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カテゴリ:日々の日常生活
インターネットで世界中の事が一瞬で調べられる恐ろしく便利な時代になりました。
しかし調べられないモノがあります。 それは家の屋号というモノです。 一家の特徴を基に家に付けられる称号のことで、日本やヨーロッパにおいて使用されている例があり、江戸時代では原則としては身分制度により武士や苗字帯刀を許された家以外の者が苗字を名乗ることが認められていなかったので、人口が増加するにつれ同地域内で同じ名を持つ者が増え、個人を特定・判別しにくくなり、旧来の集落単位では人別が出来なくなり、商人や農家が集落内で取引あるいは日常生活に不便を生じたことから、家ごとに名称を付け、これを人別判別の材料として使うようになったようです。 2,300年前の日本人の生活の知恵と言えるでしょう。 大阪郊外の貝塚市の山手地区の5,600年以上前から続く古い集落には、江戸時代から続く家には屋号なるものがあります。 東京港区のタワーマンションの住人が聞いたらビックリするでしょう・・・(笑)。 金さえあれば誰でも買えるタワーマンションですが、古くからある屋号だけは1億円積んでも買えませんので、逆に古い日本が未だに残っているようで、羨ましがられるかも・・・(笑)。 だいたい苗字がなかった江戸時代に先祖の名前を付けている例が多いようで、うちの家も江戸時代文久年間に生まれた曽祖父の名前をとって「惣治郎」という屋号です。 曾祖父は次男だった為に、仁左衛門という屋号は長男が継ぎ、曾祖父は「惣治郎」の初代という事になり、私はまだ四代目だったのです。 町名と屋号の「名越の惣治郎」と言えば、日本中で「うち」だと一発で判明します。 名越という町名は日本でいくつかあるようですが、惣治郎という屋号はないでしょう。 ネットでは決して出ませんが・・・(笑)。 地元に行かないと決してワカリマセン。 オモシロいですねェ・・・ そんな屋号の話も、名越町内の30軒で江戸末期からスタートした大峰山修行の「行者講(末吉講)」の資料にもチャンと載っています。 リストには本家と分家がペアになって、15ペアあります。 300軒足らずの名越町内には浄土宗と浄土真宗のお寺が2カ寺もありますが、行者講メンバーの30軒はいずれも浄土宗(安養寺)の檀家ばかりで苗字も偏っているのですが、何か歴史的意味があるかも知れません。 そして屋号と共に古くから変わらないのは墓にも彫ってある家紋は、水間の三重塔や安養寺の前の本堂を建立した本家の川岸(役所の間違いで川﨑になった)仁左衛門一族と同じ「丸に三つ柏」だったのです。 町(村)名と屋号と家紋の3点セットで、これで本当に日本で唯一無二と言えるでしょう。 という事で、悲しいかなうちの家は分家なので、うちの惣治郎という屋号を知っているのはもう80代以上の高齢者だけで、今年からやっているお寺の世話人のリストに屋号欄があり、うちは惣治郎ではなく本家の屋号を取って「仁左衛門の分家」となっています。 まだ三代程度までの新しい家には屋号がなく、本家の屋号を頭につけて「○○の分家(=隠居)」と呼ばれているのです(泉州弁で本家は母屋、分家は隠居と呼ばれる)。 まぁトランクルーム貝塚の所在地である貝塚市名越も同じ苗字の家が何十軒もありますので、屋号で区別しなければ何処の家かサッパリ見当がつきません。 今でも、郵便局や宅配便もさぞかし困っている事でしょう・・・ね。
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Last updated
2023.07.13 15:56:49
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