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カテゴリ:辛苦の織物業時代(30,40代)
人生を振り返って、「あの時、思い切ってヨカッタ・・・なァ」なんて事が、2つあります・・・
この2つが無ければ、どうなっていたかと思うと・・・ 先ずは「織物工場の新築」です・・・ サラリーマンから家業に戻って3年目で、織物機械(織機)を一新するに当たり、古い工場を壊して新しい工場を新築したのです・・・ 古い工場を改造して新しい機械を導入する事も可能だったのですが、「織物品質第一」に考えれば、どうしても新築して空調設備で地下ピットを掘って完璧にする必要があったのです・・・ これが他社との差別化です・・・ やはり、設備投資に何億もかかる「一世一代の大勝負」です・・・ これに勝たなければ、倒産です・・・ 当時は、そこまで思い詰めていましたし、実際その通りです・・・ そして新築して大正解でした・・・ 織機の性能を100%近く引き出すには、入れ物である工場がキチンとしていないのダメだったのです・・・ 建築コストが掛かりましたが、手前の事だけを考えるのではなく、ビジネスはある程度マクロに考えなければならないと思います・・・ そして最も大事なタイミングですが、バブルの前年に設備投資したのが非常に幸運でした・・・ これで、他社より設備コストが約3割は安くでき、翌年のバブルに入り織物の注文が殺到しました・・・ ひょっとして、私の人生でこの「ベストタイミング」が生死を分けたかもです・・・ また、この新工場があったからこそ、この工場を利用して、今のトランクルームビジネスが出来たのです・・・ そう思うと、自分の強運に感謝です・・・ 2番目は「親との別居」です・・・ 田舎の長男は、親と同居するというのが世間の常識でした・・・ まして、家業を継いでいる長男が親と一緒に暮らすのは、当たり前もイイとこでした・・・ 私も結婚して、何も考えずに私の両親と同居したのです・・・ しかしイロイロありまして、9年目についに「別居」する事にしました・・・ 私自身、自分でも「まさか!」という思いでしたが、そういう思いを吹っ切って「これがベストの選択だ!」と決断したのです・・・ そりゃ、周辺の名もない噂や憶測が飛び交っていたと思います・・・ 取引先の部長から「どないしたんや?」と直接電話がかかってきたりして大変でした・・・ 当時1社としか取引していませんでしたから、そこの跡取り息子に何が起こったのかと、青天の霹靂だったのでしょう・・・ 実は、直接私に「何でや?」と詰め寄る人間も何人かいました・・・ しかし、そういったモノを全て自分で受け入れる事にしたのです・・・ 「ゴチャゴチャ文句あるなら、俺に言うて来い!」と・・・ チョッと古い?かもしれませんが、それが、父親であり、主人であり、経営者であり、跡継ぎであり・・・男だと思うのです・・・ そして家内とまだ小さかった子供3人連れて、町内の小さな賃貸マンションに引越しました・・・ この「家を出て行く」時の表現を、何と言ったらイイのでしょう・・・ もう一生、親と一緒に住む事はなく(家業と家を継ぐが)、自分の家族を守るために出て行く・・・ 無理して、敷地内に小さい家を建てる事も可能でしたが、中途半端になると思い止めました・・・ そして別居する時に、下の子供が小学校に入学する2年後には別の場所に家を新築するという「覚悟」と「計画」を抱いていました・・・ それが、家族をハッピーにする私の使命だと・・・ 会社の借金にプラスして、家の新築の借金が増えますが、それは頑張るしかないと・・・ 借金を抱えた者は強いです・・・ まァ、そういう事で、織物工場を年間10日しか止めず(355日稼働)24時間フルのエンドレス稼働で、20年間は死に物狂いで働きました・・・ 今から考えると、身体と精神がよくモッタものだと感心します・・・ 結果、家業が上手く回る事によって、親世帯含めてファミリー全体にウマくいくようになりました・・・ 家の跡取りはある意味(チョッと、言い方が古いですが)、船の船長です・・・ 港に無事着く事が目的で、視線は近くと遠くと両方見ないと座礁してしまいます・・・ そして、自分独りの判断がファミリーの存亡に大きく関わってきます・・・ まァしかし、親父に似たら男前で背が高かったかもしれませんが、身体が弱かったでしょう・・・母親に似て背が低くても、身体が丈夫でしたのでヨカッタです・・・(笑) 男は顔や身長とちゃまっせ・・・男のチャームポイントは、歯と目と内臓でっせ!と、いつものようにポジティブに考えています・・・(笑) ここもポチッと押してください!ご協力お願いします! にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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