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     トランクルーム貝塚のオヤジ奮戦記

     トランクルーム貝塚のオヤジ奮戦記

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2015.08.27
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カテゴリ:国内旅行
満90歳になる義父を連れて、昨年からの希望であった草津温泉と軽井沢へ2泊3日の旅行に行ってきました。

関空から羽田、東京から新幹線で軽井沢へ、軽井沢からレンタカーを借りて草津温泉へ・・・

今はとても便利な時代で、飛行機や新幹線、レンタカーや宿もネットで全て完了です。

他社との比較も出来、1ヶ月以上前から予約すれば更に安くなります。

海外旅行もそうですが、ネット利用によって2倍以上の「差」がつきます。

金持ちは別にして、我々普通の人間にとって正にネットさまさまです。

もっと安く旅行しようと、今回関空が発行しているKIX-ITMカードに登録しました。

このカードは関空利用で特典があり、今まで全く知らなかったのが残念です。

「必要は発明の母」とはよく言ったもので、必死に「1円でも安くならないか?」という執念がKIXカードに辿り着いたのです。

まァ、ビジネスでも何でもそうですけど、結局小さな「執念」の積み重ねが、何年か後に大きな成功に結び付くと・・・

昨年の東北旅行で義父が、「来年は軽井沢に行きたい・・・」と言ってたのが正にその執念で、その執念があったからこそ90歳を超えてもまだまだ元気なのです。

執念、欲望、希望・・・といったものは人間にとって大事です。

その人にとって「〇〇をやりたい・・・」というのは生きる根源で、人生で最も大事で大切にしたいです。

まァ、もちろん法律違反や犯罪的な事は絶対ヤッテはいけませんが、周りに迷惑をかけず自己責任がとれれば、ソコソコの事はやっても構わないと思うのです。

逆に言うと、それが無ければ、生きている意味がありません。

若い頃から空手やウインドサーフィン、ドラムなど自分の好きな事を結構やったり、土曜の夜はミナミへ、また親のクラウンやシーマを乗り回してきました・・・

一見、バカ息子かドラ息子みたいですが・・・(笑)。

しかし時間と金をそんな事に注ぎ込んで、「青春を犠牲にして、大丈夫か?」と当時何度何度も自問自答してきました・・・

そのかわり、家業の織物業を毎朝5時から手伝い(サラリーマンになってからも2年間継続)、夏休みともなると朝5時から12時間、工場内に入った途端汗が噴き出る室温40℃湿度90%のシャットル織機工場で、更に綿ぼこりと100デシベルの騒音の劣悪で過酷な環境の中で一生懸命働く事によって、親に落とし前をつけてきました・・・

特にシンドカッタのは、当時は何でも人力で、総重量200キロがあるであろう千切(経糸ビーム)を小さな台車に載せて1人で織機にセットしタイイングしたり、織りあがった4,50キロある空ビームを肩に担いでストッカーまで運んだり、2時間で100反も荷作りをするとクタクタ疲労困憊になりました。

そのお蔭で、腰のヘルニアと難聴になってしまったのです(職業病)。

当時両親は、それ以上に睡眠薬を服用しながらも昼夜関係なく働いており、それくらいはごく当たり前だと思っていました。

しかし、それ以降の私の人生で、これ以上ツライ経験はありません。

工場を新設し新しい機械(エアージェット織機)を導入して20年間、朝5時から15時間土日関係なく(年間355日24時間フル稼働)働きましたが、真夏の工場内室温は33℃止まりでしたし、深夜働く事も時々だったので、身体的には楽だったのです。

49歳でトランクルームに転業後、織物製造の同業他社で1年半12時間現場労働をして、そのうち9か月間「毎朝2時に起床」し3時間宅建の受験勉強をしましたが、精神的に多少辛かっただけで、肉体的には20代の頃より遥かに楽でした。

そのお蔭でホント今は、遊びながら仕事しているようなものです(笑)。

やはりイロンナ意味を含めて、20代までの肉体的精神的な経験がかなりの部分で「その後の人生を規定する」のだと、シミジミ思います・・・

10代半ばから20代前半で悲惨な戦争体験をした多くの人が、その後実業界で偉大な功績を残しています。

ワコール創業者・塚本幸一、京セラ創業者・稲盛和夫、作家・五木寛之、ダイエー創業者・中内功、ヤマト運輸・小倉昌男・・・

身近な例でも、今回の義父、伯父。

やはり、死線を彷徨った経験のある人間には怖いものはなく、ビジネスや商売での多少の苦労や努力は何とも思わないのでしょう・・・

この辺が私みたいに戦後ちょっと苦労したり、頭が多少良い人で東大や京大に入れたとしても(5教科だけデキても)、人間として根本的に彼らに敵わない点でしょう(社会で成功するのは、9教科+学校で教わらないコミュ力&体力&胆力&忍耐力等が必要)・・・

