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カテゴリ:だんじり祭&左甚五郎
先日ネットでだんじり祭の篠笛を購入しました。
小学生の時に2本購入したのですが、どこにあるのか所在が分からないので再度購入したのです。 生まれてから2回だけ引越しをしましたが、いずれも町内だけなので実家の土蔵のどこかにあるはずなのですが・・・ 50数年ぶりに吹いてみると、息切れがしますねェ・・・(笑)。 しかし、それなりに結構イイ音がでます。 50数年前にお寺の境内で、1つ年上のコボンチャン、ヨッチャン、アコチャンの4人で笛を一生懸命練習したのを懐かしく思い出します。 年上の3人も名越の先輩から名越の「正調」の笛を受け継いだので、それを私に教えてくれたのです。 もちろん楽譜も何もありません。 「こない すんや(この様にするのです)」と・・・見よう見真似で教えられました。 とにかく子供というのは元気で、一時期は毎日朝から夕方まで練習しましたので未だに覚えていて、ポイントは3つ。 1.地面と水平に左肘を張り、笛を抑える左手の親指を必ず顔に垂直に向ける 2.7本調子6穴ですが、端の穴は開放(右手薬指は押さえない) 3.口角に力を入れ、息は真下に小さく鋭く こんな50数年前の事を昨日の事のように覚えています。 という事で、当時の名越のだんじり祭は木島地区で1番ショボく、我々小学生の子供がこういった篠笛の練習もしながら、4人で大太鼓、小太鼓、鉦、篠笛と代わる代わる交代で名越の鳴物を任されていたのです。 今みたいに専任を決めず、4人とも何でもデキるオールラウンダーだったのです。 当時の「何でもやらなければ」・・・という精神が仕事にも活かされているのか? 遊びから人生を学ぶと言えば大袈裟か・・・(笑)。 しかし当時の名越の祭りは、試験引きの日に1年ぶりにだんじり小屋を開け、法被ではなく私服でだんじりを引っ張り、町内のガソリンスタンドで「洗車」をするのが恒例で、それを小屋の前でだんじりを天日干しという今では信じられないような事で祭本番を迎えていたのです。 祭初日の引き出しは朝の2時でしたが、10人くらいの青年団とアスファルトではない凸凹道のために、だんじり小屋から100mしか離れていない私の家の前を通るのが5時と3時間も掛かっていたのです・・・(汗)。 宮入本番前に青年団と大人がどこから集まってくるのか沢山集結し、休憩しながら日本酒を回し飲みして雰囲気が盛り上がってきたら、その勢いで田端の散髪屋からもう走るのです。 だんじりが走るのは、この時だけです。 当時は未だブレーキがなく、梃子だけでだんじりを止めていたので、今考えると恐ろしい限りです。 明治30年代に岸和田大工町が新調しただんじりを大正時代に購入してから一度も修理をしたことが無く道もアスファルト舗装ではなく地道でしたので、だんじりが走ると中で太鼓を叩いていると四本柱が震度8くらい揺れ、大屋根には本当の大工さんが屋根の鬼板にしがみ付いていました。 当時の名越のだんじりは彫刻が素晴らしく「名だんじり」と呼ばれた二重見送りのカラクリだんじりでしたが、大屋根の舛合いの彫り物が深く(ボックスが室内に突き出て)小太鼓を来屋根の下に入れることが出来ず子供でも非常に狭く感じ、小屋根に上るハシゴがなかったので屋根に上るのに少々怖かったですねェ・・・ にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.11.27 05:06:54
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