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カテゴリ:だんじり鳴物(和太鼓)
昨年から弊社リハーサル音楽スタジオ「スタジオ0724」に和太鼓6台を導入して1年以上経ちましたが、今年に入ってから各町の青年団の鳴物担当の高校生が多く利用しています。
ここで、ひとつ驚いた傾向があります。 進学校と言われる高校生の利用が案外多いのです。 それも東大や京大や阪大といった一流国立大学に進学する生徒が多い偏差値が高い高校です。 一般的に青年団と言えば、祭り前の走り込み(体力養成)や寄り合いが必須と言われますので、進学校に通っている高校生やクラブ活動に励んいる高校生はなかなか青年団との二刀流や三刀流(受験勉強、クラブ活動、青年団)が難しいと思われましたが、それでも彼らはだんじり祭が心の底から好きなので、青年団に入ってだんじり祭を楽しんでいるのです。 普通「時間的に無理だろう」と思いますが、しかしソコには「深い理由」がありました。 物理的に祭前に毎日走り込みや寄り合いに参加するのは無理なので、そこには町の「暖かい包容力」があったのです。 具体的には青年団長が「勉強やクラブ活動を優先してイイよ。でも、祭本番の2日間だけでも来てや」という、チョッと「緩いスタンス」があったのです。 ココです・・・ポイントは。 「毎日走り込みに来いよ・・・寄合には毎回来い・・・」では誰でもだんじり祭がイヤになります。 当たり前の話ですが、町内の子がだんじりを曳いて初めて「村祭り」が成り立つのです。 この原点を見つめる事が、来年の祭りに繋がるのです。 岸和田スタイルのように「やり回し」をするために青年団だけでなく三十人組も町外から多くが参加している事実も問題で、町会員なら町の将来を本当に心配しますが、町外だと町の将来なんてなんの関心も責任もありません。 まぁ本来は五穀豊穣を祈った「村祭り」なのに、何でソコまで岸和田のような「やり回し」に固執しなければならないのか・・・? 結果、だんじり祭の曳く資金を出している町会員の子供や孫が参加しないという異常事態が長年続いていましたが、誰もが見て見ぬ振りという、まるでジャニーズ問題そのものだったのです。 だんじり祭が1番盛んな岸和田の旧市は別にして、他のエリアで1年に2日しかないだんじり祭のために、高校生にとって1番大事な受験勉強やクラブ活動を犠牲にする事はNGなのは誰でも分かります。 更に問題は後ろ梃子などの仕事中心の3,40代の三十人組にも飛び火し、仕事で毎日遅くなる人にとって祭がだんだん遠ざかってしまうのです。 なので、泉州エリアの普通の高校生や三十人組まで、段々だんじり祭から遠ざかっているというのを泉州以外から祭を見物に来る一般人の知らぜらる現実だったのです。 町会員の3,40代が祭りに参加しなければ、その子供である小中学生も祭に参加しなくなるという悪循環に陥ります。 「祭りは楽しいよ」という伝承が親から子に受け継がなければ、いずれ祭りは廃れてしまうのです。 しかし意のある自治体(町会)はこの現実にハッと気づいて、これまでの「岸和田祭り」のマネを修正して、本来の「村祭り」に回帰・・・軌道修正して、町会員の青年団の参加率を高めるために「ユルイ」雰囲気を作っているのです。 なので、青年団の数も60人、80人も集まっているのです。 青年団が20人くらいしかいなければ、大きいだんじりを曳くのもしんどいので楽しくなく悪循環に陥り、青年団仲間が多いと楽ですし笑顔なのです。 私が子供の頃の60年前は、祭りが好きな誰もが気軽に参加していましたので、法被を着るなんて事は本人の自由で、女の子もスカートで参加し、やり回しをする事も走る事も少なく、朝からみんなで楽しく歌を歌いながらだんじりを曳いていたモノです。 これが本来の岸和田のような見せる祭りではなく、みんなで楽しむ「村祭り」です。 スペイン旅行に行った時も、バルセロナのSOL駅周辺では祭りではないのに、平日の夕方から老若男女問わずワーワーと音楽を楽しんでいたのが印象的でした。 人生は楽しむためにあるのだ・・・年に1度の祭なら尚更楽しまなければ・・・と教えられました。 私のような考え方を持っている人が周りに結構沢山いますが、みんな公に声を出していないだけです。 