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カテゴリ:辛苦の織物業時代(30,40代)
年末に自分の部屋を片付けていると、織物時代の写真が出てきました・・・
眺めていると、昔の思い出が蘇えります・・・ 写真は織物時代の後半に導入した新しい織機「エアージェット」で、何億という大きな借金を背負って導入しましたので、工場を止めるのは盆と正月のみで(年355日稼働)、それ以外は24時間稼働で動かしていたのです・・・ 年末は12月31日の朝5時まで従業員で稼働させ、従業員が帰った後、私ひとりで夕方6時まで機を織っていたものです・・・ 年始は1月3日の夕方から、また私ひとりで工場を4日の従業員の初出の翌朝まで稼働させていたのです・・・ 特に3日の始業時は、丸3日間機械を完全停止していましたので(0℃で完全に冷え切っている)、順調に動く事はまずなく、いつも機械トラブルに奔走していたのが懐かしく思い出されます・・・ 世の中がまだまだ正月気分に浸っている時に、油だらけで悪戦苦闘している自分が情けなく思ったものですが、1時間でも長く稼働させ織物生産を上げ、借金を早く返さないという思いだけで頑張っていたのです・・・ 誰からも強制された訳ではありませんでしたので、身体が自然と工場に向かわせました・・・ モチロン、精神的にルンルンで工場に行ったと言えばウソになり、小さかった娘らともう少し遊びたかったのは言うまでもありませんでした・・・ しかし、そういった欲望を断ち切れたのは、身体が弱かった親父に代わり「俺しかいない!」という強い想いだったのでしょう・・・ 親父が身体が健康で現役バリバリだったなら、ここまで強くなれなかったでしょう・・・ 個人的には「不幸中の幸い」という言葉では決して割り切れないのです・・・ だから、今でもそれがトラウマになっているのか、夢でたまにうなされるのです・・・(笑) しかし、当時の機械設備は「世界最新鋭」でした・・・ トヨタ自動車の親会社である豊田自動織機が開発したエアージェット織機で、当時実用運転で1分間に400~500回転くらいだったのが、いきなり「世界新」の750~800回転で運転しようとしたのですから・・・ 800回転はさすがに無理でしたが、750回転の常用運転には成功しました・・・ これで一時期、大きな自信を持ちました・・・ しかし、いきなり50%以上も機械スピードを上げたものですから、その後破損トラブルに見舞われました・・・ 勿論それらのトラブルは織り込み済みでしたので、機械メーカーと部品メーカーと一緒になって改善策を講じました・・・ ある意味、織機メーカーの「実験工場」的な要素をもって工場稼働していましたので、メリットもスゴクありました・・・ やはり、先行者メリットの享受というのは大きいです・・・ 他社に先駆けて、「新工場」建設から機械設備をすべて変えたものですから、機械性能を100%発揮できました(地下ピット全風量の空調設備と完全防音防振で)・・・ これが、旧工場の改造だけで機械を入れ替えたら、投資金額が少なくて済みますが、機械性能を100%発揮できませんでした・・・ この辺の「読み」も当たり、その後20年も生き残れたのでしょう・・・ そして、バブル前年の円高不況に導入したというのも、絶好のタイミングだったように思います・・・ 日本全体が大不況の時に設備投資をしましたので、建物も機械もすべて安く買えました・・・ 同業他社は、バブル期に入ってから一斉に導入し始めましたので、弊社より高く買っています・・・ バブル期に入ってALC壁も鉄骨材も機械設備も人件費も急騰しましたから・・・ このウン千万円?のイニシャルコストの差はとてつもなく大きいと思いますし、それより他社がバブル期初期に設備でモタモタしている時に、高級羽毛布団の受注が完全に軌道に乗り絶好調だったのが大きかったですねェ・・・ まァ、そういう意味で2番手以降というのはメリットは少ないですし、場合によっては命取りだったのです・・・ この1年の差は、正に生死を分けました・・・イヤ、半年の差か・・・ 「タイミング」こそ、すべてか・・・ 家業に戻る前のサラリーマン時代に、同じような経験をしました・・・ 大卒後すぐに入社した建築建材金物メーカーで、私の学生時代の経験を活かしてウインドサーフィンのパーツ(アルミやカーボン製のジョイント、ブーム、マスト)の開発販売を試みようとしたのです・・・ 入社したての新入社員に全権を任せ、特許庁への調査や素材メーカー(アルミ、カーボン)や総合商社との研究や交渉をひとりで仕切り、業界の裏側を垣間見て恐ろしくなりました・・・ これがニュービジネスの実態・・・ココまでヤルか、と・・・ 詳しくはトテモ言えませんが、ひと頃の太陽光発電に群がる海千山千の業者達のようでした・・・ この間までウインドの一愛好者だったのが、業界人になると全てが見えてくる「恐ろしさ」・・・ この経験が、ホント「イイ勉強」になりました・・・ 結局、開発段階で総合的に判断すると、断念せざるを得ませんでした・・・ しかし、その数年後にウインドサーフィンのブームが去り、胸を撫で下ろすと共にビジネスの難しさを痛感したものです・・・ そういった経験で、家業に戻ってからの新しい機械設備導入と、その20年後の廃業の「タイミング」をウマく出来たのかも・・・ いずれにしても、サラリーマンか経営者か責任の大きな違いがありますが、「経験こそすべて」というのをこの年になって改めて実感します・・・ という事で、今ノホホンと気楽そう?にトランクルームと不動産屋を営んでいますが、「土台」にはこれまでこういった経験があったのです・・・ 若い頃から不労所得とか言って、不動産投資や株式投資・・・働かずに苦労せずに稼ごうという風潮がありますが、一時的に成功しても人生最期まで続くかと言えば難しいように思います・・・ 古い考え方かもしれませんが、「若い時は、買ってでも苦労せよ」というのは、ネット社会になった今でも十分通用すると思うのです・・・ 若い時は肉体的精神的に苦労して、年齢によって「働き方」を変えていくべきものだと・・・ ここもポチッと押してください!ご協力お願いします! にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.01.04 11:47:28
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