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カテゴリ:愉快なサラリーマン時代(20代)
昨日は、ミナミ難波で2週連続の飲み会でした・・・
30年前に勤務していた会社の同僚との飲み会だったのです・・・ 大卒で入社した建築金物建材メーカーの営業マンだった頃の20代の若く輝かしい?思い出が蘇ります・・・(笑) しかし、集まった10数人のメンバーは私の所属していた金物営業部隊ではなく、工場(生産部)勤務の方達です・・・ たまたま仲の良かった工場勤務の先輩社員が、数年前にファイナンシャルプランナーの月刊誌で私の記事を「発見」し、連絡を頂いてから久しぶりにお会いしてから付き合いが再開し、今回「飲み会にけーヘンか?」という事でお邪魔したのです・・・ 人間、やはり縁やお付き合いを大事にしないといけませんねェ・・・ 30年経って再会しても、「オーッ!」と言えるような仲に・・・ その為には、日頃から自分勝手にイイ加減に生きるのではなく、「一期一会」の精神で人との縁を大事にして一生懸命生きたいものです・・・ 人間、独りでは生きていけませんし、仕事やプライベートといったイロンナ人間関係の中で「生きて活かされて」いますから・・・ 私はその会社に4年しか在籍していませんでしたが、その先輩以外全員30年ぶりでした(私が退職後に入社された方も若干おられましたが)・・・ 「懐かしい」の一言です・・・ 30年ぶりですけど、だいたい分かりましたねェ・・・ 全く忘れてしまっていましたが、言われてみて、会社全体の慰安旅行で和歌浦に行った時、自分が音頭をとって当時の若手社員らを引き連れて、片男波でウインドサーフィンを楽しんだのを思い出しました・・・ ホント、不思議ですねェ・・・ 先週の高校のクラス会もそうでしたが、この10代、20代の思い出を語って楽しむアナログ的な「回顧マーケット」ビジネスというのは有望とちゃいますか・・・(笑) 少なくとも、子供の頃にアナログ文化どっぷりだった40代以上の年代には有効だと思うのですが・・・ まァ、今はしょぼくれたジジイですが、20代のサラリーマン時代は今の10倍くらいは元気があったように思います・・・ 実は最初の2年間、朝の5時から7時まで家業の織物業の機織りをしてから、大阪市内まで出社していたのです・・・ サラリーマンと言えど、当初は家業に戻るかもしれませんし、父親が病弱でしたので心配して手伝っていたのでしょう・・・ ところが結婚して直ぐに子供が出来、仕事も慣れるに従って面白くなり帰りも毎夜10時11時と超多忙になり、3年目で親父に「俺はサラリーマンで生きていくさかい、もうよう手伝わん・・・」と啖呵を切ってしまったのです・・・ それから死に物狂いで働きましたが、そこは所詮サラリーマン、多くの方と同じように「サラリーマンの限界」を感じたのです・・・ 2人子供抱えどうしようもなく、親父に頭を下げ「家業に戻りたい・・・」と伝えたのです・・・ やはり他人や会社には甘えられませんし、甘えたとしても、必ずそれ相当の見返りが必要です・・・ 逆に足元を見られて、むしり取られる可能性の方が高いかも・・・ 結局仕事というのは自助努力しかあり得ませんし、実際、万一甘えられたとしても肉親の親だけです・・・ この時ほど、親の有難味を感じた事はありませんでした・・・ 自分が人並みに生きてこられたのも、父親のお蔭ですし、その父親も祖父のお蔭で織物業を頑張って来られたのです・・・ 先祖に感謝というのは、正にこういう事だろうと思います・・・ まァ、無事家業に戻れて「親父に恩返しして、家族を守るために死ぬ気で働くぞ!」と心に誓ったのは言うまでもありませんでした・・・ その後、工場新設の設備投資をして20年間355日/年24時間稼働(月産20万m)で働きまくったのでした・・・ という事で、今回も飲み会スタートの4時間前に難波に到着・・・ そして今回は遊びと違って、マル秘不動産の物件調査を西区から堺筋まで開始時間ギリギリまで・・・ 田舎と違って、都会の物件調査は新鮮味があって楽しく刺激があってヨロシイ・・・ 「時間を有効に!」