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カテゴリ:ライフスタイル
織物時代は年355日24時間エンドレス操業の多品種小ロット生産で月産20万mも生産し、正に工業製品をドンドン出荷していたのです。
コロコロ変わる織物の品種も、20年間で1反だけの試織も含めると1000種類くらいに達していたかも知れません。 これだと時間に追われて、自社商品にいちいち愛着を持つヒマもありません。 商社からの発注通りに多品種小ロット生産で現場を回し・・・正にキリキリ舞いといった感じです。 大きな借金を抱えていましたので、ジックリ将来を考える時間もなく、ただただ織機の稼働率を95%を目標に1秒でも多く織機を稼働させ、不良品を出さずにA反率100%を目指す日々でした。 こんな事を毎日、毎日20年間も続けてきたのです。 大病もせずに年に何回か腰痛のブロック注射を打つくらいで、織機の音で難聴になりながらも、よく頑張り通せたと自分でも感心します。 しかしその後遺症で、3年前についに脊柱管狭窄症の手術をしましたが・・・(汗)。 やはり長年の過酷な肉体労働で、身体は悲鳴を上げていたのです。 まァしかし、絶世の美女で有名だったお夏清十郎物語のお夏(水間の楠右衛門)の家から、うちの先祖が水間の三重塔を建立した縁で江戸時代に名越の川岸仁左衛門に養子に来た高祖父の血が流れている父に似ていたら背も高く男前でしたが身体が弱く、私が背が低く三枚目でも身体が丈夫というのは母に似たからでココまで来れたのです・・・(笑)。 「男は顔や身長じゃない・・・健康だ」と思いたいです(汗)。 まァ丈夫に生んでくれた母親に感謝、感謝です。 そんな超多忙な20年間で、「こんな仕事をいつまでも続けるのはイヤだ・・・もっと形に残る仕事がしたい・・・」と時たま、頭を過ぎるようになったのは自然な事です。 しかし具体的なプランはありませんでした。 しかし2005年に織物業を廃業する事を決断し、「さて、1年後の2006年に何に転業しようか?」という段になって、頭の中からこの思いがポーンと飛び出てきたのがトランクルームでした。 織物工場を改造コンバージョンして貸せば(レンタル業)、仕入れも販売も無く、ずっと沢山の小さな部屋(ユニット)が残るだろう・・・と考えた訳です。 計画通り2006年からトランクルームに転業し、1年後には部屋の中に「ロフト」を作るというアイデアが湧き、それを全て自分で作る事によって「ロフトという形」が後世まで残るだろう・・・と。 その100セットくらい作ったロフトも、自分なりに「よくできた」と思う時には、日付と名前を書いておきました・・・(笑)。 何十年か後に子供や孫が見て「あのジージが作ったんや」と思い出してくれるだろう・・と。 水間の三重塔や名越の安養寺の前の本堂を先祖(三ツ松の岸上甚五郎左義信<左甚五郎>の分家筋の川岸仁左衛門)が作ったという口伝がありますが、スケールが違いますが、まァそれに近いモノです・・・(笑)。 2016年から始めた音楽スタジオも、トランクルーム同様に形に残る仕事がしたかったという強い想いからで、これも今年に入って4室目のDスタジオを増設しましたが、これも「現在進行形」でまだまだ「その先」を見ています。 という事で、水間の三重塔を見るたびに、何百年も風雨や地震に耐えてきたのを考えると、よくこんな建物を江戸時代に作ったものだと本当に感心しますが、当時はその優れた宮大工としての腕(技術)を妬まれて暗殺されたという悲しい過去が口伝として親族の間で伝わっています・・・(涙)。 「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.com にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.07.30 04:37:50
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