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40年以上前の関西外大時代に、学内に「ウインドサーフィン同好会」を創部しました。
創部とは文字通り、部(クラブ、愛好会、同好会)を新しく創ることです。 初めて部を創った人の事を、創部者と呼びます。 トランクルームや音楽スタジオを初めて起業しましたので、私は起業家という事になりますが、40年以上前にはすでに創部の経験をしていたのです。 何でも過去を振り返ってみたら「あ~そうなんや」となりますが、起業家になれたのは創部の経験があったからだと言えるかも知れません。 同じ関西外大で空手で有名になった角田氏や佐竹氏がいますが、彼らが所属していた「極真空手同好会」の創部者K氏と学内全部の同好会キャンプでたまたま知り合い、私が以前体育会古武道部(林派糸東流空手)に所属していた為、空手談議で意気投合したのを昨日の事のように覚えています。 ちょうど極真会から正道館になった頃です。 そのK氏も起業家です。 ウインドサーフィン同好会を創部した時は、「大学にウインドサーフィンを広めたい・・・」という軽いノリだったのです・・・(笑)。 しかしその後、複雑な学内手続きをしたり、学連加盟でイロンナ経験をするなんて夢にも思っていませんでした。 同好会と言えども同好会の顧問になってもらうために面識のない教授にお願いに行きました。 「ウインドサーフィン・・・? ナニそれ・・・?」と最初怪訝な顔をされましたが、一生懸命説得工作に全身全霊で訴えました・・・(汗)。 たまたまその教授がヨットの経験があったため、「これからの新しいマリンスポーツなんです!」とか何とか言って、やっとこさ同意を得る事に成功しました・・・(汗)。 単なるレジャー志向の同好会に終わらず、将来的にはスポーツとしての体育会のウインドサーフィン部にするために学連にも加盟もしました。 東京の岸記念会館まで、関大ウインドサーフィン同好会の創部者の石田君と一緒に新幹線に乗って行きました。 当時の日本のウインドサーフィンのレース界は、東京の拓殖大学が中心となって関東学連が引っ張っていましたので、レース上位の常連や雑誌で見る有名選手と沢山知り会え舞い上がってしまいました・・・(笑)。 この関西外大の学連加盟がキッカケで、関西学連を他大学の京大、関大、同志社、甲南と一緒に立ち上げたのです。 それから実質2年の部活で卒業しあとは後輩に同好会を任せましたが、私の人生に於いて非常に濃い2年でした・・・(涙)。 パッと閃いてウインドサーフィン同好会を創り、その後想定外の苦労を積み重ねて「人生を学んでいった」ところが、トランクルームや音楽スタジオの起業とソックリです・・・(笑)。 という事で、40年以上前の経験がトランクルームや音楽スタジオの起業に役立つとは夢にも思いませんでしたが、不思議と「1から始める・・・」感覚は当時と全く同じだったような気がします・・・ ウインドサーフィン同好会の創部の最中に「将来、会社経営に役立つかも?」という思いが一瞬頭をよぎり、そういう将来この経験が役立つかもしれないという思いが、創部をドンドン推し進めていったのかも知れません。 有名大学の体育会系の学生は「イイ会社に就職できるかも?」という思いで良い戦績を残そうと努力をしている人が多いかも知れませんが、私の場合は大学に入る時点でエリートコースを外れていましたので、そんな邪心?が芽生えたのかも知れませんねェ・・・(笑)。 当時、世界中でウインドサーフィンが大流行していた訳ですが、その裏で日本を含め世界各国でユニバーサルジョイントに関する「特許(パテント)裁判」紛争が吹き荒れていましたので、ウインドサーフィンへの新規参入を噂されていたヤマハ発動機とミズノの就職面接で「ウインドサーフィンの特許問題をどう思われますか? 新規参入される予定はありますか?」と多くの学生の前でイヤな質問すると、面接官のタジタジしていた姿が思い出されます・・・(笑)。 その他1984年のロス五輪で初めてウインドサーフィンがオリンピック正式種目(ヨットカテゴリーの1艇種)になりましたが、その裏で艇種選定疑惑もあったりして、「世の中には表と裏があるんやなぁ~」とつくづく思いましたねェ・・・ 1981年ウインドサーフィン雑誌「ハイウインド」より 「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.com にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.09.24 08:51:08
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