がポリシーですから、公私を上手くフュージョンさす事が肝要です・・・(笑) そして、ドラッグストアでヘパリーゼを飲み(これまではウコン)、イザ出陣・・・ このヘパリーゼ、アルコールを飲む前と後で飲むと、二日酔いによく効くのです・・・ しかし、この勤務していた会社、10年チョッと前に倒産して今はないのです・・・ 会社が存在しないのに、未だに昔を懐かしんで集まるという事は、イロンナ意味を含んでイイ会社?だったのでしょう・・・ 今回集まったメンバーも、退職、転職、倒産、独立、起業・・・紆余曲折ながらも元気にヤッテいるからこそ集結したのです・・・ 互いの「その後」の人生を語ったり聞いたりして、私も随分勇気づけられました・・・ 少なくとも私は在籍中上司に恵まれ、入社早々全力で仕事に取り組ませて頂き、イロンナ経験をさせて頂きましたから感謝しているのです・・・ 金物問屋ルート担当、大手量販店担当、ホームセンター直販担当、大手家電ルート担当、新規開拓(東急ハンズ、カメラ量販店、園芸店直販、工具商社、器物ルート、店装ルート、画材店直販、家具ルート、百貨店ルート、通販ギフト)、新商品のリサーチ研究と開発、アルミ建材販売と撤退、出張(山陰、四国)、長期在庫処分、ライバル商品との仁義なき戦い(店舗での入替戦)・・・・・・思い出すと涙が出そうです・・・ 特に、嘗て人気テレビドラマ「どてらい男」のモデルで東証1部上場企業で工具商社「山善」の創業者の故・山本猛夫氏に直接売り込んで取引に成功した事や、ダイエーの創業者である故・中内功氏とプランタン難波店オープン当日に会話した事が思い出されます・・・ 喉から心臓が飛び出そうなくらい緊張しましたが、ウインドサーフィンで遭難して死にかけた時と同じように、人間腹が坐れば案外冷静だったのがナントも不思議です・・・ 戦後の日本経済界で、一代で名を成した有名創業者2人と「自力で」会話にこぎつけたという事は、私にとって大きな自信となり、零細企業の経営者として人生の中で記憶に残る大きな出来事だったのです・・・ このサラリーマンの経験がなければ、織物時代のグローバル化で繊維業界に激震が走り、新規開拓をせざるを得なかった瀬戸際の時や、織物業を廃業してトランクルームに転業時の大手商社依存の委託加工からエンドユーザー相手のビジネス(BtoC)への「発想の転換」が必要な時に、途中何処かで挫折していたかもしれません・・・ それほど頭が柔らかく身体の無理が効く20代の社会人経験が一番大事で、その後の人生をほぼ「規定」すると言ってもイイのではないでしょうか・・・ しかし考えてみれば、そもそも私がFPの資格を持っていなかったら、この場にいない訳です・・・ そしてFPも、宅建資格を取っていなかったら受験勉強すら考えなかったのです・・・その宅建も、トランクルームに転業していなかったら、また当初不動産会社兼業の必要性がなかったら取っていなかったのです・・・ そう考えると、人生の展開ってロングスパンで考えると、いつどうなるか分からん?という意味でマコトに不思議なモンですねェ・・・ しかし振り返ってみると、社会人になって30数年間の日本経済の「激変」には、ホント驚嘆します・・・ 為替相場の円高による急激な日本のグローバル化とバブル崩壊、そして世界のIT化によって、絶対潰れないと思われた大手家電メーカーを筆頭に大手企業が次々に倒産、或いはM&Aされて実質企業が消滅したり、起こりえない事が起こっているのが現状です・・・ 一番驚いたのは、まさか自分が「このままでは織物業をやっていけない・・・」と、廃業(転業)の前年まで全く思いもよらない事を考えざるを得なかった事ですが・・・ ここもポチッと押してください!ご協力お願いします! にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.03.07 17:06:07
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