いずれ、このままだとだんじり祭りも下火になるでしょう。 曳き手がいなくなり、だんじり祭が開催できなくなるという危惧を抱くのは、我々先祖代々住んでいる地元民だからです。 そこから、どうなるか・・・? 何でも栄枯盛衰のサイクルで時代は流れていますので、私はやり回しをしなくても、老若男女みんなが楽しめる本来の村祭で復活するであろう・・・と期待したいです。 それはいつになるか・・・? おそらく私がいなくなる、50年後かも知れません。 「スタジオ0724」には富田林や河内長野といった南河内エリアからも来られていますが、彼らのだんじり祭りは岸和田祭の影響を多少受けながらも、自分たちの伝統もしっかり継承しているところに注目したいと思います。 キーワードは伝承で、親から子への伝承が上手くいかなければ、祭もヘチマもありませんから。 そういう意味で、今の祭りは岸和田のマネのやり回し中心で、貝塚本来のノンビリしただんじり祭りの伝承を全く考えていないのです。 貝塚はだんじり祭り以外にも村の年間行事が盆踊りや行者講や宮座やお寺の行事などもあり、昔は伊勢講もあったようで、岸和田旧市と違って祭りは1つの行事に過ぎなかったというのが「村の原点」です。 まぁ和太鼓6台導入しただけで、自分たちのだんじり祭りを客観的に見れる・・・というのが何とも皮肉です。 ド~ンと和太鼓6台購入という投資をしたお陰で、見えなかったものが見えてきた・・・のです。 36年前の織物時代に旧式のシャットル織機から新工場を建設して新式のエアージェット織機を何億も投資をして導入しましたが、技術的な面のデメリットとメリットが分かり、ビジネス的にも将来のグローバル化で泉州の地場産業であった織物業も廃れていくのが目に見えてきたので、早い目の廃業というエアージェット導入から20年後に「人生最大の決断」ができ、トランクルームにスムーズに転業できたのだろうと思います。 まぁ、脳ミソの中でグルグル考えるだけでは、何も見えてこないのです。 やはり行動力、アクションを起こさないと未来は見えて来ないのです。 という事で、だんじり祭の伝承という意味で、3歳の男の孫が「だんじり祭に行きたくない」というのが衝撃的でした。 私が3歳の頃は、親に黙ってもう勝手にだんじりの綱を握っていましたから。 自分が青年団が終わって後ろ梃子に回った30代の時に子供とだんじり祭を楽しんだ記憶がなかったからで、当然子供の子供(孫)が祭が好きになるはずがないのです。 楽しいはずのだんじり祭りの楽しみが、親から子への伝承がなされていないのです。 その証拠に、今5,60代の世話人の2,30代の子供の殆んどが祭りに参加していない(特に受験勉強に忙しかった子は)・・・という驚愕の事実を直視していないところが根本的な問題だったのです。 やっぱり祭りは、村人の誰もが楽しむモノでなくては全くナンセンスです。 町内に江戸時代末期の160年前からうちの家も本家も含めた町内の浄土宗檀家の有志30軒(本家と分家の15ペア)で始まったとされる大峰山で修行する村の伝統行事である「行者講」がありますが、未だに続けているのは毎年大峰山に登るのではなく数年に一度だからです。 今のレジャーが多様化し仕事が忙しくなった時代に毎年登るなんてしたら、誰も参加しなくなって行者講も無くなるでしょう。 行者講の親睦会は毎年していますが、修業は数年に一度という「緩さ」だから続けて来れたのです。 また町内にいくつかの「宮座(座)」もありますが、うちが入っていた座も私が生まれた時に座入りしたようですが、私が知らないうちに解散してしまいました。 だんじり祭も、孫が一度も曳かないうちに廃れてしまった・・・という事の無いように祈りたいと思います。 「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」 「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.com にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.11.12 10:56:30
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