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カテゴリ:ライフスタイル
41年前の新婚旅行はグアム・サイパン旅行でした。
夫婦ともウインドサーフィンが趣味だったので、旅行の目玉はサイパンでのウインドサーフィンでした。 本当は憧れのハワイに新婚旅行に行きたかったのですが、当時は今より100円も円安の1ドル250円くらいで、料金が高い連休の時だったのでグアムサイパンの3泊4日で1人35万円も掛かったからです。 ハワイだと50万円くらいだったので、当時は安月給サラリーマンでしたので、とても叶わぬ夢だったのです・・・(涙)。 ハワイに行けなかった・・・という悔しい思いがあったので、リベンジでコロナ前の円高の時は毎年のように1か月もハワイのロングステイを楽しんだのだろうと思います・・・(笑)。 そのサイパンのマイクロビーチでウインドサーフィンのレンタルを営んでいた日本人T氏をウインドサーフィン専門誌「ハイウインド」で知っていたので、ぜひ訪ねて行こうという事で行ってきたのです。 あいにく当時T氏は日本に帰国しており、店番のオーストラリア人女性にウインドサーファー艇より一回り大きかったフランス製のデュフォー・ウイングをレンタルしました。 当時は特許の関係で日本ではサーファー艇しか乗った事がなかったので、デュフォーのスイングバック式のダガーボードや捻じ込み式のラバージョイントに感動したり・・・当時ウインドサーフィン業界の最先端だったヨーロッパのニオイを感じました(驚)。 当時日本では特許でがんじがらめでしたのでウインドサーファー艇含めて数種類しか販売されていませんでしたが、フランスではウインドサーフィンの特許裁判で事実上フリー(アメリカのウインドサーファー社は裁判で負け特許は認められなかった)でしたので200社ほどメーカーがあったのです。 世界中ブームで上昇気流に乗っていたウインドサーフィンというニュースポーツも、日本では特許の壁でマーケットが抑えられている感じがましたねェ・・・ あの海の王者と言われるヤマハでさえ特許の壁に阻まれウインドサーフィンへの参入がワンテンポ遅れ、結局ブームが去っていくのと同時くらいに撤退してしまいました。 参入が噂されていたブーム直前に参入していれば、業界をリードし業界地図が変わってココまで愛好者が激減する事はなかったかも知れません。 今アウトドアブームでロゴスが大人気ですが、当時私は勤務していた会社で飛び込み営業で折り畳みチェアをロゴスに販売していた関係で当時専務だった今の社長と仲良くなり、フランスから輸入販売していたクリットというブランド(DⅡというラウンドボトムの世界チャンピョンボードで有名だった)のファンボードを安く譲ってもらったり、ウインドが初めての私の親戚にもクリットのウインドサーフィンセットを安く譲ってくれました。 当時私は営業活動する一方で、社長命令で「ウインドサーフィンのパーツ(ジョイント、ブーム)」にメーカーとして新規参入を虎視眈々と狙い、製作のために特許庁や輸入商社、金属メーカー、樹脂メーカーを回っていた頃で、とんでもない業界の裏事情に驚き、その辺の秘話で盛り上がっていました。 まぁ当時ロゴスは船具がメインで、マリン関係のウインドサーフィンを販売したりアウトドア向けにチェアを販売したり試行錯誤をしていたようですが、あれから40年経って大転換して大成功を収めている姿に驚きます。 オーナー経営者でもあった彼とは同い年という事もあり何回も飲みに行き、経営や税金に関する「熱い話」をイロイロ聞いたりして、考え方が一歩も二歩も進んでパワーが2倍以上あるなぁ・・・と非常に感銘を受けたのを昨日の事のように覚えています。 「こんなところでサラリーマンをやっている場合ではないなぁ・・・早く家業に戻って織物業を何とかしないと・・・」と考えさせられたのです(汗)。 ロゴスと同時期に工具商社の山善にも飛び込み営業で新規開拓していたのですが、今ではすっかり日本一の「ジェネリック家電」として有名になった会社ですが、当時は大阪本社の社員数人で始めたばかりの家庭機器課でした。 そこへ私は夜討ち朝駆けで1日に2回も訪問し、何とか取引に成功した時期でした。 私がちょうどサラリーマンを辞める時に「ヤマメ会」という課員と納入業者との小さな立食パーティーが日航ホテルであり、そこでその山善の家庭機器課をスタートさせた初代課長が私の親友の叔父さんだったという初めて聞いたオチに驚きましたが、その課長もその下の主任だった人も後に山善の専務まで昇り詰めたと聞き・・・ナルホドなぁと思いました。 日航ホテルの小さな1室でのヤマメ会でしたが、課長の「今はヤマメのように小さいですが、そのうちにデッカイところでヤマメ会をしたいと思います!」というお開きの挨拶の通りになったのです。 やはりロゴスの専務も山善の課長も「現状の船具(工具)だけではダメだ!」という開拓精神に溢れ、それが後に花を咲かせた訳ですが、未だつぼみの時期のリアルタイムで知り合って同じ空気を吸った経験が、私の人生に何かプラスになったのかも知れません。 まぁしかし、いくら沖に行っても足が着く遠浅のエメラルドグリーンの奇麗な海で、いっぺんにサイパンの虜になりました。 それから10年に一度くらいのペースでサイパンにウインドをしに行きました。 20年くらい前にサイパン空港から送迎をしてもらった時に「いいですねェ~こんな楽しい仕事で?」と言うと、T氏は「毎日遊んでいるようなもので、仕事なんて思っていませんよ」と。 この時私は「遊んで儲ける」という当時一生懸命営んでいた織物業とは真逆の発想に驚愕しました。 こんな生き方(世界観)もあるのか・・・と。 当時は必死で商社から発注された織物を忠実に織り熟しても、マーケットクレームが来るという理不尽さに頭を悩ましていたからです。 努力が報われない虚しさほど情けないことはないのです。 それが楽しんで儲けられる・・・なんて別世界だったのです。 これが後に、59歳で音楽スタジオを起業するヒントになったのかと思います。 ドラムをいつでも叩けると・・・(笑)。 トドメは昨年導入した和太鼓6台で、年中いつでもだんじり鳴物できると・・・(笑)。 もちろん何もなかったマイクロビーチでウインドサーフィンのレンタルなんていう発想は誰も思い浮かばなかっただろうし、それを苦労してビジネスに結び付けて40年以上もずっと続けておられるなんてスゴイ事だと思います。 数年前にサイパンに行った時に、70歳を超えた「サイパン少年隊」なる多くの日本人ロングステイヤー達が毎日マイクロビーチでウインドサーフィンを楽しんでいる姿を見て非常に羨ましかったですが、「私も入隊できますか?」と冗談で聞くと、「まだ若すぎるよ~」と断られました・・・(笑)。 という事で、何がどう化学反応を起こして、人生の方向性が決まるのか?・・・という方程式なんてありません。 100人100様・・・同じ人生なんか1つもなく、みんな人それぞれです。 自分の現在の専門スキル、頭脳、会話できる言語数、コネクション、性格、嗜好、年齢、性別、国籍、学歴、社会経験年数、健康状態、体力、生い立ち、兄弟(姉妹)との関係、両親の影響、実家の懐事情、配偶者の影響・・・イロイロ試行錯誤を積み重ねて、自分オリジナルを描くのが人生です。 もう67なので元気でいる時間があまり無いので、人生の最終章を早く描かねば・・・(汗)。 「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.com にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.10.12 08:32:10
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