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カテゴリ:中小企業の生きる道
今でも朝7時から夕方5時くらいまで土日関係なく年365日イロイロと仕事(トランクルーム、音楽スタジオ、不動産仲介業、レンタル自習室、卓球場)をして、よく「忙しそうですね?」と聞かれますが、決してハードワークではありません。
逆にハードワークであれば、68歳のおじいさんが365日休みなしで仕事できる訳がありませんから。 テキトーに息を抜いて、脱力して仕事をやっている・・・というより、遊びながら仕事をやっていると言った方が正解です。 その仕事のコツである脱力も、空手やウインドサーフィンやドラムやだんじり鳴物で学んだのです。 空手の基本稽古で100本も正拳突きを100%全力で突いたら1分で倒れてしまいますし、ウインドサーフィンの強風荒波で長距離セーリングをしようと思ったらハーネスのジャストの位置を掴むしかないのです。 だんじり鳴物も4番(駆け足)の大太鼓を1分も100%全力で叩けば倒れてしまうので、1時間以上叩こうと思えば握りを叩く瞬間だけ力を入れて、ドラムのようにバチ(スティック)がバウンドしている間は脱力するコツを掴むのです。 子供の頃から青年団まで祭りになると朝から晩までずっとだんじりに乗って太鼓を叩いていましたから、1年に2日しか祭りはありませんがそれだけ1日中叩けばコツを掴むには十分だったのです。 まぁ遊びや趣味の中に「人生のコツ」があったのです。 もうこれは若い時に勉強ばかりやっている場合ではないのです・・・というのを世間の教育ママは全く知りません(笑)。 そう、もう遊びか仕事か?プライベートか仕事か?ごちゃ混ぜの公私混同の状態で生活をしているような感じです。 強いて、分けられない・・・のです。 そんな事どうでもイイですが、自分の人生が充実さえしていればもう何も要りません。 今は18年前まで営んでいた織物時代の10分の1くらいの労力なので、遊びながら仕事をしているようなモノなので、こんな5つの仕事(トランクルーム、音楽スタジオ、不動産仲介業、レンタル自習室、卓球場)を娘と2人だけで最新テクノロジーを駆使したサービス業の仕事(3年前までずっと一人でやっていた)ならこの先70歳、80歳になってもヤッテいけるでしょう。 90歳だって可能でしょう。 織物現場の仕事に比べたら(エアージェット織機導入の最初の2年間は男子従業員ゼロだったので朝から夜まで15時間働き月産20万mを維持していた)、苦労なんて全く感じません。 しかしそこまでハードな肉体労働をすると、食欲がなくなり体重も20代前半の頃まで戻ってしまったのです。 今は通勤時間は自転車でたった1分ですし、服装は夏の今はセッタに半パンにTシャツ・・・こんな楽な仕事はないのです。 20代のサラリーマン時代はスーツにネクタイをして1時間掛けて大阪市内まで通勤していましたが、よくそんな恐ろしい事をやってきたなぁと我ながら感心します・・・(笑)。 まぁしかし大学生の夏休みに、40℃湿度90%のガチャガチャ煩い100㏈のシャットル織機音の綿ぼこりまみれの織物工場に入ったとたん、一瞬で汗が噴き出た経験を忘れようと思っても未だに夢に出て来ます。 それほど過酷だったのです。 大学生の夏休み(春休み)と言えど家業なので従業員の一員に完全に組み込まれ、朝5時から夕方5時まで日曜だけ休みが2か月も続き、バラ色の大学生活とは程遠い青春だったのです・・・(涙)。 他の仕事もしたい(他の世界も見たい)と、夏休みに夕方5時に仕事が終わってから天王寺までビアガーデンのアルバイトをした事もありました。 まぁ家業だったので文句は一切言えませんでしたが、大学卒業後に「家業は継げへんよ」と父親に宣言して一生サラリーマンで生きていくつもりで繊維とは全く畑違いの建築金物建材メーカーに就職したのも、そういった家業がイヤでイヤで仕方がなかったからです。 まぁしかしビジネスは続いてナンボですから、決して100%力を出し切ることはせずに、脱力しながら常に70%くらいの力を出しながら長期戦にもっていくコツを身につけなければなりません。 その前提条件として「土日休み」なんていう発想を捨てなけばなりませんが・・・(汗)。 もちろん3、40代は家族5人を養うために肉体労働中心の家業の織物業で必死に働きましたが、68歳になった今もそんな過酷な仕事をしていると寿命を縮めてしまいます。 年齢に応じた働き方に変える・・・のがポイントなのです。 織物時代の長年の無理がたたって、ついに4年前に脊柱管狭窄症の手術をしましたが、あのまま織物業を続けていたら手術も出来ないくらい腰痛が悪化していたでしょう。 まぁ当たり前の事ですが、人間って自分が思っている以上決して若くはありません。 私も誰が見てももう立派なオジイサンです・・・(汗)。 自分の年齢も世の中も変わる・・・モノです。 この事実を真正面から受け止め、生き残るために敢えて18年前に思い切って年齢と世の中に実状に合わせて家業の織物業からトランクルームに転業したのです。 先祖に申し訳ありませんでしたが・・・(涙)。 まぁ家業は永遠・・・と思いたいのは山々ですが、業種によって決してそんな事はないのです。 元々世間の常識なんてアテになりませんし、そんなのイチイチ気にしていたら本来の自分の自由さが失われます。 何の為の人生か?・・・というのを考えれば、推して知るべしデス。 そんな家業からトランクルームへの転業でしたが、子供は娘ばかりの3人でしたので「織物業を継がせるわけにはいかない」というのが念頭にあったのです。 なので、自分も楽だし、娘でも継げるもっと楽な仕事という意味でトランクルーム・・・となったのです。 と言うか、日本の繊維業界で儲けているのはユニクロのようなリスクを一社で取って流通を短絡化させたSPA(製造小売り)だけで、昔ながらのリスク分散型の日本の長い繊維の流通に乗って単に織るだけの織物業ではこの先無理だろう・・・と限界を感じていました。 それより180度転換して、デジタル戦略のサービス業として何とか生きていけるトランクルームに活路を見出した方が賢い・・・と判断したのです。 という事で、「将来どうなるのか?」と想像力を掻き立てられたのが大流行前から始めたウインドサーフィンで、毎年どころか半年に1回目覚まし進歩があり、それについて行けるかどうか・・・日々新鮮だった大学生の経験が今の五毛作経営(トランクルーム、音楽スタジオ、不動産仲介業、レンタル自習室、卓球場)の原点かも知れません。 単なる趣味で楽しんでいればそれだけの話ですが、私は大学に学連加盟のウインドサーフィン同好会を創部したのです。 それによって話がややこしくなり、若くしてイロンナ経験を積んだ事が私の人生を狂わしたのです・・・(笑)。 まぁ68歳で私のように仕事を未だに現役バリバリで1年365日頑張っている同級生は誰もいませんが、要因を考えれば若い頃から全人生を賭けて「これ一筋」ではなく、ある意味テキトーに(本人は一生懸命ですが)空手やウインドサーフィンやドラムや和太鼓をやって来て身体を壊さなかったのがヨカッタのか・・・と(汗)。 中途半端に生きてきてヨカッタのです・・・(笑)。 「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」 「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.com にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2024.09.11 19:56:11
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