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カテゴリ:昭和(小中高大)の思い出
先日大学時代の親友が亡き妻の供養も兼ねて、はるばる関東から来てくれました。
大阪で会社のOB会があったらしく、その帰りにうちに寄ったのです。 大阪勤務時代の2年前にも来てくれました。 今回は近くの居酒屋でゆっくり呑んで、うちに泊まってもらいました。 2年ぶりでしたが、その前はもう40年近く会っていませんでしたが、一瞬で大学時代に戻るのも不思議ですねェ・・・ 彼と私は関西外大時代に、彼は少林寺拳法部、私は古武道部(林派糸東流空手)で、同じ体育会武道系クラブという事で仲が良かったのです。 何回か彼の下宿に泊まったりもした仲だったのです。 私は2年生の時に父の病気でクラブを辞めざるを得ませんでしたが、彼はそのまま続け主将になりました。 当時の少林寺は体育会で1番人気のクラブで人数も多かったと記憶していますが、その多い部員全体をまとめるのは大変だったと思いますが、そこそこの試合成績を収めていたのには驚きです。 今思い出すと笑い話になりますが、空手部、古武道部、柔道部、剣道部、少林寺拳法部、日本拳法部といった体育会の武道系だけの新入生歓迎会があり、文字通りドンちゃん騒ぎの中で酒を酌み交わすのですが、先輩らは我々新入生に「他の部の主将と副将が来るから酒を注いで返盃が来たら絶対飲まなアカンどォ・・・古武道部の名誉を懸けて」と念を押され、死ぬ思いで歓迎会に臨んだのを思い出します・・・(汗)。 私はビール派で日本酒がダメだったのですが、数を稼ぐために(おちょこが小さいので)ビールを止めて日本酒に切り替えた戦略で臨みましたが、案の定途中で意識が薄れてしまい、帰りは歩けなかったので先輩の両肩につかまって足を引きずりながら・・・そして気がついたら翌朝先輩の下宿で目を覚ましました・・・(汗)。 急性アルコール中毒の一歩手前だったのです。 後に先にも、これほど酒を吞んだのが初めてです。 正に若気の至り・・・です(笑)。 またクラスメートが舞台俳優になるとかで、歌舞伎座に一緒に応援に行ったりもしましたねェ・・・ 大学2年の時に父親が心臓の手術をしましたが、体育会で献血をやっていたお陰で20人分の輸血を直ぐに用意でき、当日父親と同じ鮮血(私は父親と違う血液型)が20人分いるという事で彼にも手術当日に来てもらい非常に世話になったのです。 父親は9人兄妹でしたし母親も4人姉弟でしたのでイトコも多かったらしく、手術当日に私の知らない親戚の人達がゾロゾロと沢山集まって頂いたのには驚きました。 まぁ同じ武道系で思い出すのが、私が4年生の時に創部した学連加盟のウインドサーフィンクラブの同好会キャンプで知り合った極真空手同好会を創部したK君がいて、その彼が後輩で一押しだったのが現在正道会館最高師範の角田氏だったのです。 一度食堂で角田氏を見ましたが、当時は痩せていましたがテーブルにいっぱい並べて食べていたのが印象的でした。 やっぱり試合に勝つには相撲取りのように食べて体重を増やさなアカンのやなぁ・・・と思いました。 まぁ当時の空手界は伝統派(寸止め)の全空連の大会では私の所属していた林派糸東流が世界大会や全日本大会で優勝したりしていた一方、フルコンタクト空手で極真会が大阪難波に現正道会館館長の石井さんが関西での普及に尽力して学内でも見かけましたが、自分で正道会館を創流した頃で、林派糸東流と極真会(正道会館)が同じ関西外大で同居?していた「歴史的瞬間」にたまたま居合わせたのです。 これって、スゴイ貴重な経験だったのです。 もちろん空手関係者以外、そんな事は全く気づきませんでしたが。 まぁ久しぶりなので思い出話もあり、現在の仕事、健康法、家族の事、将来の事・・・山ほど話す事はありますが、そこはもう年も年なので11時には床に入りました。 という事で、7月に家内が亡くなりましたが、以前から公私に渡るいくつかの計画がドンドン進んでいて、悲しんで落ち込んでいるヒマもない・・・というのが実情ですが、それでイイのだ。 「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「 貝塚不動産.com」 「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.com にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.10.28 17:37:09
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