント良かったと思います・・・今の57歳まで続けていたら、身体がボロボロになり気力も使い果たし、転業どころではなかったと思います・・・ そして49歳の正にその時思ったのが、「6年後の55歳ではすべて遅すぎる・・・やるなら、今だ!」と・・・ 大きな決断の前には、経済学も評論家の意見も、コネも周囲のアドバイスも何もありません・・・あるのは、自分のこれまで積み重ねてきた「一種の感」だけです・・・それだけが頼りなのです・・・ まァ、49歳と50歳の「差」はとてつもなく大きく、49歳は「まだ40代だ!まだイケる!」というココロの希望と余裕があったのです(50歳だと「もう50代!もうアカン!」となったでしょう)・・・ ここもポチッと押してください!ご協力お願いします! にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014.04.05 09:49:43
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