|
カテゴリ:地元情報(熊取町)
私はまだ2,3歳の頃でしたが熊取のだんじり祭の宮入りで、母方の祖父に抱っこされてだんじりの大屋根に乗っていたのを思い出します。
祖父が「宮村のだんじりはデッカイやろ・・・」と何も分からない私に、自慢げに講釈を垂れていたのです。 しかし私はシッカリ聞いていました。 「他所のだんじりの大屋根の高さは、宮村(大宮)の大屋根と小屋根の間くらいの高さしかない・・」と。 幼児でもオジイチャンの言ってる事は分かっていたのです。 確かに昭和8年に新調された大宮のだんじりの高さは、3.8~3.9mというのは異常に大きく泉州一の大きさを誇っていたでしょう。 平成や令和時代に新調されただんじりと同じ寸法を昭和初期に作られていたのです。 一体何故・・・? という疑問が湧きますが、祖父に理由を聞くのを忘れました。 昭和30年代当時の熊取町のだんじりは3.3~3.5mくらいが標準でしたから、一回り大きかったので、グルグル回る熊取独特の宮入りで、他のだんじりが大宮のだんじりの前を通り過ぎると、みんな大屋根と小屋根の間くらいの高さしかなかったのを、何故か幼かった私のこの目でシッカリと記憶しています。 これが祖父との1番の思い出です。 ちょうど昭和8年の大宮のだんじり新調の時の写真が母の実家にあり、祖父が青年団長の時に新調したようで、伝説のだんじり大工で有名だった植山宗一郎の隣に写っています。 新調当時に大宮出身の福助の社長がだいぶ寄付されたようで、地元では別名「福助だんじり」と呼ばれていたようです。 まぁしかし、私は母方のイトコの中で「初めての男の孫」でしたので、特別に可愛がられたのでしょう。 母の実家は養豚農家で、真っ暗な牛小屋の中にあった五右衛門風呂にも祖父に抱っこされて入っていましたが、未だに「モ~」と鳴く牛の声に怖がったのも懐かしい思い出です。 田んぼにあった豚舎に子豚を抱きに行くのが楽しみで、家には田んぼを耕す牛を飼っていたり、庭にも豚やアヒルや犬を飼っていましたので、まるで動物園状態が子供心をウキウキさせました。 隣の家の美人のお姉さんに毎回お寿司を頂いたり、近くの川でイトコらと遊んだり、ひとりで近くの八百屋に買い物に行ったり、裏の親戚の家の子に遊んでもらったり・・・とにかく楽しい熊取の思い出がイッパイ私の脳裏にあります。 まァそんな母親の実家で楽しい思い出があったので、娘の子供達にも楽しい思い出を残してやろうと、ジイジとしてアレコレ頑張っているのかも知れません・・・ という事で、5人の孫の祖父としてもう完全に老後の域に入っていますので、常に「人生の逆算」を念頭に残りの体力と知力と財力を計算して「あと、どれくらいの事が出来るのか?」と冷静に考えながら後悔のないように生きている自分がいます・・・(汗)。 まァ祖父は私の顔を見たいばかりに、よく豚肉の大きな塊と黄色の熊取西瓜を持ってきたもので、お陰で中学生の頃はほぼ毎日トンカツ弁当でしたので、カッコ悪いやら・・・(笑)。 「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.com にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.10.30 11:33:49
コメント(0) | コメントを書く
[地元情報(熊取町)] カテゴリの最新記事
|