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中学1年生の時にシカゴと共に感動したのがショッキングブルーでした。
中1と言えば、1969年・・・今から54年前です。 1960年代最後の年で、メキシコオリンピックの翌年で、大阪万博の前年です。 この時に洋楽ロックのサウンドに目覚めたのです。 子供の頃はテレビの音楽番組では歌謡曲や演歌が主体で、小学5,6年生あたりはGS(グループサウンズ)が日本で大流行し始め、それまであまり関心のなかった音楽への興味がパッと花開いたのです。 ノッテいるサウンドが「カッコええなぁ~」と。 この思春期の「カッコええなァ~」という感性を大事にしたいと思います。 私は中1でシカゴのブラスの音に感動して高校のオーケストラ部でトランペットを始め、高2で「燃えよドラゴン」のブルースリーを見て「カッコええなァ~」と思い大学で空手を始め、同じ頃にテレビの音楽番組でスペースバンドの「つのだひろ」のドラムの音に感動して大学生になってからドラムを始め、同じ大学生の頃にテレビのコカ・コーラのCMでウインドサーフィンを見てウインドを始めて大学に学連加盟のクラブまで創部したのです。 未だにトランペット以外のそれらを継続しているというのは、思春期の感性に人生を支配されているのかも・・・(笑)。 しかしGSのブームが終わり、また歌謡曲が復活してきて面白くなくなった日本の音楽業界のところに、深夜のラジオの音楽番組「ヤングリクエスト」で洋楽ロックがガンガン掛かりだし、「こんな世界もあるんやなぁ~」と驚きました。 シカゴの「Free」やレッドツエペリンの「移民の歌」といった結構過激なロックナンバーが何十週も連続1位だったのというのは、私は中学生でしたがリスナーの多くは高校生や大学生で、大学や高校の学園紛争が激しかった当時の時代背景を物語っています。 当時のだんじり祭りでもヘルメットにラッカーを吹いて被って曳いている町もありましたから、学園紛争の社会的な影響は相当なものだったのです。 そして早速、水間線に乗って貝塚駅前のグランドストアにあった中野楽器店にショッキングブルーのレコードを買いに行きました。 エコーにも見に行きましたが、4曲入りのシングルレコードがなかったのです。 当時のシングルレコードは45回転の2曲入りでしたがイイ曲はA面しかなく、実質350円で1曲しか聴けなかったのですが、中野楽器では何故か33回転のシングルレコードでの4曲ともヒット曲で500円だったので、中学生の私は「買いだ!」と判断して1ヶ月分の小遣いを投げ打ったのです・・・(汗)。 ジャケットの写真に写ったボーカルのオネエチャンの谷間に釘付けになったのも懐かしいです・・・(笑)。 お隣の岸和田駅前にはもっと大きなレコード店がありましたが、南海電車に1人で乗ったことがなかったので、そこまで1人で買いにいく勇気がありませんでした。 中一の行動範囲なんか、所詮そんなモノです。 レコードを買ってから針がすり減るまで聴き倒しましたねェ・・・ デジタルに慣れた今の子は、そんなアナログの感覚は分からないと思いますが・・・(笑)。 という事で、そんな文字通りショッキングな出来事があり、それが高校でトランペットを始め、大学ではドラムを始め・・・サラリーマン~家業(泉州の地場産業だった織物業)~トランクルームに転業~59歳でスタジオを始めたのです。 人生なんて、どこでどう?化学反応を起こすかなんて・・・ワカリマセン。 言える事は、目先の損得や親や他人の意見に惑わされず、自分の好きな仕事や趣味を一生懸命することで・・・人生の充実が図れるのでは。 人生って振り返れば短いですが、実際にはホンと長いですから。 まァ思春期は反抗期でもあり親にイッパイ心配も掛けましたが、好きな事ができたのも親の包容力と経済力があったからで、いくら感謝しても足りませんが・・・(涙)。 「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」 「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.com にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.12.30 08:35:37
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