という事で、草津温泉で「草津よいとこ・・・どっこいしょ・・・チョイナァ、チョイナァ・・・♪♪♪・・・」という湯もみショーで初めて本場の草津節を聴きました。

この草津節、実は替え歌で昔子供の頃は、地元名越のだんじり祭りで歌っていたのです。

綱を引っ張りながら「名越よいとこ ♪ 一度はおいで~ ♪ ドッコイショ~ ♪・・・チョイナ、チョイナ ♪・・・」と・・・

今のPTAも真っ青(真っ赤?)になるような替え歌や春歌を、ちょっとハニカミながら(意味を多少分かって?)小学校低学年から青年団のニイチャンやオッサンらと一緒に昔は歌っていたのです・・・

まァ、だんじりも今と違って走る事は滅多になく、10m進んでは止まり、止まる度に「ま~め~、か~ま~、しょー」とか掛け声をかけて引っ張り、「エンヤ、エンヤ・・・」と大きな掛け声を掛け合ってだんじりの綱を引っ張っていたのです。

それだけだと愛想が無いので、酒に酔ったオッサンらが歌を歌い始め、それに合わせて青年団や子供たちも歌ったり合いの手を入れたりしたノンビリした祭でした。

今は岸和田の影響を受けて、「やりまわし」中心の見せるスポーティーでスマートなだんじり祭りに変わってしまいましたが、私が青年団員だったついこの間(30数年前)までは五穀豊穣を祈願したノンビリした本来の「村祭り」だったのです・・・

今回の草津温泉も、露天風呂付部屋で十分リラックス出来、取れ取れの地元野菜中心の料理でトテモ美味しかったです。

2日目の軽井沢はチョッとお洒落なホテルで、露天風呂付きでは無かったですが、ここでも大阪では味わえない野菜中心の料理で、とても美味しかったです。

2日連続腹一杯野菜を食べたお蔭で、これでもかというくらい大量の〇〇〇が出て自分でも驚きました(笑)。

草津温泉も軽井沢も朝晩は13,4℃でしたので、涼しいを通り越して寒かったくらいです。

旅をするといつも驚く事がありますが、ローソンと言えばシンボルカラーはブルーですが、軽井沢では紺色でした。

たぶん京都と同様、景観を守るために色が濃くなっているのでしょうね。

大阪では何処にでもある王将や回転寿司、丼チェーン店やファミレスも全くありませんでした。

軽井沢の徹底した地域ブランド戦略が見て取れます・・・

また、とても英語を喋れそうにないJR軽井沢駅の案内所のオバチャンやレンタカー屋の店員のニイチャンが、中国人観光客に対して普通に英語で対応していたのにも驚きました。

もう、そういう時代が既に来ているんですねェ・・・(驚)。

帰りに、軽井沢の森の中にあるビートルズのジョン・レノンとオノ・ヨーコ夫妻がまだ小さかった長男ショーン・レノンを連れてよく訪れていたという喫茶店に行きました。

店内に飾ってあった写真などを見て、ホントに幸せだった時の3人家族の情景が思い浮かび、思わず涙が出そうになりました・・・

当時世界的に最も有名なアーティスト(ミュージシャン)で、天才でもありスーパースターのジョン・レノンがお忍びで軽井沢に滞在していたのは、何より家族を愛し最も大切だった証明です・・・

普通だと噂がパッと広がってマスコミが押し寄せそうですが、近所の方達の配慮で黙ってそっとしておかれたそうです。

この辺が、軽井沢住人の方達の知的文化的レベルの高さが窺い知れますし、恐れ入りました・・・

二人は共作アルバム『ダブル・ファンタジー』("Double Fantasy")を発表する前年の1979年まで夏は軽井沢の別荘で滞在していたようで、アルバムの発表直後にジョンが暗殺された事が何とも悲しすぎます・・・
 

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Last updated  2015.09.17 04:59:27
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