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カテゴリ:ライフスタイル
60数年生きてきて、今は思う事は16年前の40代で人生を変えて本当にヨカッタ・・・という事です。
人生を変えたというのは仕事の事で、祖父の代から57年続けてきた泉州の地場産業だった家業の織物業から今のトランクルーム業に転業したという意味です。 40代と言っても、50歳一歩手前のギリギリ49歳ですが・・・(汗)。 転業の1年前の48歳まで、まさか自分が仕事を変えるなんて夢にも思いませんでしたが、それまで19年間は織物工場を年355日24時間エンドレス稼働で月産20万mだったのが、3か月だけですが突然土日に工場を止めなければならないほど仕事が激減したのです。 青天の霹靂・・・これはもう想像以上に堪え、「もうアカン!」と。 仕事量で30%もいきなり激減し、電気代や人件費といった固定費はそれほど変わりませんから、経営的に苦しいを通り越して四半期で大赤字に陥ったのです。 こうなると、もう零細企業経営者は夜は寝れません。 2週間悩みに悩んだ結果1年後に廃業しようと決断し、計画通りに1年後の2006年には57年間続いた家業に終止符を打って、2008年の北京オリンピック前の好景気に沸いていた中国にエアージェット織機を売却し、直ぐにトランクルームへの改造コンバージョン工事に着手したのです。 しかし早かったですねェ・・・この廃業決断からの1年。 特筆すべきは廃業の2年後の2008年に世界中を不況のどん底に陥れたリーマンショックが起きた事で、もう2年無理して頑張っていたらリーマンショックの大不況の嵐に巻き込まれ、中国のオリンピック特需の好景気が終わってエアージェット織機が売却できないところでした・・・(汗)。 たかが2年、されど2年・・・この差はとてつもなく、自分の幸運に感謝しかないです(涙)。 まぁしかし、廃業決断が自分的にも「もうガチャガチャうるさくて暑い織物工場で働かなくてイイ・・・」と嬉しかったのかも・・・(笑)。 そして新しい未知のトランクルームビジネスに、期待でルンルンだったのか・・・(笑)。 緻密に計算した結果、工場の完全停止の2006年3月31日18時の1週間前まで24時間エンドレスでフル操業し、それから織機が1台ずつ停止していき、最後に全台織機が停止して残ったのは経糸1反分だけで、あとは全く在庫ゼロでした。 これには自分でも驚きました。 全くロスがなかったというのはこの事で、糸量計算と修正計算を何十回も繰り返しながら、実際の在庫量(糸と織物)を確認しながらの計算力の勝利です・・・(汗)。 やはり会社経営には計算、ソロバン・・・中学くらいの数学の基礎が大事です。 残務整理は一切なく、退職金を支払った従業員たちは翌日から次の職場へそれぞれ出勤しました。 廃業決断した瞬間から1年掛けて、計画的にすべての在庫を減らし、受注をセーブし、水面下で織機など設備機械の売却交渉を進めていたのです。 廃業の事は誰にも一切言わず、廃業1か月前に初めて一斉に公開告知したので、情報漏洩が全くなく変な噂が広がる時間もありませんでした。 ココです・・・ポイントは。 家族は腰を抜かしましたけど・・・(笑)。 サラリーマンを辞めたのも30代突入前の29歳で、音楽スタジオ起業も60代突入前の59歳と、織物業廃業(トランクルームに転業)の49歳と同じく「大台の乗る前年」という事になりますが、「30歳(50歳、60歳)になればズルズルといってしまうだろう・・・」という心理的な面が大きかっただろうと思います・・・(汗)。 それと現実問題として30歳は別にして、50歳以降の体力と気力は想像以上に落ち込むもので、この考えたくない人生の「下降線」も計算に入れないと・・・(汗)。 49歳で転業して50歳で宅建士資格に挑戦しましたが、59歳ではとてもそんな気力が1ミリも湧きませんし、49歳で転業したばかりで気持ち的に希望が湧いていた「ポジティブな50歳」だからこそ、まだ気力が残っていたのでしょう。 考えれば当たり前の話ですが、それほど年齢というは左右するのです。 まぁ家族5人と従業員がいましたし仕事が斜陽産業でしたので、49歳で「人生を変えた」訳ですが、家族や従業員がいなくて儲かっていれば、もっと気楽に何も考えないで何も変えずにノホホンと生きられたでしょうねェ・・・ という事で、ここ20数年の間に阪神大震災、東北大震災、織物業廃業(転業)、リーマンショック、2018年台風21号、コロナ感染拡大、ロシアとウクライナの戦争・・・大きな出来事や事件が多すぎますが、改めて思うコトが「好きな事をするのが人生や!」です。 学生時代に勉強ができず二流大学に進学し二流企業に就職した結果、「サラリーマンより家業の織物業の方がマシだ」と家業に戻り、それから20年間織物業で頑張った結果「もうアカン!」となってトランクルームに転業したのです。 そして10年後の60歳一歩手前の59歳の時に、念願の音楽スタジオを起業したのです。 自分の好きな事をするのに、そこまで辿り着くのに気が遠くなるような回り道をしてきたのです・・・(笑)。 社会人になれば総合力が勝負で、何も中学高校時代に多少勉強ができなくても落ち込む必要はサラサラないのです。 むしろ部活も遊びもせずに、受験勉強しかしなかった弊害の方が大きいと思います。 最近高校の進学校ほど部活加入率が80〜90%と高いのは、「勉強だけヤッテいてはダメだ」という将来に対する不安からか・・・? そうだとすれば、日本の若者も賢くなったという事です。 まァ、人生は長い・・・本当に長いですから。 しかし49歳の時に人生を変えた事によって、59歳の時に好きな音楽を仕事にする事が出来たのだと思います。 イヤ、せっかく好きな道に辿り着いたので、これから100歳まであと35年、好きなコトをやりながらお金も稼いでいきたいと思います。 まぁしかし人生なんて、変えようと思わなければ一生そのままズルズルといくモノで、変えようと思っても相当エネルギーが要りますが、問題はそんなエネルギーが自分の中にまだ残っているか?・・・です(汗)。 「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.com にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.08.20 17:52:26
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