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カテゴリ:健康
2年半前に岸和田の葛城病院で脊柱管狭窄症の手術をしましたが、今は痛みも痺れも全くありません。
100%スッキリした訳ではありませんので、95%くらい治った感じです。 この残り5%は加齢による肉体の劣化でしょう。 まぁしかし、本当にあの時に手術を決断して良かったと思います。 脊柱管狭窄症の手術と言えば結構大きな手術です。 1歩間違えば車椅子というのが頭を過りますし、実際そういう方もおられるのも事実です。 手術は100%成功というのは、あり得ません。 ココです・・・問題は。 ここで一歩前に進んで手術をするか、現状維持で手術を止めるか・・・? それは本人次第です。 他人のアドバイスで手術したなんてNGです。 自分自身で考えて、考えて・・・考え抜いて、悩み抜いて自分自身で結論を出さなければなりません(汗)。 私は手術という選択をした訳ですが、人命にかかわる事なので他人にアドバイスなんて出来ませんし、単に自分の経験談を語るだけです。 ただ幸い私の場合は手術は成功し、2年半経った今は何の問題もありませんが、これから先は分かりません。 実際知人で、同じ手術をして再発で苦しんでいる方もおられます。 今はあまり激しい運動は自粛して、あと1年くらいはこのままで・・・と思っていますが。 とにかく家業の織物業で小学生の頃から反物を検反場に運んだり、中高生になってからは糸や出荷作業の荷作りで重い反物を持って腰に負担を掛けていました。 大学生になってからは従業員と同じ仕事をさせられ、4,5反を1つに括った反物を肩に乗せて運送屋のトラックに運んだり、5,60㎏もある空ビームを肩に乗せて運んだり、2,300㎏もある縦糸を巻いたビーム(千切)をタイイングをするのに台車から織機に乗せたり、町内の道の狭い経通し屋さんへそのまま台車にビームを乗せて運んだり・・・と更に腰に負担を掛けていたのです。 今考えれば、よくもそんな過酷な仕事をよくやっていたなぁ・・・と感心します。 なので織屋の職業病は、昔から腰痛と難聴と相場が決まっていました。 大学生の頃に1番困ったのが、両親が同時に腰痛で整形外科に入院した時で、学校をしばらく休んで商社との糸の受け渡しや織物の出荷といった対応も1人でやっていた時に、現場の頼りにしていた工員さんが「もう辞めるわ」と言われた時で、この時は必死に拝み倒して思い止まらせました・・・(汗)。 人間というのは例え信頼していても、何かの拍子に豹変するものだ・・・と、良い経験になりました。 まぁしかし、たまたま小さい体をカバーする為の空手やウインドサーフィンの補強運動で、当時の一時期に和泉大宮にあったプロレスラーが創ったとされるボディビルジムで筋トレをして身体を鍛えていましたので、何とかそんな重量に耐えれたのでしょう・・・(汗)。 しかしそんな過酷な肉体労働を40年も続けてきた結果、その蓄積がついに63歳で身体が悲鳴を上げたのです。 ホンと蓄積というのは怖いです。 蓄積や習慣は良いモノを選びたいですねェ・・・ 一方100㏈もの騒音の織物工場で1日に10時間以上も働いてきた結果、なってしまった難聴の方は医者から完治は不可能と宣言されていたのですが、不思議と織物業を廃業してから自然と殆ど治ってしまったのです。 この辺は、人体の不思議ですねェ・・・まだまだ人間の身体って、解明されていない部分が多いのでしょう。 という事で、日本人男性の平均寿命で言うと「あと15年」しか残されていませんが、それをあと100歳まで「+20年伸ばそう」と企んでいます・・・(笑)。 腰は治りましたが、あともうひとつ私にウイークポイントがあり、これを今イロイロと考えている最中です。 とにかく1つ1つ自分のウイークポイントを潰していく(無くしていく)事が、100歳まで元気に生きる事に繋がる・・・と信じて。 まぁしかし、ちょうど手術が終わって入院中に、クルーズ船の日本での最初のコロナ感染のニュースをテレビで見ましたので、もし手術予定が1か月遅れていたら手術が出来なかったかも知れませんので、ここでも自分の幸運に感謝しかないです・・・(涙)。 「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.com にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.08.21 11:16:13
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